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【月刊noo】4年に1度の2月って数字多いよね【2024.2月号】

《月刊noo 2024.2月号 目次》
・ごあいさつ ~はじめに~
・エッセイ:ソ連邦のおもひで ~金髪のライサ~
・お知らせ:「みんなが書く戯曲のコンテスト」優秀賞受賞しました
・ブログ:マイ・ファニー・ヴァレンタイン
・ごあいさつ ~おわりに~

ごあいさつ ~はじめに~


関東に初雪がふった2月。めちゃくちゃ寒かったけれど、やっぱり雪景色をみるとテンションがあがります。電車も遅れるし道路は滑るし、靴も靴下も濡れて足が蒸れるしで外出の予定があるとちょっとわずわらわしい雪ですが、幸せだったり楽しかったりした記憶、馴染みのある場所が雪に紐づいていることがおおい私にはやっぱり嬉しいものです。
2024年は元旦から大きな地震があり、その後も心がざわついたり落ち込んだりするニュースが続いて、なんだか一月が長かったような気がします。
厳しい冬が続く被災地には、せめて早めに暖かい春がくればいいなと思いますし、これからはよいニュースが増えてほしい。
寒さと環境の変化もあって1月はあまり身の回りにかまえなかったので、春にむけて自分の生活も「明日報道されるとしたらよいニュースになりそうな1日」にしていきたいです。
目指せ、天然生活とかリンネルに特集組まれるていねいな暮らし!(この時点で煩悩まみれなのでダメそうです)

エッセイ:ソ連邦のおもひで ~金髪のライサ~

私たち家族がモスクワ市内のダブリニンスカヤ、外国人専用マンションに住んでいた頃、なんと我が家にはハウスメイドと運転手がいた。
当時のソ連邦は崩壊間近で経済が弱かったので、外国人というだけでそれなりの箔と経済力がついてくる。そのため、ものすごく裕福でなくても使用人を雇うことがしやすかったのだ。
今はどうなっているか知らないのだが、1991年当時、ソ連邦在勤の外国人は「ウポデカ」という、日本でいうところの職安からしか使用人を雇えない決まりがあった。
(上記はロシア人を現地で雇う場合で、本国から使用人を連れてきている場合はこの限りではない)
あのころ、外国人家庭にメイドや運転手を派遣する「ウポデカ」は、じつは職安ではなくスパイ組織で、外国人家庭をスパイする目的で使用人を派遣しているのだ…というまことしやかな噂があったが、本当のところはわからない。ただ、そんな時代だったかもしれないソ連邦崩壊まぎわな時期であった。
ちなみに「ウポデカ」の真偽は不明だが、外国人の自宅は盗聴されているというのはデフォで、実際に母が聞いたエピソードに、ある年のクリスマスに自宅でパーティーをしていた某国の大使館員が、酔った勢いで天井にむかって「こんなクリスマスの夜にも我が家を盗聴しているKGBの面々はお気の毒だね、メリークリスマス!」と煽ったところ、速攻でその家の電話がなり、電話の向こうから「メリークリスマス」と返事があったという小話があったそうな。笑えるけれど笑えない話である。

さて、ダブリニンスカヤのドーマの部屋に落ち着いたころ、モスクワの我が家にも「ウポデカ」からメイドが派遣されることになった。
日本にいた頃は、本のなかのお姫様のお城とか外国の貴族のお屋敷とかにしかいなかった存在が、モスクワではお姫様でも貴族でもない私の家でも現実になったのである。
初めて我が家にメイドとしてやってきたライサは、超ベテランだった。
陶器のような白い肌、金色の巻き毛、明るい青い瞳。子供の私の目から見るとすごくおばあちゃんに見えたけど、実はそれほど年寄りじゃなかったかもしれない。ただテレーザというすごく美人な大学生の孫娘がいたので、それなりの年ではあったと思う。
小柄で痩せてかくしゃくとしていたライサは、私たちと入れ替わりで帰国した日本人家族のもとで働いていたので日本人の雇い主になれていたし、母いわくすごく有能だった。
さぼり癖もなく、無駄なおしゃべりもせず、勤務中に酒も飲まず、料理がうまい。
ただ眼光が鋭くてブルドッグのような険しい表情だったので、子供の私から見るとちょっと怖かった。絵本やお伽噺にでてくるお姫様の友達のような優しいメイドさんではなく、アルプスの少女ハイジに登場する悪役のロッテンマイヤーさんに見えたのである。
ライサにはテレーザという孫娘がいて、時々ライサの代わりに子守に来てくれる彼女のほうが私は好きだった。目がぱっちりして色黒な美人さんで、黒くて長い豊かなちぢれ髪を太いお下げにしていたテレーザは日本語がいっさい喋れなかったけど、小学2年生と幼稚園だった私たち姉妹には、一緒に遊んでもらうのに言葉は大した問題でなかった。
ちなみにライサも日本語を話さなかった。日本人家庭にながくつとめてるので簡単な指示は通るようだったが、私の前で日本語の文章を話しているのを見たことはついぞなかったし、母もライサに仕事を頼むときはロシア語でやり取りしていた。私たちは母のようにロシア語を話せなかったけれど、あまり不便を感じたことはなかったと思う。
テレーザはほどなくしてフィンランドに留学することになり、ライサのかわりに私たちの相手をしてくれることはなくなってしまった。
一度だけ、テレーザに自分のお小遣いでいくらか払おうとしたことがある。何がきっかけがよく覚えてないけど、テレーザが何か私にいいことをしてくれて、そのお礼のつもりだった。
「メイドにはそうするものだ」と思って私が差し出したルーブルをテレーザは受け取らなかったが、その時の、いつも私達ににこやかだった彼女の、困ったような悲しいような少し怒ったような顔を今も覚えている。
それは小学2年生の私がまだ触れることになれないもので、理解はできないまま、ただそこに「ある」ことだけがわかった複雑さだった。

お知らせ:「みんなが書く戯曲のコンテスト」優秀賞受賞しました

鳥取県にある鳥の劇場が企画した「みんなが書く戯曲のコンテスト~障がいのある人の生活・思い・願いを演劇台本に~」で、私の作品『Bamboo』が優秀賞を受賞しました。

受賞式会場にて

生まれて初めて鳥取県にいき、授賞式にも参加してきたのですが、このコンテストの関係者の方々の、差別のない社会へ、世界をよりよく拓いていこうという志がとても高くて、初めての場所で初めての方々と大勢会うことにとても緊張して不安だったのですが、よい授賞式でした。
障がいのために外出したり動くことが難しい方々のなかにある、たくさんの言葉を世の中に表現していく機会にしたい、と、このコンテストへの思いを語っている方もおりましたが、私もこの企画が未来へ続いていくよう願っております。

ちなみに付き添いの方一名まで同行可能だったのでオノマリコさんに付き添いをお願いしたのですが、私が鳥取いきの前日まで「あすは鳥取県の鳥の劇場での授賞式に参加するために兵庫県に行くんだ」とか言っていたので、ついてきてもらってよかったです…。自分の言ってることや認識のおかしさになかなか気づけないの、ASDあるある…!
そしてなんと別件で坂本鈴さんも鳥取いりをしていたので、はからずも劇作家女子会。メンバーの3名が鳥取県に揃うことに。嬉しい偶然でにっこりしました。

鳥取駅前にて

受賞式以外では、絶対行きたかった鳥取砂丘がやはり圧巻で印象に残っています。
空と海にはさまれて人気のない砂のうえに立っていた時の、自分が小さな点になったような心許なさと解放感のようなもの。
調子にのって海側まで降りて日本海に足をつけたのですが、帰りに疲れて砂丘を登れなくなり、日が暮れてきてめちゃくちゃ焦ったことなど、単純に初めての場所というだけでなくて、自分の枠の外にある場所へいって帰ってきた感がありました。
鳥取県、また行きたいです。

コンテスト関係者の皆様。
難しい人間である私をいつも陽気に励ましてくれる劇団劇作家と劇作家女子会。のメンバー。これまでにお力添えを頂いたご縁ある方々。
そして、『Bamboo』という作品にとっても私にとっても大切な存在である彼女たち。
私を生かして書かせてくれるさまざまなもろもろへ、心より感謝いたします。
ありがとうございます!

ブログ:マイ・ファニー・ヴァレンタイン

2024年のヴァレンタインは、自宅で私の私による私のためのチョコレートパーリィをひらいてました。

チョコフォンデュ用のお鍋でチョコを溶かして、リッツやマシュマロ、イチゴも用意して洒落乙な気分にひたる自分。
若い頃はヴァレンタインのたびにいらぬ創作意欲が湧き出てしまい、世界に一つだけのチョコというオリジナリティの追求にいそしんでいましたが、そんな私も今や立派な大人…。

そう、チョコにカレーとか、チョコにこんにゃくとか、チョコにふりかけとかいれない、自宅で赤ワインをかたむけつつ、お洒落にチョコフォンデュを嗜む立派な大人になったのです。

そんな立派な大人の私、ふと思いたってしまったんですね。
そうだ、「スモア」を作ってみようと。
「スモア」というのは、焼いたマシュマロをチョコと一緒にビスケットやクッキーに挟んだお菓子。一度も食べたことがないのですが、某漫画を読んでからずっと気になっていたのです。オーブンがないので本格的には作れないかもしれませんが、ここにはチョコもクッキーもマシュマロもある!
ということで、なるべく簡単なスモアのレシピをネットで検索してみます。

一昔前の自分なら、作ったことのない料理にチャレンジするのに直感とイメージだけでなんとかしようとしてたと思うので、レシピをちゃんとググるの、我ながら進化がすごい。
ポケモンならメガシンカ級です。

そう、進化したはずだったのですが…。
なぜか私、ネットのレシピにあった「マシュマロを遠火で焼く」と、「マシュマロを直火で焼く」と、読み間違えてしまったんですね。
「遠火」と「直火」…
私が作ろうとしていたのがラップの歌詞だったらいい感じで韻をふめたのでしょうが、あいにく私が作ろうとしていたのは歌詞ならぬ菓子…。
料理において、遠火と直火はかなり違う調理過程…!
が、空目した情報を信じきった私。
フォークの先に突き刺したマシュマロに、チャッカマンをファイヤーします。直です。直焼きです。当然ですがマシュマロ、あっというまに焦げていきます。真っ黒です。
でも「こういうものなのかな?」と思った私は、そのまま直火を続行。
マシュマロが燃えだしてさすがに「なんかこれ違うのでは…?」と気がつきました。遅い。
炎上するマシュマロ片手に一瞬途方にくれましたが、幸い目の前にはチョコフォンデュ。
溶けたチョコのなかに燃えるマシュマロを突っ込んで、どうにかことなきをえましたが、マシュマロは炭に…。
一応、リッツに挟んで食べてみましたが、「スモア」にかすりもしない何かになってました。
ついでにチョコフォンデュも焦げでちょっと香ばしく…。

チャッカマンの火力の問題かしら?とレシピを読み直して判明した、私の読み間違い。
悪いのはチャッカマンでなく私でした。いつものことですね、はい。
でも大事には至らなかったし、その後に遠火で焼いたマシュマロをチョコにつけてリッツに挟んで食べたら美味しかったので、世はなべてこともなし。
オリジナリティの追求などしなくても、私として生きるかぎり私は私らしい失敗も成功もしていくのでしょう。
私の私による私のためのヴァレンタインも、なかなかよいものでした。

ごあいさつ ~おわりに~

今年の2月はうるう年ということで、ギリギリ29日に月刊noo、更新ができました。
うるう年バンザイ。
そして更新日がこんなに不定期なのにいつも読んでくださる方、ありがとうございます!
それはそれとして4年に1度の2月って数字多いですよね。
2月は寒暖差の激しい日が多くて自律神経がやられがちでしたが、さすがに日が長く暖かくなってきたので、3月は気持ちよく過ごせる日が多いといいなと思います。
誕生月でもあるので、楽しみや喜びに気持ちをフォーカスしていきたいです。
皆様も、どうぞ健やかに春を迎えられますように。

鳥取砂丘の「馬の背」より
日本海をのぞむ
春がきた








サバイヴ:





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