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ふつつかものですが

このたび、TABIPPO仙台の副代表を襲名いたしました「もつ」です。
ふつつかものですが、ぜひ、"生暖かい目"と"苦笑い"で見守っていてください。
そんなご報告をした今日は、僕が大学3年生から活動してるTABIPPOについて、たらたらと書き殴っていきますので、どうぞよろしく。

TABIPPOとは

僕のSNSを見てくださっているファンの皆さんは、「TABIPPO」という文字を1度は見たことがあるでしょう。またこいつ言ってるよ、とか、なんか変なことをやっているらしい…みたいな(笑)

端的に言うと、TABIPPOとは「旅を広める」会社です。
旅で世界を、もっと素敵に。
という超ステキなビジョンのもと、たくさんの面白い事業を仕掛けています。

TABIPPOという会社のもとに、TABIPPO学生支部があります。全国9都市に支部を置き、「学生が旅をする文化を創る」ために活動しています。
そして僕はTABIPPO学生支部のメンバーとして、仙台で旅を広める活動をしているのです。

僕と旅

TABIPPO仙台という組織で旅の魅力を発信していますので、僕もわりかし旅は好きな方です。どれくらいかというと、卒業論文に全く手をつけず、ひょいっと旅してしまうくらいの、ちょうどいい好き加減です。

僕の初めての旅は高2の夏。
高校から家まで15キロの道のりを、いつもの電車に乗らず、友達から借りたチャリンコで帰ったのが初めての旅。
どこまでも行ける気がして、どこまでも自由な気がして、どこまでも自分らしい瞬間だった。普段なら見過ごしてしまう景色、気になってはいたけれど通ることのなかった脇道、夕日に照らされて反射する自分の影。誰にも邪魔されず、ありのままの自分をこの世界に表現する、そんな幸福を、僕は旅からプレゼントされたのだった。

大学生になってから、人間関係が上手くいっていなかった時期も、僕を救ってくれたのは旅でした。(単に友達ができなかった、コミュニティに馴染めなかった、そして闇に堕ちていった、全ての原因は自分にあるのだけれど、笑)

福岡のゲストハウスで出会った2人の兄ちゃんに良くしてもらって、初対面のはずが「まだまだ話し足りないから飲みに行こ!」って、こんな世界があるのかと衝撃を受け、天神の屋台で隣に座ったおっちゃんにご飯を奢っていただいて、北海道の宗谷岬では日本最北端の男になって、旭川の食堂では100円でたらふく食べさせてもらって、初海外のタイではトイレットペーパーないドッキリに何回も引っかかりながら犬4匹に追いかけられ、カンボジアでは路地裏の現地人と一緒によく分からん工事をして、シェムリアップの小学校では笑顔の可愛いちびっこ達と懸命にサッカーをして、それ以外にもいろんな旅をしてきてた。
僕だけの、僕にしかない、唯一無二の経験をして、貴重な人生の糧となり、人生の財産となった。特別、何かをできるようになったわけではないけれど、自分の感情とひたすら向き合って、自分の心が揺れ動くままに行動して、自分を知って、自分を好きになって、自分に自信がついた。
”今”という時間を精一杯に楽しむことができた。
すると、旅が終わってからの日常も変わってきた。そんな僕の日常に新しく加わったのが、「TABIPPO」だった。

僕とTABIPPO

昨年のTABIPPOでの活動を通じて得たものは、「僕自身の居場所」でした。
学内と学外の両方に馴染めず、人間関係が構築できないことに本気で悩んでいた僕が、TABIPPOに入って、そのまんまの自分を旅以外の場で表現できたことがたまらなく嬉しくて、心が満たされたことを今でも覚えています。

素の自分を、自分自身だけでなく、他の人にも見せることができて、そのまんまの僕を受け入れてくれて、笑ってくれて、自然と愛が溢れて、TABIPPO仙台に入ってよかった、そう心から思えた。
みんなのために頑張ることができて、みんながいるから頑張ることができて、そんな経験が初めてで、誇らしかった。

だから、TABIPPO学生支部の2年目をやることを決めました。

1年目の時に与えてもらったものを、今度は僕が与えていこう。
TABIPPOのイベントに参加して、TABIPPOのコンテストに参加して、TABIPPOと関わることで、多くの人と出会って、たくさんのことを感じて、自分と他者について考えて、心の拠り所となって、新しい居場所を見つけて、自分らしく生きていいんだって、そんなことを思ってくれる人を増やしたい。これからTABIPPOに関わってくださる人も、TABIPPO仙台のみんなも。

仙台代表の内山くんが、旅やTABIPPOを通じて「教育」にアプローチするなら、僕は、旅やTABIPPOを通じて「居場所」にアプローチしていきたいのです。「居場所」って、ざっくりで、抽象度が高いけれど、僕が大学1~2年のころに本気で悩んでいたことで、かつ、旅とTABIPPOが僕に居場所を与えてくれて、そのまんまの自分で生きることができるようになったからこそ、どうしても実現したいことなのです。

けれども最近は、僕自身が、どこに生きているのか分からなくなる時があります。LINEなのか、Twitterなのか、インスタなのか、zoomか、スマホか、はたまた、他者の頭の中か、

違う!僕は今、ここに生きているんだ!今はこのアパートで生きていて、たまに外に出たり、街へ繰り出してみたり、旅をしたり、この大地のあるところに僕は生きている。決して、こんな狭い画面の中に生きているわけではないし、他者の頭の中で生きているわけでもない。
思えば旅は、自分がここに存在していて、この場所に生きているんだと実感させてくれる。遠くへ行く必要なんてない。散歩も立派な旅だし、人としっかり話すのも旅、自分自身と内省するのだって旅、なんでも旅になりうると僕は思う。今この瞬間にときめいている時、ときめきを探している時、ときめきだけじゃない、模索している時、悩んでいる時、焦っている時、いろんな感情があっていい、大切なのは、今この瞬間を生きれているのか、先のことを考えることももちろん大切だけれど、今という時間を、精一杯生き抜いているかどうか、これが僕なりの旅の定義。「○○をこの目で見たいから〜〜へ行く」けれどもその過程において、道中において、今見える景色、今近くにいる人、今抱く感情をどれだけ大切にできるか、向き合えるか、旅と旅行の違いってこれだと思うんだよなぁ。ある一点のみではなく、己の目の前に現れるそれぞれの点に思いを馳せる、そしてその点がやがて線となる。だから、人生は旅行ではなく、旅に例えられるんだと思う。今いる場所から、世界は広いんだと、たくさんの世界がこの大地から広がっているんだと、そう感じることができたら、楽に、肩肘張らずに、素直に、そのまんまで生きることができると思う。そんなことを、僕自身が旅とTABIPPOから実感できたからこそ、多くの人に届けていきたいんだ。

他の人から見たらちっぽけで何もない人生だけれど、
僕の中では大切で忘れられない人生なんだ、
でもそれはきっとみんな同じ。

あれ、なんのためにnote書いてたんだ。(笑)
これじゃあもうさ、長文ポエムじゃん。(完)




最後になりますが、こんな、僕を支えてくださった、支えてくださっている方に感謝申し上げます。本当にありがとうございました、ます。

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