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タルタリアぽい水源地と取水塔・そっくりさん登場

青森・下北半島の大湊は桃源郷

東北旅行の前後にあちこち調べていたら、

下北半島で囲まれた湾に美しい街を発見しました。

海軍・海軍カレーで有名な大湊です。

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東北観光さまより


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青森県庁HPより

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tabiyoriさまより


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ほっとりっぷさまより


水源地もそっくりさんが多い

小樽の奥沢水源地です。

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小樽・藪半・蕎麦屋おやじの独り言さまより


埼玉 狭山湖

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所沢市HPより

多摩湖 

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正確には、多摩湖は2つあり、村山上貯水池と村山下貯水池に分かれていて、村山貯水池と言います。狭山湖は、山口貯水池と言います。狭山公園がある村山貯水池が、狭山湖と呼ばれ、多摩川から水を引き入れている山口貯水池が、多摩湖と呼ばれていました。その後、観光地に相応しい名称を付ける運動があり、現在のように変更されて呼ばれるようになりました。

画像と文は トリップス 様より

湖の名称の由来がなんだか込み入っています(^-^;


左上の北側・トトロの森がある方が狭山湖で、右下の南側が多摩湖です。

都立狭山公園は多摩湖側にあります。

その狭山公園の入り口ゲート

ドーム屋根に赤白 ってタルタリアぽ過ぎます(^^;


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都立さやま公園入口 公園HPより


ということで、書き始めた時と方向性が大幅に変更しながら、すすめます。

タルタリアってところは変わりませんが (^-^;


タルタリアど真ん中取水塔・給水塔・配水塔 


多摩湖の取水塔

多摩湖の取水塔、なんでも日本一美しいと言われているそうです。

タルタリア建築で見慣れているドーム状のある屋根に尖塔も載っています。

3分過ぎで取水塔に近寄っています。レンガ造りにアーチ状の窓。

タルタリアど真ん中です。

狭山湖の取水塔

お隣の狭山湖の取水塔はとんがり屋根です。

映像ではっきり確認できませんが、赤レンガのようです。


金町浄水場の第2取水塔

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東京都水道局HPより

赤レンガにとんがり屋根です。

公では昭和16年築となっています。

奥に見えるのは第3取水塔、ドーム状の屋根になっています。

こちらも仲良く並んで、とんがり屋根とドーム状のコンビネーションです。


駒沢給水塔

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世田谷区HPより

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土木学会様より

なんですか~これは・・お城のようなケーキのような・・

この給水塔の歴史は変わっていて、大正12年(1923)になぜか先に第2号給水塔が完成します。

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竣工直前の2号塔  駒沢給水塔風景資産保存会様より

大正12年 関東大震災が発生するが、給水塔に被害はなかった、

震災からわずか2か月後、第1号給水塔が完成し、トラス橋で結ばれたそうです。


砧下浄水所

多摩川の水をこの浄水場で取水して駒沢の給水塔に送られました。

450px-砧下浄水所_濾過池

WIKIさまより

ここも1923年大正12年に渋谷町水道として建設されたと説明されています。

駒沢給水塔と同じ年代ですね。


旧野方配水塔

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東京とりっぷ様より 画像&引用文ともに

着工は昭和2年、完成は昭和4年。
塔の高さは33.6m、基部の直径は約18mの鉄筋コンクリート造り。
設計はドイツで衛生工学を学び、淀橋浄水場をつくった「近代上水道の父」・中島鋭治によるもの。

近代上水道の父 中島鋭治 で調べると下の建築物も彼が手掛けたものだそうです。

徳島県 佐古配水場

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こちらもタルタリアど真ん中です。

彼が本当に手掛けたのかは大いに疑問です。


感想・考察

水関連の施設を小樽・函館・東北 他 ウェブなどで観察してきましたが、

どうもそれらは新しく作られた(リメイクされた?)ものもあるけれど、

基本的に過去の文明(タルタリア)の再利用だったのではないかと感じていました。

改めてこうして見ていくと、やっぱり・・・と

確信に近いものがあります。

近代建築の水道・電力施設さまののHPのリンクを貼りますがご覧になってください。

近代水道施設

今までこのブログにアップしてきたようなタルタリアぽい建築ばかりです。

明治以降の近代文明のインフラは、過去のタルタリア時代の再利用だった・リメイクだったといってよいと思います。


本日もお読みいただきありがとうございました。




どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。