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何も書きたくないし、話したくもない今だからこそ無理やり書いておこう

タイトル、暗っ。ってクラクラします。
何も書きたくないし、話したくもない今です。
でも、タイプするならできる。とにかく今は本当はアウトプットなんてしたくないです。

旅の疲れです。もうただ横になっていたいカラダに脳みそが洗脳されて、
「休め」
と言ってくる。

今もそう。カラダがやすめと言っているのに、反抗しています。
こんなときだからこそ、普段呑気に能天気にヘラヘラ前向きではない私のことを書き留めておくことができるのではないか?

なーんて、自然の摂理に合わないことをしています。
ここでいう自然の摂理というのは、もうお分かりですよね。
速攻休め
です。

今はすぐに思い出せないけれど、私は

”自然の摂理の中に生かされている”

と確信して、とにかくその中で自然に反しない生き方をしたいと思ってきました。でも、そうすることで、
人からどう思われるだろうか?
ということが最大の難点です。

人になんと思われても自分を突き進むこと。(もちろん人に迷惑をかけることはよくない。動植物のように共生していかないと。とは言え、生き抜こうと思ったら動植物の自然界だって、弱肉強食、共生と言えるのか?うーむ)

実家の庭が雑草で茂みになっていて、この雑草のようになりふり構わず成長できたらいいのにな、なんて雑草に嫉妬しました。


数学者の岡潔さんの言葉。
「私は数学なんかして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうとスミレのあずかり知らないことだと答えてきた」
「近ごろのこのくにのありさまがひどく心配になって、とうてい話しかけずにはいられなくなった」

「春宵十話」

岡潔さんは、スミレだった。
今のわたしは、自分がどういうスミレなのか、わからない。生まれた時からそのスミレでいるはずなのに。

”そのスミレ”はどうやったらわかるのだろう。
たまたままだ時間がありそうなので、これからじっくり考えていくしかないな。楽しいことだって悲しいことだって ”そのスミレ”は経験覚悟はあります。でも、お手柔らかにしてね。

そして、やっとそのスミレになれたとき、きっともっともっと気持ちよく生きていられる気がする。

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