理想の自分像を持ってる人と持っていない人に差を感じる

理想の自分像を持ってる人と持っていない人って生き方の美意識や熱量というか色々差を感じます。

なので色んな人を見た上で理想の自分像を持つことって大事なんだなーって最近は思います。


理想の自分像を持たない人の生活


人は誰でも「こういう生活がしたい」みたいな願望はあると思いますが、「将来こういう人になりたい」「自分はこうあって欲しい」という理想の自分像があるかどうかは人によってマチマチなようです。


「理想の自分像」ってあってもなくてもどっちでも良いと思っていました。


しかし理想の自分像を持たない人って自己実現のためのアクションを起こさないから基本的に時間を持て余していてヒマなんですよね。

かといって現状に満足しているわけでもなく、周囲の人間を許容できるほど達観しているわけでもないから、他人に過干渉していらんことするイメージがあります。


生活を向上させる努力をするわけでもなく、自己研磨するわけでもなく、けど他人にケチつける人ってまあまあ最悪ですよね(笑)ロクなことしません。


例え他人に過干渉しない場合でも本人に覇気がなく死んだ魚の目をしている様子をみると「理想の自分像」はあったほうが本人のためにも良いんだろうなと思います。


理想の自分像を持ってる人は自分で忙しい


一方で「理想の自分像」を持ってる人は自分のことで忙しいです。

自己実現のためにアレコレ予定を立てて行動して一歩一歩近づいていきます。

傍から見たらよく分からないことに無駄なことに励んでるように見えますが、本人は楽しそうです。俗な言い方をするとキラキラしてるんですよね。

見る人によっては意識高い系にうつって鼻につく存在かもしれません。

でも「理想の自分像を持ってる人」って自分の美意識に反する行動をしないように自分で律するので他人に対して害を与えることは少ないと思います。嫌味は言うかもしれませんが、言葉は選ぶ印象です。

理想の自分を持たない人の場合は善悪はモラルの問題が主な判断基準で、生き様に対して美意識を張るという概念がなさそうなので、他人から見てみっともない行動をしがちです。

そういう行動の部分でも差を感じますね。

理想の自分を持つことは本人のため


理想の自分を持つ人は、課題に向けてクリアできるように努力するし、ハードルでも乗り越えた時には達成感を味わって自身の人生を充実させていきます。自分で障害を設定して人生の喜びを噛みしめているんですよね。結果的にそれがメリハリになるんです。


自己実現のためにドタバタしている人種にとっては人生は短いですが、理想の自分を持たない人にとっては人生って長くて眠くて退屈なんじゃないかと思います。夢とか目標が無くても生きて行けますが、絶対に退屈になるし後は死ぬのを待つ状態になります。


なので最近は「理想の自分を持つこと」は大事なのではないかと見直しています。

せっかくなので気が向いた人は紙に書いて整理してみると良いかもしれません。

ちなみに「理想の自分像」のハードルが高く設定して、完璧に近づけないことを悩む人は逆に鬱になるので気を付けて下さい。あと努力にも方向性というのが存在するので、間違えたら笑われます。そこは慎重に考えましょう。


理想の自分は持つべき

むかしに書いた記事ですが、理想の自分像に向かって努力したほうが良いという結論になっています。


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