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徒然

何か頑張りたいことがあるかどうかという目標が見つからないのは、人として辛いなと思う。
子どもを育てることはそれなりにやってるけれど、一瞬でも気を抜けば死んでしまうという責任というか恐怖というか、あんまり前向きな気持ちではない、少しでも間違えば事故や事件やいろんな悪意に触れてしまうこととか、自身の幼少期のようになってしまうとか、そんな感じで過ごしている。記憶が嫌でも蘇るので、自分で自分の首を絞める作業でもあったりする。ああこの言い方は母親だ、とか、身に覚えがあると蘇る。記憶のなかの像に似ていく現状がしんどい。

1歳の子どもは油断すると風呂場に入ってドアをがちゃりと閉め、ふろ自動ボタンを押してお湯を沸かしてしまう。ある程度力がついてきたのでドアを何かで押さえていても浴槽のふたを閉めてもどけてしまう。溺死しないよう栓は常に開けているが、解決方法がとにかく叱るしかない。そういう諸々が増えてきた。叱るというのはエネルギーがいる。
4歳の息子は何でも自分でできるようになって自信がつき、駐車場でも手を繋がなくなってきた。私は必死に叱るけれど夫はわりと放置しているので、買い物に行く時なんかは、私が1歳の子守りをしてふと見ると、2人てんでバラバラの駐車場敷地を歩いている、というようなことが多々あるので、息子も夫も叱る作業を何度も繰り返してる。

5年ぶりに外で飲んだ。外で飲み会をするのは結婚して初めてのことだった。私自身の友人と呼べる誰かと会うことも年始以来だった。と考えると、狭い世界でよく生きてたなとも思うし、大人ってそんなもんだろうなとも思う。
夫は私がふざけるのをあまり良く思わないので日々めちゃくちゃ真面目に生きているつもりでいる。このまま、まともな人間になるんだろうなと思っていたのに、人間の性分は5年では変わらないなと思った。夫が嫌いな下ネタとか、夫が嫌いなカラオケとか、路地裏の飲み屋、絶対冒険しないから頼まないよくわからんメニュー。そういうものに懐かしい匂いを覚える。そういえば私は工場にいた頃はこうして過ごしていたな、と懐かしい気持ちになった。行きつけのスナックのママの唇にキスして「この人まじでやばいんだけど」と真顔で言われたこととか、課長と一緒に川に飛び込んだこととか思い出していた。
前の晩、大の字で眠る子どもたちを見守って寝ようとすると、珍しく夫が隣で横になって「明日は何時に帰るの」というような話をした。普段はこちらをあまり気に留めないわりに私が外に出るのに抵抗があり、しかしそのまま私の横でぐうと寝てしまい、せっかく来たのに向こうに移動するのもな…と、ベッドから落ちるか落ちないかギリギリのスペースで寝付けない夜、いろんなことを考えてしまう。

息子のクラスにめちゃくちゃな暴れん坊男子がいる。うちは園の保護者参観を欠席したのだが、親たちがいる中でも転んだ女の子を突き飛ばしたり、蹴ったり、めちゃくちゃだったという。息子も彼にトイレで頬を叩かれたとか、その子が嫌で泣いてしまうことが多くなった。
保護者参観では先生もその子の保護者も、暴れる彼に何も言わず見てたらしく、参加した保護者たちの間で話題が持ちきりである。あそこの開業医の息子だとか、家は3階建ての豪邸に住んでるとか(まじでデカい家がすぐそこにある)、だから先生たちも何も言わないとか、とにかくお迎えのときはその話題だし、確かに私が先生に事情話したときも「子ども同士なので間違ってぶつかっちゃったんじゃないですか?」みたいな反応で、しかしこちらは既にある程度のクレーマーですからね、は?何?そんな感じなんですか??という態度を貫いて結局子どもに謝ってもらったんだけど、日中の様子分かってる園側にそんなこと言われてどんどん信用がなくなる。
「もっさりさんちめちゃくちゃ近いから登校班とか一緒だね…」と言われて、うわーという気持ちでいる。すげーやだ。いじめっ子になったりしたら医者一家相手にどう戦うのか考えている。周りの大人への不信感もある。
振り返ってみると私の地元でも、駅前の病院の息子がサイフに数万円入れ、私が当時バイトしていたコンビニで遊戯王カードを3万円分とか買って、欲しいカード以外は子分たちにばらまく、ということがあった。店長たちも「買ってくれるから大量に仕入れたよ」とか、「今日は全部買わないの?」とか小学生相手に話しかけてて、なんか歪んでんなと思った。金があれば大人すらすり寄ってくる世界でどんどん歪んでいくだろうなと思ったことを思い出している。

最近よく聞く配信者の方がいる。ある重病を患いながらも明るくゲーム実況をしている。
彼のことはYahoo!ニュースで知った。記事を読んだ衝撃で一晩眠れなくなった。こんな理不尽なことがあるのだろうかと思った。しかしあまり憐れむのも色眼鏡をかけるのもよくない、と思って、検索して配信を見始めたら、なんか普通に面白かった。

私より2回りほど年下の従兄弟Aくんは発達障害やADHDなどいくつかの特性があり、学校で同級生にいじめられ、先生にも殴られて、特別支援学校へ転入した。生まれた時から知っているAくんは心優しい子で、子どもだった頃は「もういらないよ」と伝えても、たべて、たべてと一生懸命私の口に自分の好きなキャラメルコーンを運んで食べさせてくれる子だった。いまは私の息子の面倒もすすんで見てくれる。今までたくさん、いやな思いをしてきたことにすごく心が痛んできたけれど、大人たちの色々な事情があってしてやれなかったフォローも多く、それも重ねて心苦しかった。
いま彼は障害者施設で働きながら「YouTuberになりたい」と言う。
そのAくんの姿を私は彼の配信に重ねている。

日々の目標どころか明日に怯えながら生きることはひたすら長いトンネルを歩かされている気持ちになるが、少しでも足取りが軽くなるように鼻歌を歌いあったり、酒で憂鬱を振り落としたり、そうして生きることだって何一つ後ろめたさはないはずだ。光を目指す生き方だけが正しいわけじゃない。そんな生き方こそ理解者がいるのは心強いわけで、願わくばそれが日常であるような近い場所であってほしいとも思う。そうした意味でも家族というのは良くも悪くも足取りに大きく影響するわけで、やっぱり結論は出ないまま、怯えながら子どもたちにとっての光を模索している。

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