仮題:空の向こう


 あの空の向こうには何があるのか?

 こんな疑問に答えを教えてくれる人は誰もいない。空の向こうなんかじゃなくてもいいから、まずはこの日本というあまりにも普通で、普通過ぎてそれが当たり前になり、顔におしめを当てて歩く集団に見慣れ、その影響で感情が根こそぎはぎとられ、笑顔がそこいらじゅうから消えた世界。それが原因でよくどこか異国の地でユウユウと生活している夢を見る。ずっと醒めないでほしい夢。朝日が死ぬほどキレイで、夕日が泣けるほど悲しく見える夢。そんなことはおかまいなしに隣人はいつも同じ時間にトイレを使い、情けない屁を数発こいて、僕を無理やり現実に戻す。はぁーっとため息しかでない。

 「今日もまたくそつまらない一日が始まる」

 モチベーションなんてものはない。日常から日常へとたんたんと続いていく毎日に終止符を打ちたいがいったいどうやって?金なんて稼いでも取られるだけ。生きていくだけで、精一杯。笑い方を忘れた人間に生きている意味なんてあるの?果てしなく続く自問自答はうつ病へのいざない。すばやく頭を振って正気を取り戻す。

 朝食なんて気の利いたものは誰も作ってくれない、食べてもクソとして排出されるだけなら、何も食べないほうがいい。犬も食わない合成食糧なんて食べても、寿命を縮めるのみ。そこら辺に生えている雑草を食べたほうが健康的。科学処理されまくって、水という概念を超えた透明な混合液ないし世間一般では水道水と呼ばれる代物を飲んでも長くにわたって体に悪影響をおよぼし、どす黄色いションベンとして生態系を破壊するだけ。汗を飲むか、塩一つまみで十分。あればの話だが。でもこの前、汗だくのTシャツからしぼりとった汗が乾燥して塩になったのがまだ残っているはず。それでも舐めて、正気を取り戻す。この辺の日本人的合理性には感謝している。無駄はとことんまで省く。それにけだるい月曜は乱雑に出掛けたほうがいい。家でだらだらしていると、ついつい仮病を使って仕事を休んでしまう。
 
 その前に全国民に義務化されたションベン検査がある。世の中とても便利になったもので、トイレに備え付けられたAI付便器がお小水を分析してくれる。何かのウィルスを探しているようだが、はっきりしたことはわからない。生まれた時からずーっとやっているから、それが当たり前なので、余計なことは口をはさまない。尿検査とは?なんてネットに検索をかけるとすぐにUEにばれて、更生合宿所送りになる。便器に憎しみをこめて、ドス黄ションベンをぶっかけると、
 
 「タバコの有害物質が検出されました。すぐに病院に行ってください」

 決まったように同じことを言われる。病院へ行くと、すぐに禁煙セラピーが始められる。何種類かの薬をもらい、それを使いだすともう人間じゃなくなる。何もする気がなくなり、ただただ呆然とその薬のみを求める。タバコは止められるが、数年後には廃人になる。ゾンビのように街を徘徊している連中を嫌というほど見てきた。廃人狩りが合法化され、ミドルクラスの連中は狩りに出かける貴族気分で、狩りを楽しんでいる。褒美まででるので、それで食っているやつもいると聞く。ミドクラハンターたちが人を見る目は狂気に満ちている。今すぐ狩ってやるからな!という具合で僕たちを見下している。ソーシャルクレジットですぐに相手がどの階級に属するか分析されるので、どうしようもない。それに武器や防具の携帯が許されないパンピー階級(一般大衆)はどうあがいたって、刀や弓から命を守ることは難しい。

 仕事場にはいつものように、テープをズーズーっとのばした音が響いている。同じ長さにテープを切り、それを貼る。エンドレスリピート作業。なんか気の利いた音楽でもかかっていればありがたいんだけど、そんな気の利いた人間がこんな職場にいるはずがない。私語厳禁なんて時代錯誤の標語ポスターが昭和レトロチックな雰囲気を醸し出している。今働いている世界一の企業はオンラインショップサイトの長江の下請けでパッケージング用の段ボールにテープを貼る仕事を請け負っている。なんでも本国の下請けよりテープがキレイに貼られるから、この仕事だけは日本人にやらせたいようだ。
 
 休憩時間になったので、タバコを吸いに外へ、そこで転機が巡ってこようとは夢にも思わなかった。

 「山田さん!久しぶりじゃないですか!もう辞めちゃったと思ってましたよ」
 
 山田さんは休憩中によく一緒にタバコを吸っていた、タバコ友達。近年、健康志向と物価高が高まるにつれ、喫煙者は減少の一途をたどっているが、タバコを止めたら生きるのがほんとにつらくなりそうなので、僕にはできない。稼ぎの大半はタバコに貢いでいる。

 「林くん、久しぶり。ちょっと有給を使って穴掘りさんのとこに行っていたんだ。君もおいでよ?価値観変わるよ」

 有給?そんなもの、あってないようなものだと思っていたが、よくよく考えてみれば、働く労働者たるもの、有給を取る義務がある。大半の人間は周囲の目を恐れて、使ってないようだが、そうだ、僕には有給がある。成人して初めて希望なるものを体感した。それに突き動かされるままに、昼食の後に上司のAIロボットの元へ足を運んだ。

 「有給?なに馬鹿なこと言ってんだよ!今さっき山田が仕事場から消えたんだよ。トイレットペーパーに辞めますってメッセージ残してな!だから無理」

 もう何も恐れることはなかった。山田さんもきっと有給を使って生きてることを実感したんだ。一生このままテープを切るだけの生活の繰り返しじゃ、元も子もない。生まれてきたのには何か理由があるはず。明日じゃ遅すぎる。有給をとれない労働者はただの奴隷だ。こっちから頭下げてお願いしているのに、バカ扱いされた。もういい。僕は決心したと同時に、テープの端をつかんで月曜のけだるい午後の光へ走った。

 とまぁ、駆け出してはみたものの、まったくどうしていいかわからなかった。有給が取れなかったうえに、仕事を勝手にやめた。直感的な衝動は間違っていなかったはず、まずはタバコに火をつけて、煙を天まで届けてから、山田さんに電話をいれた。

 「もしもし、山田さん?」

 「はぁーはぁ、はぁー。どうしたんだい林くん?」

 苦しそうに山田さんは応答した。

 「僕も仕事を辞めたんです。でもどうすればいいのかがわからなくて、それで電話をいれました」

 「今すぐタバコ屋にこれそう?」

 「はい、わかりました」

 電話はすぐに切れた。山田さんはひどい痛みに耐えているような感じがした。タバコ屋につくとばあさんがタバコをふかしながら、ぎろっと義眼ではない目でこっちをにらんだ。

 「あんた林だろ?山田から聞いているよ。ほら、あそこの猫の首輪に伝言があるから読んでみな。あんた、覚悟はできているのかい?全てを捨ててまで得るものがあると思うかい?働きながらタバコでもふかして生きたほうがよっぽどましだと思うけどね。まぁ、あんたも人間じゃということだわな。タバコのみは普通には生きられないと言うからの」

 僕にはばあさんが言っていることはあまり理解できなかった。仕事をやめたぐらいで、いったいそれのどこが普通じゃないと言うのか?仕事を続けるにしろ、僕はきっと死んでいただろう。生きながら死んでいくぐらいなら、仕事を辞めて、自由になり死んだほうが、まっとうな人生を歩んだ気がする。若気の至りでも、何でもいい。不感症のゾンビになるのだけはごめんだ。
 キレイな黒猫に近づくと猫は、ニャーとかわいい声をだして、顔を僕の足にくっつけてきた。この猫は少しかわった猫で、タバコが大好きらしく、煙を吹きかけると嬉しそうにノドを震わせた。しばらくは会えそうにないので、たくさん煙を吹きかけてやった。首輪には小さなSDカードと短いメッセージが巻き付けられていた。紙は何か赤いものがどすっとこびりついて、

 必ず地下鉄のXX駅構内で再生するように

 とだけ書いてあった。街から少し離れたその駅に僕は向かった。

 今ではとても珍しい駅で、乗車券を購入しないと駅にははいれなかった。生体ID認識システムはまだ街の中心部でのみインストールされており、WIFIすら接続できない環境であった。山田さんに言われたように、駅構内で左手の薬指につけられた愛フォン指輪に小型SDを挿入すると脳のどこかに埋め込まれたサイバーナノテック機器が脳内で動画を再生した。なので、他人には一切見えない。

 動画は五秒ぐらいで終わった。

 「大木にこい」

 とだけ文字が羅列していた。

 山田さんは木が好きらしく、よく木のことについて語ってくれた。その大木と呼ばれる木は少し離れた町のはずれの小さな森の中にあった。一度だけ山田さんが僕をそこに連れて行ってくれたことを覚えている。確かそこには、穴掘りさんと呼ばれる高齢の男性がいて、その大木から少し離れたとこに穴を掘っていた。その情熱は並々ならぬもので、かなり長い間掘り続けているらしく、穴掘りさんの手のひらはフライパンのように硬かった。
 
 「どうして穴を掘っているのですか?」

 と問いかけたが、不思議な含みを持った笑みでうまくかわされた。

 山田さんは休みが出るとよく穴掘りの手伝いに行っていたそうだ。兎に角、急いで僕はそこに向かった。

 大木がある森は新鮮な空気が感じられて気持ちよかった。山田さんはよくこの森の土を食べていた。腐葉土にはいい菌がたくさんあるので、腸にかなりいいと言って、土まみれの口で僕に熱く説得するので、食べてみたがあまりうまいものではなかった。それでも山田さんは昼食の弁当にしていたので相当気に入っていたようだ。
 少し暗くなっていたが大木はすぐにわかる巨大な幹を天高くまで伸ばしていた。あたりを見回しても、だれの姿もなかった。穴掘りさんが掘っていた穴は確かこの辺だったけどなと

思いながらウロウロしていると、急にあたりが真っ暗になり、どこかに落っこちた。枯葉の山に落ちたお陰でケガはしていないようだった。

 「よく来たね林君」

 どこからか山田さんの声が聞こえてきた。目が慣れてくるとうっすらとシルエットが見えてきた。

 「穴掘りさんは?」

 「消されたよ」

 「消された?」

 「たぶんUEかハンターたちにね。これだけ頑張ったのに、とうとう自分の目で確認できずに。僕らにも時間はないから、ちょっとついてきてきてよ」

 階段になっているらしく、僕たちは穴の奥深くまで突き進んでいった。五分ぐらいしてようやく山田さんが立ち止まった。

 「ここさわってみてよ」

 山田さんに言われたとこをさわると冷たい滑らかな感触があった。自然界にはあまりなさそうな感じの手触り。手を上下左右に動かしても途切れない。山田さんがライターで火を点火すると、ライターをかかげた山田さんが僕の前に立っていた。僕は唖然とした。だって山田さんは僕の後ろにいるはずなのに。理由は案外シンプルだった。山田さんは巨大なガラスに反射されていた。

 「ガラスですか?こんな地下深くに。」

 「一服しようか」
 
 苦くて懐かしい香りがあたりを充満すると山田さんは語りだした。

 穴掘りさんは自分では320歳と教えてくれた。彼がまだ少年だった頃はこの木はもっと巨大だったらしい。どんな木登りの名人もてっぺんまでは登れなかったが、穴掘りさんはやり遂げ、そして彼は己の名前、年月、登頂時間を木に彫りこんだ。青年になった穴掘りさんは外国に出稼ぎに出かけた。どこかの国の大金持ちが、砂漠で世界一高い塔を建設する現場で汗水たらしながら30年間働いたらしい。何でもその塔は直径が100キロぐらいあり、らせん状に上にどこまでもどこまでも上に続いていたらしい。で、高いところが大好きな穴掘りさんはついつい金持ちが許した人間以外立ち入りが禁止されたその頂上に登ったんだ。頂上からの見回す景色は、自分の目を疑う程に美しく、その衝動で万歳をしようと思い手をあげると何か硬いものに手がぶつかったんだ。信じられるかい?遥か上空のかなたに何か硬い物質があるなんて!その時に杖として使っていた棒切れがそれにあたってしまい、そこからは水が漏れだした。驚いて呆然としている穴掘りさんをどこからか、呼ぶ声がした。

 「すぐふさがるから心配しないで」

 優しい女性の声だったらしい。そして、次に気がついた時には山田さんは日本の病院のベットで目覚める。五年間意識がなかったそうで、目が覚めても何も思い出せない。自分が誰かもわからずに回復後は病院を追い出されて、各地を転々とし、記憶の回復に努めたそうだが、どの街並みも思い出せない。それでもあきらめずに歩き続け、そしてある日、この大木を目にしたんだ。懐かしい感じがして、近づいてみて、はっとしたらしい。そうだ!この木だ!無我夢中でよじ登ったそうだよ。不思議なもので体は木登りを覚えていたんだ。木のてっぺんで穴掘りさんは、少年時代に自分が彫り込んだ名前を発見する。全ての記憶が一瞬で戻り、また万歳をしたらしい。地上に降りてきた穴掘りさんはもう一度大木を見つめなおし、違和感を覚えある重大な事実にぶち当たる。木が縮んでいるんだ。確かに少年時代の穴掘りさんは小さくて、成長した自分が勘違いをしているんだろうと思い、もう一度てっぺんに戻って、過去の自分が掘り残したメッセージを見直す。
 
 穴掘 太陽 xxxx年 xx月xx日 登頂タイム 90分

 穴掘りさんは少年時代から腕時計を身につけていて、よくタイムを計っていたお陰で、この木が縮んでいることに気がついたんだ。大人が五分で登れる木を、子供が90分もかけてはたして登るか?最初、彼はきっと誰かが木を切ったのではないかと疑ったが、それはありえないと即座に悟った。そりゃそうだろ?木は下のほうから切るんだから。そしたらてっぺんのメッセージが残るはずなんてありえないんだ。

 山田さんは二本目のタバコとろうそくに火をつけた。

 
 

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