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これにも意味がある、の呪縛

休むことにも、「頑張って休む」タイプの私。

頭は常に何か考えてぐるぐる。
人の話を聞けば、色々と定義し、会話を何か意味づけしようとする。
面白いことがあれば、このご縁がどうつながっているのか考える。
辛いことがあれば、何の課題が来たのかと考える。

そうすると、毎日毎日、色んなことがあって、充実感がある。
と、思っている自分もいる。

ただ、それは、「自力でなんとかしようとしている」状態なのだと、神話塾で言われた。

天命を全うするということは、天に使ってもらうこと。
自力でやるということは、天からのメッセージを全然聞いてないってこと。

意味づけしないで淡々と。

最初聞いたときには、すごく反発したくなった。
ただ、反発は置いといて、とりあえず受け止めた。

すると、さとうみつろうさんのブログにも目が留まる。
「起こることしか起こらない」
「起こらなかったことは、起こらなかった(それが起こる未来などなかった)」

ここで、そうか、それを起こそうと、
または、起こらないようにしようと、
躍起になってやること自体が不自然で、

委ねるというのは躍起にならないこと、

何もしないということではなくて、
日々、一喜一憂する自分も眺めながら、
やることをやる。

私なら、今は子どもに授乳して、おむつ替えて、抱っこして。

そうなんだって思った日から、
この、子育てのある意味単純なことが、とっても楽しくなった。

日々のもやもやを乗り越えるために、これまで毎日のようにやってきた、
「これにはなんの意味があるんだろう」
それはもう卒業して。

眼の前のことをただただ味わおう。



ついつい、頑張りすぎてしまうあなたに。「いい人であろう」と、無理しすぎてしまうあなたに。ほっと一息つけますように。