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『ルサルカ 大阪ミナミの高校生4』観劇感想。「誰かの手をとり自分の足で」

少し前に、とても久しぶりに劇場の裏にはいった。
友人の劇作家オノマリコが、大阪の高校演劇部の生徒たちと共同創作をしているシリーズ『大阪、ミナミの高校生』、その最新作の手伝いに裏方として参加したのである。

PCR検査を受けて小屋入りを果たした久しぶりの劇場。楽屋や受付の用意とか、稽古とかゲネプロとか。
懐かしい、なんて思いつつ、裏の仕事の流れや段取りをすっかり忘れていた自分はほぼ右往左往しているだけで「覚えてないのに懐かしいんかい」と自分で自分にツッコミがはいる感じだったが、やっぱりしみじみ懐かしい気持ちだった。

(創作の現場に身をおくのは好きだ。だけどそのなかで仕事的な役割を果たすことが出来ないので、劇場に住み着いた妖怪みたいな感じでスタッフさんとか俳優さんとかを見ていたいなといつも思う。自分は未だに大勢の人のなかでどう振舞えばいいのかわからないうえに、わからなさを誤魔化せる「仕事できるスキル」もないので、たいていぼんやりするかウロウロするかしかない。若い頃は経験を積めばどうにかなるものだと思っていたけれど、未だにどうにもならないので、多分一生どうにもならないのだろう…。)

『ルサルカ 大阪、ミナミの高校生4』は、人魚姫がモチーフのオペラをベースに、現代の大阪ミナミで生きる高校生達の言葉をパッチワークのように継いで全体を構成している。劇は、同じ部活の高校生達が、互いの名前と愛の言葉を手渡しあうゲームから始まる。大阪だけが海底に沈んでしまった日本で、エラ呼吸で生活している大阪の人々。舞台上に咲く白い花の群生と、高校生達がそれを踏みながら行き来する様が美しい。

海の底に沈んだ大阪から、横浜にやってくるミナミの高校生達。そのなかの1人の生徒ジェニーは、陸の世界である横浜に憧れて、海の底の大阪に戻らず、横浜の高校生になると言い出す。

物心つく頃から地元が沈んでいた大阪ミナミの高校生達にとって、フライドポテトが常にしけっている海の底の大阪は馴染み深い故郷だ。同時に、揚げたてのポテトを食べたり、風に吹かれることができる地上への憧れもあり、陸へ残った友人への複雑な思いがある。結局、横浜の高校生になったはずのジェニーは、恋に破れて海の底に戻ってくる。友人達はジェニーのために奮起し、ジェニーの元カレを殺そうと皆で横浜へ乗り込んでいく。

原案のオペラであるルサルカ、人魚姫は哀しい悲恋物語だけど、大阪ミナミの高校生達のルサルカは、熱い友情の物語だ。
好きな人がいなくても、自分が好きなことをするために陸を目指す。
海の底も好きだけど、そこに沈んで溺れてしまいたいわけじゃない。
恋が成就しなくても、元カレを殺せなくても、誰も泡になんかならない。
海の底で暮らすことに慣れた大阪ミナミの高校生達はエラ呼吸だし、陸で道を歩くと足が痛くなるけれど、「それはそれでまあ、いいか」と笑う。

劇中にある「誰か、強い力で私を楽しい世界へ連れてって」というジェニーのセリフが、個人的にとても胸に痛かった。
というのも、自分もかつてまったく同じことを世界にむけて発信していたし、陸地だと思っていた場所に憧れていたからだ。
その頃はまだ劇作家ではなかったし、今ほどSNSも発達していなかったから、文章や呟きを公表していたわけじゃない。ただ「私は自分で自分を助ける力がありません、助けられると信じていません。だから誰かパワーのある人よ、私の人生を変えてください」という構えでもって人生にむかっていた。

恥をしのんで大変な黒歴史を披露するのだが、大きな白い画用紙に赤いマッキーで「人を信用しない、人は信じられない」とでっかく書いて、それをお守りのように持ち歩いていた10代だった私は、その一方で「自分はこんなに苦しんでいるのだから、そんな私にいつか誰かが気が付いて助けてくれる」ということを強く信じていた。信仰していたといってもいい。その誰かとは、自分よりも強くて、間違いがなくて、私にも正しい指示を与えてくれる、安心なナニカだ。そのナニカは大きな力をもっていて、自分を見つけて憐れんでくれて、手をひいて、今よりもっとよい場所へ連れていってくれる。『大阪ミナミの高校生4』には、そのナニカのような存在として鬼が登場する。
自分が嫌いで信用できないくせに、自分を特別だとは思っていて、「誰か私を楽しい世界へ連れてって」と夢見る気持ちは、今思えば乙女で可愛いのかもしれないけれど、現実を動かす力はないことも、私はすでに知っている。たっちゃん相手に甲子園を要求した南ちゃんのほうが、まだ現実的だしパワフルだ。
だけど、それを願い、まだ見ぬ誰かを信仰してしまう気持ちは、今でも痛いほどよくわかる。

私個人の話から言えば、「誰か私を楽しい世界へ連れてって」という望みは叶えられなかった。それこそイケメンで人格者の石油王的な人が私を憐れんで救ってくれればよかったけれど、自分の力を信じられず他人に救われることを待っていた間、私に近づいてきたのは、支配欲や支援欲を満たしたい人達だった。
結局のところ彼ら彼女らは私が力をつけることや元気になること、それこそ自分の足で陸を歩くことを望んでいないので(そうでなければ自分の欲を満たせないから)、私はいつまでも、寄せては返す波のような不安や不満のなかでゆらゆら漂ってなくてはならない。そういう人達と関わって、誉められて、一時的に承認欲求が満たされたことはある。だけど私が自分の足で陸を歩こうとすると彼らは「あなたは海の底にいないとダメだ。あなたに憧れの陸を歩く力はない。勝手に陸を歩こうなんてしたら私から愛されなくなってしまうよ」と脅迫してくるので、愉快でもなんでもなかった人生の謎の時期よ。
例のジェニーのセリフや、劇中の鬼の存在に、葬っていたそのあたりの歴史がめちゃくちゃ掘り返されて、羞恥心で泡をふきそうだった。

ジェニーは鬼に誘われてノリと憧れで横浜の高校生になり、自分を心配する友達に「それ私が頼んだことじゃないから」といい、ユーチューバーの彼氏が出来て一瞬バズるけど、横浜で大阪弁の自分をうまく表現できず、フラれて帰ってくるし、元カレを殺すことも出来ない。
これだけ書くと、軽薄で思慮が浅く、恋に殉じる覚悟もなく、「誰か私を楽しい場所に連れてって」という自分のことしか見えてないので、すぐそばで気にかけてくれている友達の気持ちもラストまで受け取れないというダメダメな感じのジェニーだが、どうにも憎めないキャラで、友人達に愛されることで、自分と同じくらい寂しい鬼に手を差し伸べることが出来るようになる。
陸にあがって、恋に破れて海の底に戻ってきたジェニーは、1人ではうまく憧れの地上を歩けなかったけれど、友人達と共に横浜に乗り込んでからは「足が痛くなっても、まあいいよ」と言えるのだ。
ジェニーは、彼女を楽しい場所にさらってくれる誰かとは出会えなかったけれど、自分が歩くのを支えてくれる友人達と出会え直せたのだと思う。
ジェニーだけでなく、同じ部活の友人達もまだ、海に出戻ってきたジェニーに心を寄せて力を貸そうとすることで、鬼と対峙してもNOと言える自分や、友達を海面に引っ張っていける自分や、静岡県を自転車で横断するパワーのある自分に気が付いていく。
「もしもこの世界で愛を感じられなかったら、暗い海の底で永遠に呪われなければならない」
鬼がジェニーに繰り返す、呪いそのもののような言葉。
高校生達は、王子様やお姫様に愛されて救われることはない。だけど、互いに愛の言葉を手渡しあうことで、海の底の呪いに溺れずにいようとする。
恋が叶わなくても泡になんかならねえ、友達を溺れたままほっとかない、というミナミの高校生達。

原案である人魚姫に、こうしたシスターフッド、ブラザーフッドの物語として新しい命を与えたのは、オノマリコと高校生達の共同創作によるものだと思うし、この創作活動そのものが、劇中で高校生達が行っていたゲームのように愛の言葉を手渡しあうことなんじゃないかと思う。

劇中の彼らの世界でも、現実のこの世界でも、海が干上がることなんてないけれど、愛してくれる王子様やお姫様がいなくても、自分がそうしたいと思った時には陸で風に吹かれて欲しいし、水位が増した時に溺れずにいて欲しい。
顔も名前も知らないナニカが、もっとよい別の場所へ連れてってくれることは、大抵の場合夢でしかないけれど、現実の世界で出会う誰かと手をとりあい、自分の足で憧れの地上を目指したり歩いたりすることは、誰にでも開かれている可能性だと思う。

10代の頃の自分はきっと「そんなの無理だ。自分にはそんな可能性なんてない。そんなの綺麗ごとだ。」と思っただろうし、今も、自分で自分を浮上させる力を世界からもらえないまま沈んでいる、たくさんの息が出来ない人魚たちがいるだろう。
作家も高校生達も、きっとそのことを知っていて、彼らを放っておきたくないと思っている。彼ら彼女らの共同創作は、愛の言葉を劇中の人物やお互いへ手渡すものから、世界へ手渡す行為へ開かれている。

黒歴史を掘り返されて泡を吹きながら、今よりずっと若くて愚かで孤独で子供だった自分に声をかけられた気がした私も、この舞台から手渡された人間の1人だ。だから、私が受け取っただけじゃなくて、コロナ禍のなか、感染症対策を講じつつお客様と共に上演したこの舞台でミナミの高校生を演じた彼ら彼女達もまた、彼らに拍手を贈った観客から、世界から、愛を受け取っていて欲しいなと思う。

終わった舞台の余韻や味わいを反芻することが多い帰路で、この舞台の上演後も続いていく、ミナミの高校生達の世界のこれからのことを考えて、そんなことを祈ってしまう。

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