ばらの花

言葉って無力だ。今、痛烈にそう感じてる。今の自分の感情を、今の自分の気持ちを、どんな言葉に例えられるというのだろう。

いい人になりたい。いい人がいい。いい人でいい。いい人に、誰しも想像するいい人に、真っ先に考えうるいい人に、私はなりたい。だってそれが全てだから。単純な優しさを持ち合わせていて、行動は浅はかで、考えなしで、でもしっかりと、人の心とやらを、常に自分に宿しておきたい。

いい人でいいんだよ。いい人でいい。だってそうじゃなきゃ、いい人でなかったら、札幌を旅立つのにこんなに後ろ髪を引かれないさ。いい人だったから、自分がいい人だったから、一緒に働いてくださった、自分の会社で就業してくださっているスタッフさんに、愛着が湧いてくるんだろうなぁ、なんてね。「私、今日で札幌おわりなんです…」そう伝えたら、涙ぐむスタッフさんとか、今年イチショックですって本当に落ち込み出すスタッフさんとか、結婚したら連絡くださいねとか、新婚旅行は絶対に北海道ですからねとか、最後に会えて本当によかったですとか、ごめんなさい、これは自慢です。私の自慢です。いつも自慢ばかりですみません。見栄っ張りなんです。ものすごく小心者なんです。でも、こんな自慢ができるのも、こうして自分の記憶の中にずっと高い温度のまま残しておきたいなぁと思える言葉をかけてくれるスタッフさんがいるのも、結局のところ、自分が単純で分かりやすい「いい人」だったからなんだと思ってさ。社内でも「いい人」だったから、札幌を出た途端にDMで長文送り始めちゃうんだろうね。

今日はいろんな現場に顔を出して最後のお別れを告げて盛大に感情まみれのコミュニケーションを取ってきたわけなんだけど、だから同様、社内でも盛大な最後のお別れがあるんだろうなぁと密かに期待をしていて、「橋本さん…これ…」って花束とかハンカチとかそんな類のものを贈呈されるのかなぁと思っていたわけなんだけど、現実は意外にもあっさりとしていて、だから自分も感情を押し殺してあっさりと札幌を後にしたわけなんだけれども、まぁ、だからその後に後悔をして、「もっと感謝を伝えておけばよかった!」と思い始めて長文のDM送りつけてるんだけど、でも、でもさ、社会ってこういうものなのかな。出会いと別れが、これまで自分が経験したことのない速度で繰り返されてしまうから、だからちょっと無機的なのかな、なんてことを考えている。でも、それらに対して自分は抵抗をする。もしそれが社会だとしても、もしそれが今いる会社だとしても、自分はちゃんといい人であり続ける。そうして、最後は盛大に挨拶をして感謝と愛を伝える。これは、自分の決意。

マンスリーを飛び出しいざ出勤!のタイミングで自分を照らす札幌の太陽、ふー退勤!のタイミングで落ち着きを与えてくれるネオン色の道路光、そこにあるというだけで心が整う大好きなシアターキノ、どことなく仙台を感じさせてくれる札幌の街並み、それら全てをこんなにも愛しはじめたところだから、札幌の街や人を好きになってきたところだから、僕がこの街に安心を覚え始めたところだから、だから俺は他の場所へ行くのだろうね。ばらの花でいう「安心な僕らは旅に出ようぜ」という歌詞。それに続く「思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」という歌詞も自分にぴったり。だって、この文章を書いてる飛行機で大泣きしてるからさ。でもそれは、これから自分が思い切り笑うために必要なこと。「あんなに近づいたのに遠くなっていく」って歌詞はさ、ずっとずっと東北に帰りたいと思っていた自分も、ようやく札幌を好きになって、なのに離れていく。「だけどこんなに胸が痛むのはなんの花に例えられましょう」は、まさに今の自分。これからもみんなと一緒に札幌で働きたかったなぁと思っているのに、東京に戻ってしまうから、胸が痛い、心がね、きゅーって、狭くなっている。この気持ちを表す言葉なんてあるのかな。唯一、今の自分の心境を例えるものがあるとするなら、それは、花言葉すら知らない「ばらの花」なのかもしれない。

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