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余興

「はじまりはいつも雨」


その曲が生まれた30年前の僕は、そんな流行曲なんてリアルタイムで知る由もなく、「あぶ刑事」ごっこで走り回るただの小学生(僕はタカ役)。
友達の少ない僕にも、その頃から付き合いのある「親友」と呼べる一人の友人がいる。

その親友と、僕と、その曲の話。


同じ町内に住む彼とは、小学校の頃から毎日一緒に遊び、同じ時代を過ごしていた。
ファミコンに明け暮れ、無駄に駄菓子屋に通い、時に線路上を隣町までひたすら歩く、通称「スタンドバイミー」という遊びに没頭したのも今となってはいい思い出である。
何の因果か、鉄道事業に従事している今の私はただ謝ることしかできませんその節は本当に申し訳ございまs

時を戻そう。

世は小室ファミリー全盛期。
世間が流行のCDを買い漁る中、私はサザンオールスターズ派、彼はCHAGE&ASKA派という謎の派閥が出来上がっていた。
お互いの「推し」をしぶしぶ貸し借りしているうちに、チャゲアス二人の飛び抜けた歌唱力とメロディセンスに気付かされる事になる。
僕はすっかり魅了され、私の人生の邦楽2大巨頭はこのとき確定された。

高校生になって学校こそ別れたが、今でいう生粋の「陰キャ」に分類された僕らは、部活動に入ることもなく、相変わらずうちに入り浸って遊んでいた。
そんな中、ふとしたキッカケから一緒にアコースティックギターを始め、二人で「歌うこと」に目覚めた。
当時流行の「ゆず」をコピーし、毎日大声を張り上げて共に練習した。
僕らの歌の中には不自由がなかった。
路上デビューも夢はるか。日々鍛錬こそ積んではいたが、自他ともに認める僕の「臆病」スキルが発動してそれは叶わなかった。

高校を卒業すると、彼は歌をもっと勉強したいと大阪の専門学校へ進み、僕は地元の山陰で就職する。
気づかぬうちに、「やりたい事」を見い出し、大きな決断をしていた彼との別れに、戸惑いと寂しさを感じつつ、都会の絵の具に染まらないでと送り出した私の心は木綿のハンカチーフ。

彼は専門学校で大好きな歌を勉強し、新たな仲間と出会い、卒業して一端の社会人となった。

そして、僕はハードロック・ヘヴィメタル、彼はジャズ・ソウルと音楽的趣向こそ個性的に分かれていったが、お互い音楽と共にそれぞれの日常を過ごした。

相変わらず彼はマメに帰省してくれ、情報交換は欠かすことがなかった。
大阪生活でも、地元の方言を頑なに貫き、私の心配をよそに、見事なまでに染まらないでいてくれたようだ。


そして、数年後。全く女っ気のなかった彼が、運命の人とめぐり逢い結婚することとなる。
親友の祝いの席に、僕は全力を注ぐことを決めていた。

人見知り学園を主席で卒業している僕は、この時ばかりの一大決心をする。
彼が大阪の専門学校時代に仲良くしていた二人の友人に、内緒で余興への協力を仰いだのだ。
もちろんこれまで、私と彼らの接点はない。
山陰という陰湿な県民性(偏見)の自分が、でんがなまんがなの関西人(偏見)と果たして上手にからめるのか、一抹の不安を抱きながらもSNSを通じ連絡を取った。
一人は頭脳明晰そうでシュッとした好青年A(東京在住)。もう一人は、オーディション番組に出演するべく渡米した経歴もある破天荒な好青年B(タイ在住)。
二人とも、当時ボーカル専攻だった。

二人は大きな心で受け入れてくれ、お互いビデオチャットで何度かやり取りした後、日々の個人練習で各自その日を迎えた。

式前日、大阪のカラオケボックスで初顔合わせして、そこで数回リハーサル。

そして、本番。

僕が友人代表スピーチをした直後、突如ギターを取り出して奏でるあのイントロ。


「はじまりはいつも雨」


なんの経験値もないただの少年だった当時の僕らは、歌詞の内容こそよく理解できなかったが、この染み渡るメロディだけで十分夢中になれた。
僕も、彼も、大好きな曲だ。

僕が歌いだすフリをして、その好青年ふたりに歌い始めてもらうというダブルサプライズは見事成功。
繋がるはずのない「地元の友人」と「大阪の友人」同士が織りなす夢のコラボ(?)で会場を大いに沸かせた自負はある。自負するのは勝手である。
震える手で爪弾いたあのギターソロは今思い返してもドキがムネムネする思い出である。


お互い家庭環境は変わったが、今も変わらず二人でASKAのコンサートへ行き、涙し、帰りの居酒屋で語らう、そんな仲である。
このご時世、なかなか会う機会も減ってはきたが、僕らはいつもこの曲で繋がっているのだ。


今思い返すと、最初に買ったギター教本の課題曲が「はじまりはいつも雨」だったのもただの偶然じゃないそんな気がすると、いう話さ。

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