見出し画像

どうして教えられると思ったの

これは数年前に、教育学部の後輩にふと尋ねた言葉だ。

あの時の私は、サークルで先輩から引き継ぎの資料だけもらって、後は勝手にやっといて!と放り出されて、後輩に何をどう教えようか四苦八苦していた。

だから将来は先生になろうと思い、信じて疑わない教育学部の後輩に尋ねた。「どうして子供たちを教えられると思ったの?」と。

後輩はひどく驚いていた。「今までそんな質問されたことがありません。どうして先生になりたいと思ったの?ではないんですか。」
うーんと後輩は悩んで、結局答えは聞けずに会話は次に移った。

ほとんど誰だって知っている。TOEICの点数が高くて、難しい数学や物理の問題が解けて、歴史や地理を詳細に暗記して、読解力があれば成績は自動的に上がるってことに。そのための参考書やハウツー本が書店に所狭しと並んでいるのを見たことがあるはずだ。

しかしその一方で現実が非常であることも知っている。本人のやる気とは裏腹に、勉強時間が長いだけでは成績が上がらないということも。勉強しているように見えない、わけのわからない好成績な奴がいることを。どんなに苦労しても、成績が頭打ちになる人が多いことも。

ほとんど誰だって、勉強ができないよりはできた方がいいと思っている。

これは私が迷っていたことだ。後輩に教えるために必要なことは、まずどのレベルの話からすべきなのか。興味を持ってもらうにはどうすればいいのかと。私は時々後輩に言っていた「私の1年間でできるようになったことなんて、君たちが本気になってネットで調べて覚えたらなら3日で追い越せる」と。

私は先輩にほっぽり出されて、自力で勉強した。だからとてつもなく効率が悪かったと自覚している。自分が一つ一つバラバラに覚えたことは、それこそ後輩に教えようと思ったタイミングでよくまとめられたサイトに出会った。

でも私は教える能力は、勉強して身につけていなかった。だからこのサイトにまとまっているから見ておいて、と言って情報を探す時間は短縮できたかもしれない。しかし結局私を追い越したのは4人中1人だけだったと思う。

そしてその後輩たちもまた上手くは受け継げなかった。結局後輩のそのまた後輩になると、私が頑張った成果すら失われた何かになっていた。

つまるところ教えることはどんでもなく難しい。自分が知っていることと、相手が知っていることの差分をとって、何からなら興味を持ってもらえるのか、本人のやる気を上げる方法を見つけ出すにはどうするか。と言うより本人のやる気をいかに維持させるか。

後輩のために数万円は使ったと思う。環境があるだけではダメだと学んだ。

今は適切なタイミングを見極めて、アドバイスを送る形に落ち着いている。後輩は自分なりに考えて無駄に思えることをする。自分も似たような道を通った。だからやってる途中で教える。最初から言っておけばよかったのかといえば、そうではないと思う。

私を追い越した後輩は、私のできることではなく、私のやっていることを見ていた。そしたら知らないうちに、私が言ったサイトよりも、より網羅性の高い本を自分で買っていた。

教える。と言うことを教わる。このハウツーもいっぱいある。実践すると不器用なせいか、今までと成果に違いが見れない。とりあえず本棚の肥やしにしておく。

後輩に尋ねた質問は、今も私の中でまだ渦を巻いている。

何かを書く練習ですので、サポートいただけると最高に喜びます。