現実はヘッポコ!人も社会も過大評価してはいけない。
「現実はヘッポコである」
これは私の座右の銘です。考えたのも私です。
人も社会も過大評価してはいけない
私が学生の時、社会人として社会に出て働くのが恐ろしかったです。
ポンコツな自分が優秀な人たちの中で、完璧な社会を送れっこないと決めつけていたからです。
怯えつつも大学卒業してすぐに社会の荒波に放り出された訳ですが、学校の外にいる人達はみんながみんな優秀という訳でないことに気付きました。
むしろ出来が悪い人がそれなりにやっていってるのを何度も目撃しました。
学校のクラスメイトよりも幼稚で社会性のない大人は沢山いました。
そして社会というか、会社というのは完璧でないというのに気付きました。
隙だらけ、穴だらけで、とてもいい加減。
組織としてポンコツで欠陥だらけでも会社は回ってるのです。
この不完全さに安心感を覚えました。
人間関係のトラブルも振り返れば大したことなかった
人間関係などのトラブルも何度も巻き込まれました。
当時は大事件のように感じましたが、今振り返れば全部大したことないのです。
色んなケースがありましたが、共通して言えるのが、ねちっこくしつこい性格の人が原因で揉めてるのがほとんどでした。
各人がキレイさっぱり割り切って淡々と働けば良いものの、好きか嫌いか、嫉妬や恨みなどの個人の感情を社会でも出すせいでややこしくなってる印象です。
「社会性=感情をコントロールして、協調性を発揮して物事を円滑にする」ことだと学生時代から自分なりに定義づけていました。
社会に出て働いてる人のほとんどは社会性のない人ばっかりなんだな、と思うようになりました。
現実はヘッポコである
学生時代の自分は人にも社会にも「異常に過大評価」していたと思いました。
正体不明で分からないから怖かっただけ。蓋を開けてみればこんなもんです。
非常にくだらなかったのです。
社会の人の不完全さに安心を覚えると同時に絶望しました。
小学校のイジメ同様に大人だらけの会社にもイジメがあることを知るように。
そっから座右の銘の「現実はヘッポコである」が誕生しました。
迷った時にこの言葉を唱えると、悩みの本質が大したことなくレベルの低いものということに気付かされます。
大勢の人がパニックになっても、一緒になって錯乱状態にならないし、他の誰よりもシンプルでいられる魔法の言葉です。
あと一つ言えることは、世の中の人はパニックになりやすい、悩みの深みにはまりやすいこともセットで覚えておいてください。損はないです。
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