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猫の苗

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映像が作品として形成されるオーソドックスな経路である

この体系を経て、時間作品は、細密で幾重にも多面で、見る人の心に宿るものとして機能する物になる、逆に言えばその結末の成就のために作り出された定義や言葉が上記の状態名称だ。

私自身、動画を作る際は上記の基礎を重んじる

重んじようとするが、チャート経路は抽象画が出来る勢いで迷路する
ファイナルファンタジー。

しかし、それは他者から見た拡大度の問題で
自分としてはルールは放棄していないし真っ当な旅路でもって行なわれている。

何が言いたいかと言うと
ネコミミモードの動画は支離滅裂で混沌とした代物に見えるかもしれないが、ちゃんと、月ノ委員長と照らし合わせたこれ以上ない本寸法の集合体だよという事だ。

言ってしまったら途端に不安になってきた。

構成

ネコミミモード、ディミトリ・フロム・パリが作り出したこのホワホワとした中毒性のある曲は
依頼を受けた当時、全く知らなかったのですぐに調べて原曲を聴いたが、原曲には原曲があった。ありえないほど洒落ていた原曲に驚愕したのは今でも覚えている。

構成を考えて行こうと、ネコミミモードを聴き続けていった。

歌ってみたの企画なので、視覚的なカバー、パロディという体でいってみようかと考えた、参考するために月詠というアニメの曲の部分を見にYouTubeで検索をかけてみた。

、、、、


色々言いたいことがあるが、いろいろ諦めた。さっきのナシ。

ただ、取りつく島もない訳ではなく内容としては考察させる余地と言うか
揺さぶりを掛けるように素材や表象作用の仕掛けが散りばめられてるように感じ、私はその視覚的楽しさの点で、図像の合戦ができうるなぁと考えた。

だんだん私の中の設計図に、ピントが合ってきた。

下ごしらえ

「猫の映像はどこかのサイトのものでしょうか」と聞かれた、猫の映像は全部私が撮影したものだ、使い勝手もいいし何より著作問題がナニである。

映像の所々に現れる猫は全て、自分の飼い猫か野良猫である。

中盤に出てくる野良猫は私が過去作った動画で登場した猫の素材で、多少の化粧を施して流用させてもらった。

次に

ネコミミモードと言うからにはネコミミこそ不可欠だ、動く猫はあるが
ネコミミをどうしようと考えたとき
昨年の、大学同期と忘年会に行った際の事を思い出した。

大学の仲良くしていたグループとそこから芋づる式につながる人間たちとで行う、学生とOBだけの忘年会に毎年参席しているのだが
2018年の忘年会でも私は小食ながらローストビーフをちゃんぽんしていた。
会場のレンタル時間も切れて、さて二次会と参りましょうと仲の良い集団が集まるも、普通の飲み屋に行ってもつまんねぇし、なにか色味の違う空間はねぇかなぁと議論が始まった。
「メイド喫茶いってみようぜ」という提案をした。
周りは
「それだ!」
と満場一致した、22時の闇の世界に
極彩色の男女が社会経験の名のもと進行を始める、ナビタイム。

目的地の某メイド喫茶に到着後、喫茶のある階へエレベーターで上がっていくがギリギリ2人重量オーバーだった。

案内のメイドと私だけエレベーターから降り非常階段で喫茶へ登っていった。

入り口で掃き掃除をしていた案内メイドだったので箒を指して、私は会話を試みた。

「その箒、飲屋街なのでタバコやゴミなどたくさん取れるでしょうね。寒いのに頭が上がりません。」

「この箒はお仕事の国からお家へ帰るまでに乗っていく箒なんですにょ。」




到着後、席に着き入国の儀が行われた。

微細な風速に感応するセンサーが光源と連動する最新テクノロジーのロウソクに息を吹きかけると柔らかな火が灯った。カードに名前も記した〔もちろん仮名〕

魔女に名前を奪われた感覚でいると、カゴを持ったメイドちゃんが近付いてくる。
カゴには白と黒2種類のネコミミカチューシャが詰め込まれており、付けろと言う事だった。
(助けて助けて助けて助けて。)

この時に撮ったネコミミの写真が
動画ではアイコンとして使用されている。

このネコミミアイコンは動画内で3つ並べられ
時とともに並び位置がバイオハザードの記号へと変容していくアニメートをしている。

安直なオマージュではあるが、月ノ美兎にかぎらず、vtuberというものの解釈としてとても適解な表示かもしれない。

(上はp-modelのアルバム、「音楽産業廃棄物」のアルバムアートの一部)


ネコミミモードの動画内には西洋絵画が混ぜ込まれている。

フェルメールとゴヤの作品から数点選び出したものであるが。こちらの意図としては絵画の中の意味よりも、「情報」そのものに対しての私の考えを入れ込んでいるものである。

フェルメールとゴヤ自体そんなに好きじゃない。

月ノ美兎は以前、都市伝説になりたいと話していた。

日常に異変を仕掛け、表層より深い部分の階層に漂う伝承、情報というものに、そして、その媒介者としての行為に憧れている彼女のその思想に、とてもvtuberしてる人だ、、と私は思った。

私自身の考えるVtuberというものは、そもそもに電子的なお化けである。

その際たる例として鳩羽つぐだ。
取り組みや波紋の広がり方、視聴者との距離感がこの上なく正解である。
ただ、鳩羽つぐは答えであるがゆえに寒々しい、そこがまた良質な観測的楽しさに溢れてもいるのだが。

月ノ美兎は形こそ違えど、情報の幽霊としてアーカイブされていくコンテクスト形成にこの上ない聞きごこちの声色で、好奇心をあらわにしていた。

彼女は状態ではなく彼女自身なのである、
事象そのもので、そして変容する。

それはもう見ずにはいられないし、目を離してはいけない。

絵という形態、そのレイヤーの隙間に夾雑物として混入する、あるいはしていく存在、複製物に脚色が生して伝達していく様が服を来て踊っているのが月ノ委員長である。絵画に意味なく、映像に意味ありというわけだ。


おぉ怪文書。
今回はここまで。


制作はまだまだつづく。













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