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未知の惑星からやってきたモノ

クソ87という謎の物体が鼻の中に生息しているというニュースが全世界を一斉に駆けめぐったのは、2000年一月一日であった。Y2K問題も無事に過ぎ去り、ノストラダムスの予言も外れた矢先の出来事で、安心しきっていた人類は、休む間もなく恐怖という奈落の底に落とされた。


今まではただの鼻くそとして認識していた物体が実は、クソ惑星87という遠い惑星よりやってきた、未知の生命体であるということが、国立鼻くそ研究所の見解であった。全世界で30億という途方もない数の鼻くそサンプルを集めて、分析をおこなったクソ研によれば、一度でも鼻にクソ87が寄生すると、二度と取り除くことができなくなってしまい、くしゃみでの空気感染、鼻をほじった後の指先が、何かに触れれば、そこからさらに新しい宿主を求め際限なく増え続ける。感染した本人には、鼻くそが発生する以外はなんの異常も見られないが、メディアは休む間もなく、クソ87関連のニュースをこれでもかと四六時中、一生懸命狂ったように報道した。
感染者数と死者数は、テレビ画面の右上にいつでも表示。なんらかの原因で死亡した人に鼻くそがついていれば、例え、象に踏まれて窒息しようが、大往生しようが、その人の死因はクソ87によるものとなり、人々の不安を駆り立てた。


全世界は感染の拡大を防ぐため、同時多発的に国境封鎖、いかなる経済活動の停止を実行。翌日の一月二日か永続的に続く、全世界鼻ほじらないデイと定めた。日本政府も正月中に異例の国会召集。クソ87緊急事態法を全会一致で可決。その日より、公共の場での鼻孔への指の挿入と、くしゃみの違法化、刑事罰による取り締まりを強化。それに加え、手洗い、公共の場でのマスク着用の義務、3メートル四方への他人への接近禁止、どの対策もクソ87には無意味であった。
人々はただ、鼻の穴を陰でこそこそほじりながら、そこに鼻くそがないのを切に願ったが、そこにはいつもあるべきものが当然のようにあった。


それから5年という年月が過ぎた。四月から中学校に通っている保尻は、学校で居残りをしていた。数学の授業中にいつもの癖でマスクの下から、鼻をほじっているところを、隣の生徒に目撃され、教師へと告げ口をされてしまう。しかも授業中に。


「先生っ!保尻君が鼻をほじっています!」


クラス中がざわめきたった。ある生徒は、泣き叫びながら廊下を駆け抜け、すぐ親に連絡をいれた。事件を子どもの連絡でしった親が教育委員会に通報したため、学校側に対して二週間の学校閉鎖が言い渡された。


担任の山田が教室に入ってきた。マスクの影響でどういった表情をしているのかが見えなかった。大目玉を食らうと予想していたので、保尻は暗く沈んでいた。押さえきれなくなった感情を爆発させ、涙ながらにぼそぼそとぼやきだした。


「先生っ、ごめんなさい。ついつい、いつもの癖で鼻をほじってしまったんです。母からはいつも注意されていました。人前で鼻なんかほじるんじゃないって、でも、あまりにも、授業が退屈で、ついつい、鼻の中に指を、それにこの前、上級生が集団で体育倉庫の中で、鼻をほじっていたのを目撃したので、あーなんだやっぱりみんなやってるんじゃんとタカをくくってしまい、どうにも気がゆるんでしまったんです」


山田先生は、しばらく何も口にしなかった。すると、マスクを外して、あろうことか細く伸びた人差し指を、すっと通ったきれいな鼻の中に突っこんだ。


「あー、せいせいするわ。鼻をほじるなって言われて、ほじらない人間なんてこの世にいないのよ。校長だって隠れてやってるわよきっと。私だってね、家の中ではよくいつも鼻をほじっているのよ。鼻くそを眺めながら、小さいときそれを食べていたことを思い出すの。なつかしいなーってね。なんか、塩辛くて、噛むと歯にくっついたりなんかしてね。それを指先につけて友達と追いかけっこしたりさ。今でも、たまに幼なじみと陰でこそこそやっていたりするんだけどね。禁止されると、余計にやりたくなっちゃうのよね。それに、ほら今日も鼻くそがどっさり」


そうやって、山田先生が見せてくれた鼻くそは、少し乾燥し短い毛までついていた。なぜだか気持ち悪いとは考えなかった。鼻くそとしてしか認識できていなかった物体が神聖さを秘めて目の前に降臨した瞬間のようにも思えた。それを丸めて、ぴっと僕の顔めがけて飛ばした。


「鼻ほじったぐらいでメソメソすんじゃないよ。正直、私もうんざりなのよ。鼻くそにいちいちかまかけている暇なんてないの。クソ87とかいう未知の生命体だかなんだか知らないけど、鼻くそをこの世から消そうなんて考えが無謀なの。あなたが行ったことは何も間違っていないから、これからもばんばん続けてください。そして、ちゃんとどうどうと鼻をほじれる立派な大人になりなさい」


女神が僕の目の前に現れたかの様な衝撃を受けてしまった。平然として鼻をほじる姿に、人間という存在の根幹を見たような気がした。保尻はこのときに、女性のたくましさと美しさを本能的に知った。


学校が休校になって一週間が経過した頃、こんなニュースが飛び込んできた:
教員組合が国会を占拠し、鼻をほじる基本的人権の回復と、クソ87非常事態法の撤廃を要求


少しだけ映し出された映像には、山田先生の美しい姿がそこにあった。


ニュースを棒読みする、いかなる感情も持たないアナウンサーはさらにこう続けた:
「次のニュースです。国営耳くそネットワークと都営目くそラボは共同で声明を発表、それによりますとクソ87が異常な早さで変異しており、耳の中や目にも生息している模様です。この発表を受けて、政府は公共の場での耳栓とゴーグルの着用を義務化。違反者に対しては、罰金及び禁固刑が...」

保尻はなんだか耳の中が急にかゆくなってきた。

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