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風呂上りの変性意識状態でメモ的

お風呂に入っている時は何故だかアイデアが豊富に湧き出てくる。やはり何らかの変性意識状態なのだろうか?
今日今しがたはアイデアというよりはも少し整理に近かったけど少しスッキリしたのでパンツでメモ。

情報の消費
消費という言葉を辞書で調べてみると

人間の欲望を満たすために物財を費やす行為。消費は人間生活を維持,向上させるために行われるが,この点からみれば経済活動の基軸をなす生産は最終的には消費を目的としているといえる。一般的には以上のような個人的,日常的消費をいうが,社会的にみると生産的消費と非生産的消費とに分けて考えられる。つまり物財を生活のために直接費やす個人的消費が非生産的消費であり,他方物財を原材料などの形で生産過程に投入することによって費やす消費が生産的消費である。消費は貯蓄とともに国民所得を構成する重要な要素で,個人消費と政府消費とから成る。政府消費には,行政的経費のほかに軍事支出なども含まれる。所得に対する消費の割合を消費率あるいは平均消費性向という。

「人間の欲望を満たすために物財を費やす行為」
この物財を広義の知財に置き換えてもほぼ同様のことが言えるとも思うし実際そういう論もあるんだろうし、情報の消費という現実もある。
高度消費社会においてはこれは更に複雑かつ呪術的に私たちの前に立ちはだかって時に絶望とは言わないまでも諦観に近い感覚に陥ってしまう。
どれだけ素晴らしいムーブメントも、正しき行いも、ある一定以上の拡散周知を経てこれに収斂されてしまう。
どの位の数が閾値になっているのか?導き出した研究とかあるのだろうか?
消費されないで正しさみたいなものが生き残っていく術を、特にメディアなどに関わる人たちは真剣に考えないとならないタイミングに確実に来ているんではないか?と思う。

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