見出し画像

追悼しない

身内でもない他人の死についてつらつら語ったりダラダラ喋るのは野暮である、というのが34年間生きた小生の自論である。

人間の身体というのは、我々が思う以上にホルモンだとか血液だとか色々な成分に支配されており、ひとつひとつの細胞や分泌物が複雑に絡み合って骨や筋肉を動かして今iPhoneを叩いている。糖代謝をぶっ壊したときに人間の身体は表面では分からないことが多々あると痛感した。それは自律神経だとか心だとかそういう部分も含めてだ。

生物が必ず行き着く死という事実は事実でありながら誰も分からない終着点であり、だからこそ我々はそれに囚われ、美化したり悲観したり勝手な想像まで膨らませる。私は勝手気ままに使われる死という材料が嫌いだ。単に嫌いだ。その人がどう生きたのか。足跡を巡り、かけらを拾って、太陽に透かして見るような。旅立つ誰かを思うのはそういうものであってほしい。

高校生の頃に出会ってから一瞬で夢中になった。唯一無二のバンドだと思う。今でも愛している。アベフトシに会えただろうか。
ライブは行ける時に行くべきだと思ったよ。

合掌はしない。これからも聴き続けるからね。我々の中でいつまでも生きているよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?