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フォロワーが亡くなった日

フォロワーが亡くなっていた。

普段、あまりネット上のコミュニティに属することは無いがその中でも明確に友達と言える数少ない存在だった。

10月の上旬から、SNSの浮上が無く、また停止間際の投稿も物を語らない質素なものだったので落ち込んでいるのか不安に思っていたことであった。

そして最後の音声付きの投稿の内容からして、恐らく自死であることが想像できた。


そのフォロワーとはもう4年にもなる付き合いで、Twitterのイラスト投稿のタグから交流が生まれたことを覚えている。

当時、作品を投稿するペースも低く大して絵が上手いわけでも無い当時の自分相手に仲良くしてくれてとても嬉しかった。
直接会ったりすることは無かったが、気さくな性格で絵描きの知り合いも多く、12月のコミティアではそのフォロワーを中心に有志のイラストレーターでそれぞれ一枚ずつイラストを描きタロットカードを制作する合同企画も中心になって進行していた。

普段そう言った関わりとは無縁な自分も快く迎えてくれて、他の絵描きとの共通の知り合いになれるのかもと思ったし共同での制作活動自体とても楽しみにしていた。
締め切りはずっと先だったが張り切ってイラストを制作し、つい昨晩もそのイラストの修正をしていたところであった。


そのフォロワーは苦労人で、日々の作品発表の合間に時々語る現実の状況の断片だけでも本人が置かれた厳しい境遇をうかがい知れた。

本人は所謂社会的弱者で、仕事や住居を転々としており精神疾患から労働がままならず、また頼る実家も無いため生活保護を受給していた。
配偶者は無かったが、子供が居るという話をしていたこともあった。

自死のきっかけにはそういった過酷な生活があったことだろうと思える。


それでも、本人はいつでも優しく他人につらくあたったり自暴自棄になっている様を見せることは無かった。
先述の合同企画のために作成されたTwitterのメッセージグループでは、本人の訃報を受け、皆各々に別れの言葉を残していて人望の厚さを強く物語っていた。

合同企画に参加予定だったメンバーは、アマチュアの企画だから皆若く、おそらく24の自分が最年長であろうという具合であった。

突然の訃報であったが、皆、何故ということは無く、きっと薄々本人の生活のつらさを感じていたのだろうと思う。身近な友人の、そんな過酷な生活、そしてその果てに自死を選んでしまった結末はとても重たく、その事実は、無垢な10代の精神のキャパシティーに収まりきるような出来事では無いだろう。

せめて、そのメンバーの誰も後追いをしないように祈るばかりだ。


社会で生きていくことは楽で簡単なことではない。
偶然恵まれた環境に置かれてその中で一人前になるまで育っていくこともあるが、才能も実家も無く行政くらいしか縋れる藁の無い人達の存在は全然珍しいことではない。

運悪く不当な労働環境を強制する職場に当たってしまえば精神的な苦痛は避けられず、そうで無くても日々の労働に忙殺され、プライベートも振るわないようなこととなれば精神疾患をも患ってしまいかねない。

そこまで来てしまえば、ますます社会に縋り付くことは難しくなるし一度ドロップアウトしてしまったら時間が経つと共に社会復帰も難しくなっていくだろう。

そして、そのまま社会復帰が難しくなってしまった人というのは、普段目に入らないだけで身近にもすごく沢山存在しているものだ。

きっとこれを読んでいる人にも苦しい状況の中生活している人たちがいるだろう。

自分に直接どうにかできることは無いが、でもどういった状況の人であっても受け入れてくれる場所は必ず存在するしどんなどん底でも絶対に救いがあると伝えたい。


自分自身、つい先日の検査で腎臓の持病が指定難病のレベルまで悪化していることが判明し、来年くらいから過酷な治療が始まることになった。

将来的に透析や移植は避けられないし、寿命も短くなるだろうから絶望したくなるような気持ちも僅かにある。

でも、悲しんでもしょうがないので目の前の生活を頑張ろうと思っている。

死ぬべき時が来るまで生存し続けるsurviveことこそ今を生きる存在の命題なのだと思う。


俺は生きるぜ…例え他人の血を啜ってでもな…(アレルヤ)

少なくとも、恵まれて来なかったせいでそれ以上生きれなかったやつの分まで生きて行きたい。

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