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些細なことに心が動く、もしかしたら、幸せを紡いでくれているのかも


すぐに消えちゃうような光だったり、雲の形だったり、夕日だったり、朝陽だったり、人のふと見せてくれた笑顔だったり、指のしぐさだったり、うっとりする声だったり、ちょっと弱音を吐いた時にもらえる優しい言葉だったり、知らなかったことを教えてもらってわかった!という思う感覚だったり、できなかったことができるようになることだったり、褒めてもらったり、飛行機がバシバシ飛んでることとか、宅急便が時間通りに届くとか、今日も洗濯機も食洗機も動いてくれているな、よし!そこにいてくれるみんながいることを意識する時とか、約束していて、お互い会った瞬間にあなたから溢れる笑顔、子どもがわたしをママちゃんて呼ぶこと、

ちょっと疲れてきたから、ここまでにしておくけど、挙げていったらキリがない、心が動くこと。それがホンの一瞬でも。


あっ、嬉しいな、よかったな、楽しいな、シアワセだなって、微笑んでしまう。


それは私にとってはいつものことなので、気にしていなかったのだけれど、もしかしたら、それを全部何かに留めておくようなことができるのであれば、何か美しいものを残せるような気がしてきました。

何か美しいもの。

この世にあるものや起こっていることは奇跡的で、わたしたちは慣れてしまって忘れがちになる。


なんとなくぼんやり、わたしはいつもシアワセを感じてるなって思うんだけど、嬉しいな、よかったな、楽しいな、シアワセだなって思えることにいつも出会えているし、そっちのことばかり考えちゃう。逆に考えることは、なるべくしない。そういう時も時々あるけど。


今MacAirに向かってるけど、シアワセを感じていることを挙げるとしたら、
私の大好きな可愛いMacAirが働いてくれて、電気も通ってるし、子供も部屋で楽しそうにしているし、だからnoteを更新できているし、自分の健康状態も良好だし、本当にシアワセだなって思います。もし無理やり悲しいことを言ってくださいと言われたら、起こっている戦争のこと、能登半島のこと、義理の母の容体、まだまだ心配なことたくさんある。

でも時間とエネルギーは限られているから、考える時間をどう配分するか、自分次第。


ちょっと話がそれちゃったんだけど、
今日言いたいことはそこではなくてね。

わたしはとても些細なことなのだけれど、心を動かされて、そこから幸福感を得ているのかもしれないと気づいたような気がします。
だから、その些細なことを些細なこととして流さずに残しておくのはどうだろうか?


そんなことを思ったのでした。


また明日

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