多分、数日で途切れる日記とかメモとか、その⑥

いいベンチがあったので、腰かけて、落ちかけの強い日差しを浴びながら書く。目の前には、君とだったらどこまでもゆける相棒の自転車と、これは隅田川。左手には首都高とスカイツリーを望む。橋本直弥24歳男性、好きなものはメリークリスマスの商店街、将来の夢は平穏な昼下がり、憧れは仲良し老夫婦。と、そんな具合で人生をやっております。しっかし、さっき出会った商店街は抜群にドンピシャだったな。ものすごく自分好みの商店街でした。『Merry Christmas』の安っぽい看板が両端の電柱から商店街の中央に垂れ下がっていて(Merry Christmasの看板もずいぶんと使い古されていた)、ラジオがかかっていました。正確にはラジオではないけれど、BGMが微かに流れているのでした。好みでした。非常に好みでした。商店街でラジオがかかっているってのは、もう、この上なくなのです。なんと書けばいいか、商店街にラジオが流れているということは、そこで商いをする人や買い物をする人や見ず知らずの通行人もが一体となって、同じ音を聞いているという名の結束感が生まれ、商店街の空気が柔和になるのです。商店街にラジオが流れていると、人に優しくしようと思うのです。ラジオのかかった商店街が、同じ音を聞いているという連帯感が、俺ら商店街yeeeeh!みたいな躍動感が、すごく好きです。喫茶店を開く時は、ラジオのかかった商店街にしよう。初めて出会ったのは大学3年の夏、弘前でのことでした。平日の昼過ぎに街を練り歩き、とある商店街に恋をしました。あの商店街の一体感。みんながみんな、心して聞いているわけではないのだけれど、「なんかいつもかかってるよね」ぐらいの塩梅による商店街の雰囲気が、なんとも自分好みだったのです。弘前の商店街では今日もラジオが流れているのだろうな、なんてことを遠いこの場所から想像します。

ちゃんと書こうと決めてから、今日は自転車に乗ってあちこちを彷徨っていたけれど、自転車に乗ると、色んなことを見たり感じたり考えたり呟いたりするものです。瞬間的に通り過ぎていく外界の景色に、幾度となく反応して、ぶつぶつと、たまには大きな声で、独り言を言ってしまいたくなる(言っていた)ものでした。たいそう楽しい時間でした。だからこんなことを思いました。『あぁ、自転車に乗っている時にピンマイクつけたら面白いのに。勝手に録音されて、言ったことが正確に文字起こしされたらいいのに。思ったことや感じたことや考えたことを、どれもこれもがくだらないに尽きるのだけども、零れ落ちないで記録できたらいいのに。』

押しボタン式だと知らず、なかなか青にならない信号だなぁと思っていた。
車通りの少ない場所の押しボタン式信号は、少しだけ申し訳なくなる。
一瞬で渡るから、押しボタン式信号に「1秒/5秒/10秒」と人それぞれの選択肢を設ければいいのに。
もしくは、向こう側に"渡りましたボタン"を設置して、横断歩道内をダッシュで渡ってそのままの勢いで渡りましたボタンを押す。体力番付のテレビ番組でやっていた「助走→ボタン→バレーボールタッチ」みたいな遊びができるんじゃないか。
微動だにしないワシを見た。フクロウみたいだと思った。動物園のフクロウは足を固定され、ずっとあの体勢でいなくてはならないのだろうか。寝てる時もあの体勢なのだろうか。『可哀想だ』いや、待て、可哀想とは危険だ。可哀想はフクロウを傷付ける。実はあんな体勢へっちゃらかもしれないし、むしろ安全な場所で何をせずともご飯がもらえる環境に、フクロウは満足しているのかもしれない。フクロウの気持ちも分からない。人の気持ちも分からない。想像して、フクロウの気持ちも人の気持ちも想像したうえで、言葉を選ぶことが大切ではないか。

愉快な一日でした。将来の夢は、平穏な昼下がりです。

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