資本主義に踊らされる意志

「これって俺に必要なんだっけな?」

と思う事象が増えてきた。自分は渋谷と鎌倉をメインに生活しているんだけど、資本主義に動かされてるんじゃねえか?という理由で北海道はド田舎の実家にプチ移住してみた。(まだ1ヶ月くらい)

幸福はセロトニンが土台にあってこそで、ドーパミンはその上にあるスパイスに過ぎない。この仮説が正しいと言う前提で文章展開していくぜ。
(参照:精神科医が見つけた3つの幸福)
読まないと損するで。

日本の都心は外的ドーパミンに頼った生活に陥る構造が蔓延してる気がした。つまり、幸福を感じにくい。渋谷に出てみたら、性欲が浮いて見えるもんね。いやでも自分の意志が歪められる。深刻なのはそうした自分の行動が、自分で意思決定していると勘違いしてる点にあるよなあと。

焼肉だ、メンエスだ、カラオケだ、飲み会だ。それらは本当に必要なんだっけ?本当に必要としてる人は中にはいる。でも、それを問う機会すらないんじゃないかね。

意識的にそれを享受するか、無意識でそれらに踊らされてるか、は似て非なる態度だと思う。

僕もサイバー時代は朝から夜まで働き、そのストレスを糧に暴飲暴食爆飲みパラダイスな毎日で、最初はそれが楽しいし、自分の意志で動いてたと思ったけど、そんな生活って実は無味乾燥で何も豊かではなく、1年程してこれは違うなと直感で思った。

ドーパミンに振り回される生活って、実は幸福ではない。

そんなことを再認識して北海道はド田舎の実家にプチ移住中なのだ(まだ1ヶ月くらい)

朝起きて、コーヒー飲んで、仕事して、少しだけランニングして、犬の散歩して、また仕事して、サッカーゲームして、本読んで、散歩して、あゆみとお話しして、寝る。基本的にはこれしかしてないんだけど、28年間ちゃんと生活をした経験がなかったのか、結構疲れる。そして、意外にこれ以外何もいらないないし、充実感に溢れてしまう。

外にある刺激を追い求める生活より、内にある地味でも自分との約束を守るって、小さな変化を楽しむ生活が、こんなに楽しいことを初めて知った。とはいえ、自分との約束はめちゃくちゃ破ってしまう。めちゃくちゃ強敵。

話は少し変わって、エジプトで半年間生活してたとき、そこに集うヨーロッパ各国の友人と幸福について議論した。

エジプトには本当にエンタメがない。酒も飲める場所が僅か、SEXもできない、エンタメ施設も殆どない。なので、みんなが大事にしてるのは、日々の食事とシーシャ、豊かな人間関係、違法ではあるが警察の前で吸っても問題ないハシーシュ(大麻)くらい。後は週末にあるプロサッカーリーグの試合。

ヨーロッパもエジプト程ではないが、やはりエンタメは少ないらしい。みんな週末のサッカーを楽しみにしつつ、日々の食事や生活、つまりセロトニン的な幸福に根付いた日々の活動に重きを置いている。(話は逸れるが岡田監督も欧州にサッカーが根付いてるのはエンタメが少ないからと言ってた。)

無駄な誘惑がないから、本質的に幸福な生活を送ってるのが、エジプトであり、ヨーロッパの人々なんだなと。

かといえば、日本の構造が問題と言ってる訳ではなく、むしろ社会にエンタメが浸透してるのは貴重なこと。ただ、本当に意志を持ってそれらを享受しているか?という視点は非常に大切な気がする。資本主義のマーケティングに踊らされて行動してないか。

その軸を持ってドーパミン的刺激に溢れたエンタメを享受する姿勢があれば、日本は本当に素敵な国だなと思う。一方で、それらに飲み込まれないようにする必要がある。逆に、欧州エジプトの方々は構造的にセロトニン的な生活を送れる環境があるだけな説もあるので。


そんなことを思いながら、今のところ自分にとって本当に必要あるいは残ったものって、知的好奇心と、豊かな人間関係くらいなんだよね。あれだけ毎日飲み歩いてたお酒も、吸わないと死ぬのではないか疑惑が浮上していたシーシャも、ないならないでそれで良かったりする。

仕事を軸として、サッカーゲームして、ポーカーして、愛犬と遊んで、あゆみ(56歳主婦母親)とたわいもない会話して、知的好奇心をくすぐる目的で本を読んだり、人に会ったり、お散歩しながら日常の中の非日常を探したり。自分から不必要なものを削ぐと、案外残るものは少ないんだろうな、と思いましたとさ。あ、あとは、おっぱい揉みたいです。

それでは、おっぱい!





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