それでも世界に何かを求めようとして

僕たちが信じてるものなんて所詮ウソっぱち。
愛だの運命だの奇跡だの、うるさい。ぜんぶぜんぶ、ウソ。ただの客観的事実に、本人が過剰に意味付けしてるだけ。主人公でありたいのだろう。ドラマチックに生きたいのだろう。アホくさい。僕はそれらを嘲笑う。

どうしようもなかった。生活は朽ち果て、堕ちるところまで堕ちた。自分の力で這い上がろうとはしなかった。心底、死にたかった。

エッセイを読みたいと思った。本屋でエッセイを買った。実態なく、なんの効力も持たないエッセイをどうして手に取ったのだろう。何かにすがりたかった。何かを信じたかった。小説を読むようにページをめくった。30分ほどして分かった。エッセイは力を入れて読むものじゃない。すべてが書かれてあると期待するものじゃない。一字一句見逃さないように文字を追うものじゃない。エッセイなんてのは、眠れない夜にふと本棚から取り出して、適当に目が留まった箇所を読んでおけばいい。瞬間的に気分が和らいで、朝になったらエッセイを読んだことすら忘れているような、そんな付き合い方が望ましい。それでもあの時の僕は、このエッセイにしがみついた。どの文章、どの言葉が、今の自分を救ってくれるのだろうと探し回った。自分が選んだエッセイに、運命的な言葉の出会いを望んでいた。食い付くように文字を追った。もしかするとあの瞬間の僕は、この世界を諦めてはいなかったのかもしれない。愛とか運命とか奇跡とか、出会いとか別れとか、美しさとか苦しみとか、生きていくことに何らかの意味を付け加えようとしていた。こんな世の中を、こんな自分自身を、週刊少年ジャンプの主役みたいにドラマチックに生きたいと、奥の奥の素直な心が叫んでいるのかもしれなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?