見出し画像

最近のこと

幼なじみの友達が2人目の子どもを出産した。帝王切開で産んだその日に「生まれたよ」と連絡をくれた。無事でよかった。
帝王切開、医者の腕によるのかもしれないが、私は長男の時に大量出血して術後の意識が朦朧としていた。しかし2人目の時はめちゃくちゃ元気だったので、次の日から筋トレをしたら普通に怒られた。
その友達のお母さんは昔からちょっとキビキビした感じの人で、最近ちょこちょこ家族一緒に会う機会があったのだが、お母さんだけ挨拶しなくなった。私が出産した時にちょっと喧嘩っぽくなったので(昔ながらの価値観を否定してしまった)いよいよ嫌われたな〜と思っていたのだが、実は重い病気で話せなくなっていた。

幼なじみの友達が出産したとき、私の母は還暦を迎えた。父も還暦を迎え、両親の還暦祝いを企画しないといけなかったのに年末になってしまった。子どもたちの世話が忙しいと言い訳をして先延ばしにしてしまった。いや事実でもある。お店を予約するにも乳幼児が数名いるのでなかなか難しい。という言い訳だよ。わかってるよ。
いっそカラオケでもいいかなと思い始めている。うちの父親は、ちょっと引くくらい歌が上手い。めちゃくちゃ上手い。声がとても澄んでいる。父も上手いが、祖父はのど自慢の全国大会に出て盾を授与された。歌手デビューの話もあったが断った。その盾がいま実家に飾られている。弟も歌が上手い。実家にいる頃はよく弟と2人、朝までカラオケで歌った。私の声は母に似てしまったのが残念。
夫はカラオケが大の苦手で、何かトラウマがあるのだろうかと思うレベルなのでカラオケには行かない。こういう時に付き合ってもらってもいいのかなと思った。還暦祝がカラオケってどうなんだろうね。

幼なじみが出産し、母親が還暦を迎えたとき、別の友達の父親が亡くなった。突然のことだった。
朝、息子を幼稚園に送ろうとしている時に友達から電話がきた。こんな時間に何?と思って電話を取るとお悔やみだった。
友達の家には昔よく遊びに行った。お父さんはいつもニコニコして「もっさりちゃん、いらっしゃい」と声をかけてくれた。友達はなんか不思議な服を収集する癖があり、それを友達の部屋で私に着せて、よく大笑いした。原宿で買ったという、全身アルミホイルで出来てんじゃねえか?という銀ピカのワンピースを着せられ、こんなんどこで着んねん!!と大爆笑したり、お互いの服を交換してみたり、そんなことにどハマりしていた頃があって、お父さんにもよく会っていた。
お父さんにはラーメンに連れてってもらったり。イベントに連れてってもらったり。

通夜で棺のお父さんに会わせてもらった。穏やかな顔をしていた。間違いなくあの頃から変わらないお父さんだった。
通夜っていつもそうだけど、棺を覗くまではどこかで嘘だろうと思っているのに、顔を合わせた瞬間、懐かしさや思い出、現実感に後頭部を鈍く叩かれる。

ここでは省略するが通夜でも色々あって、どっしりと疲弊してしまった。自分の人生そのものに響くことがあった。
友達が帰りに弁当を渡してくれた。一緒に参列した、農家の男友達と駐車場へ出て、男友達が夫や子どもたちに家族に挨拶する。息子はこないだ彼の農家で芋掘り会があって、「おいものおにいさん」と呼んでいた。「落ち着いたらまた遊びに来なよ」と言ってくれた。

家に帰ると、ほんの短い時間に、夫と子どもたちがケーキを作っていた。

すごいね、よく作ったね、と言うと「見た目にこだわってないから」と夫。でもなんとなくフルーツが並んでるように見えるし、ちゃんとスポンジの中までクリームとフルーツがぎっちり入っていて、美味しかった。
「ママ、おいしい?パパと、ぼくが、作ったの!たべて、たべて!」とニコニコ話す息子は、このまま愛に溢れて育ってくれたらいいなと思った。
通夜で友達からもらった親族用のお弁当をつまみながらビールを飲んだ。

次の日は、子どもたちを義実家に預けて、夫と2人で私が好きなお店にラーメンを食べに行った。昨日の通夜でラーメンに連れてってもらったことを思い出していたので自分なりの弔いだった。

好きなものをたくさん食べさせてもらって、なんだかとても回復した。
これは夫の愛だなと思った。
お返しに私は夫の髪を切った。べつに美容師でもなんでもないヤミ美容師である。でも自分で言うのもなんだが、結構上手い。
美容師になりたいとは微塵も思わない。赤の他人を綺麗にしてあげたい気持ちはさらさらない。夫だけが自分好みに格好良くなればいい。これは私なりの愛である。

いろんな形の人生があるね。私は都留文科大学を受験したかったが不登校になって色々ダメになった。でもおかげでいまここにいるんだなと思う。

何の話だろう。人生振り返り期間でした。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?