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揺れながら考える。

2024年の元旦が衝撃的な天災から始まった。
まだ救助が行き届いてない地域が多く、亡くなった方、被災した方も多い。
少しでも早く、少しでも多くの人が安心で安全な場にいられるようにと思う。
同時に、被災していない自分の過ごし方について考えるし、同じように考えたり悩んでいたり、無力感を感じている方のことも目にはいる。

思い出すのは、2011年に起きた東日本大震災のことだ。
当時、演劇公演の本番にスタッフとして関わり、同時に被災地に祖父母がいた身として、比較的安全な都内にいる自分のこと、イベントごとなど不謹慎という世間の声を聞いて考えたことをブログにまとめていた。
今読み直しても、あの頃と考えはあまり変わっていないと思う。
私はメンタルが弱いし、大きな出来事に揺さぶられるとすぐに「今、ここ」の自分が見えなくなってしまう。そんな今の自分を支えるために再掲してみる。
あの時、揺れながら考えたことや決めたことに、何度でも立ち返れますように。
そして必要に応じて、その考えや決意をよりよく更新していけますように。

※以下の文章は、2011年3月14日に、東日本大震災に寄せて書いた当時の覚え書きです。


13日に、27才になった。
正直自分でもすっかり忘れていたことを、友達や家族が思いださせてくれて嬉しい。

11日の妹の誕生日に、あの地震がおこり、各地で大きな被害をだした。現時点でもまだ、原子炉や余震等予断を許さない状況が続いている。

私は今日、妹のjazzliveのコンサートへ行き、明日は演出助手として関わった演劇公演の本番のために劇場へ行く。昨日は、地震がおきた時まさにその場所にいた、地上23階の仕事場にも顔をだしバイトもした。
外食もしたし、コンサートを楽しんだ。出かけるためのおしゃれもした。
地震が起きなかったとしても、変わらなかったであろう自分の仕事を、役割を、生活を、できるかぎりしようと思っている。

芝居に関わり、明日も本番の公演に手伝いで入る者として、こうした時にコンサートへ出かける観客として、不謹慎、ということを考えてもみた。

私は旧ソ連解体の時と、国名がロシアに変わってからもう1度起きたクーデターのさい、モスクワで暮らしていた。
道路を走る戦車や銃声、砲撃で黒こげのホワイトハウス。外国人用のアパートのすぐ目の前の広場でのデモ。そんな中でも、学校に行けば、
「ホワイトハウスがブラックハウスに!」
という誰かの冗談で私たちは笑ったし、家族で遊園地にも出かけた。(帰宅しようとしたら、アパートへの道がジェラルミンの楯で封鎖されていて困ったけれど・・・・。)
外出が禁止され学校にも行けない間は、日本から祖父母が送ってくれた「セーラームーン」のアニメのビデオを見たり、マリオカートをして遊んでいた。
窓に足を向けて寝るようにと指示が出され、ベッドの位置を変えたり、夜銃声を聞きながら眠ったりした時も、それがトラウマになるような体験として残らなかったのは、もちろん子供すぎて事態の深刻さを理解できなかったということもあるが、事態を深刻に感じさせない日常がすぐ近くにあったことも大きいと思う。

今現在も、家族や友人の安否がわからない人、長くつらい夜を過ごしている人、今まさに息絶えようとしている人、そしてすでに亡くなった大勢の人がいる。
そんなことは皆知っているし、わかっていることだ。
でも、被災地で今、つらく長い夜を過ごしている方々のために、当事者でない人間が出来ること、しなくてはいけないこと。
それは笑顔を失ったり、誰かを責めたり、生きていることやそれを楽しむことに罪悪感を覚えることではないはずだと私は思う。

100人いれば100通りの祈りかたがある。
そして救われかたも、人それぞれだと思う。

お金や物資が被災地に必要なのは当然だ。
募金すること、節電をすることで助かる地域と人が大勢いる。
遠くにいるその人たちや地域のことを思い、募金し節電することも、彼らに直接触れたり声をかけたりすることのできない人間の祈りかただ。
同時に、ある人にとっては、絵を書くこと、芝居をすることが祈りであり、ある人にとっては、普段通りに仕事に行き、食事し、そばにいる大切な人たちを他愛もないおしゃべりをして眠ることが祈りになると思う。

それらは、人がその生命活動を維持するためには、必要不可欠なものではないかもしれない。
でも人が笑ったり、勇気をだしたり、希望をもつためには、絶対に必要だと思うのだ。
歌に、絵に、アニメや芝居に、どこかで普通の生活を送っている誰かがいるという事実に、励まされる人も絶対にいるし、そうしたことごとやものには、他人の気持を支える力があると信じている。


そうして祈る人たちがいる一方で、事態に便乗して犯罪行為をおかしたり、デマを流したり、「俺の携帯がつながらない。地震なんか知るか。今俺が困ってるんだからどうにかしろ。」というクレームの電話を、貴重な電話回線を一つ使ってかけてくる人間もいる。
それはそれで、個々の在り方だ。
それぞれ、自分の在り方の責任をとって、捕まるなり嫌われるなりすればいい。

私に出来ることは、自分の人生の時間や心を絶対に、仕事などの事情がない限りこうした人間のために使うまいと決意することと、こうした人間と関わりをうっかり持ってしまうような自分になるまいと決めることだけだ。

私達の誰も、スーパーマンになって、つらい思いをしている人のもとにとんでいき、魔法のように彼らを救うことなど出来ない。そのことが哀しいし悔しい。
仙台に住むいまだ連絡のとれない祖父母のもとに飛んでいきたいと思う。津波の被害はないが、ライフラインが全滅している地域に住む2人が無事かそうでないかだけでも知りたい。
寒さや飢えが、今この瞬間にも、高齢の2人を死の淵へジリジリと追い詰めているかもしれない。
わかっている。
それでも、同じ瞬間に、笑っている人、楽しんでいる人、幸福な人がいてもいいのだ。
それは自分や自分の愛する人がどのような苦境にあっても、許さなくてはいけないことだと思う。

祈るしかない。
本当に自分は非力だし無力だ。
でもそのことに絶望して、今生きていることそのものを投げたりしてはいけないだろう。
強くなろう強くなろうと思って、今いる。

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