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手放すことも愛

今回はNOTEでは書いてこなかった母のことです。

ケアマネさんからの連絡

母担当のケアマネさんから連絡がありました。

母はコロ菜ウィルスを理由に、週1度のリハビリを休んでいますが、

ケアマネさんあてに母からの手紙が届いたそうです。

その手紙には、「ころ菜を理由に休んでいるが、ころ菜が終息してもリハビリにはもう通わない、お世話になりました。」と大体そんなことが書かれていたそうです。

母はリハビリ≒運動と他者との交流が苦手なのですが、改めてその意志をはっきり宣言したようです。

5年前に転倒して肩の骨を骨折して以来、

私がリハビリに行くようにと、強く勧めていやいやながら(笑)通っていたのです。

何故かと言えば、母は運動嫌いで自ら散歩に出ることも(庭すらも)ないので、私は身体機能を維持するためにも強く勧めたのです。

『自分のことを自分でやらないのなら、一緒(2世帯住宅ですが)には住めませんよ』とも伝えてもあります。

こうでも強く言わないと自分の面倒の一切合切を、私に丸投げする人だからです。

その経緯をケアマネさんは御存知なので、連絡を入れてくださいました。

ワク珍の予約

高齢の方のワクワク○○の摂取が始まるようです。

直接言われてないですが、母はかかりつけの病院で予約をしたようです。

ひたすら四角い箱の情報を信じ切っているので、恐怖に囚われています。

公に言われていることはやらなければならないと思いこんでいます。

面倒なことは嫌いで人にやらせようとする人が、マイナンバーとかいち早く真面目に登録もしたようです。

不思議なことに娘の言うことは全否定・全批判なのですけれど・笑


愛とコントロール(支配)がわからない

母を見ていると、

自分のことを本当に思ってくれる人と、ただ利用している人との

区別がつかないし、わからないのだ と思います。

なので、母は親切や愛に対して仇でかえすような行動をとり、

逆に利用している人を信じ込んでいます


手放すことも愛

今回、母は人生の方向を自分で選択したのだと思いました。

私は今まで「こっちだよ、こっちのほうがいいよ」

と強く示す行動をとってきたと思います。

家族としてはまあ普通の思いやりともいえますが・・

でもそれは母にとっては嫌なことで、イヤイヤ従っていたようです。

娘の意見に従うことは負けとも感じていたようです。

ケアマネさんから連絡をもらってお話ししている時、

私の中を何か爽やかな風が通り抜けたような気がしました。

てばなすとき・・・・

そんなコトバがふわっと身体を包みました。

今後の成り行きはどうなるかはわかりません。

何かが起きるか起きないのかも・・・

でも、手放すと決めることで、軽やかになったような気がしました。


すべての怖れを手放す

この記事を下書きで一晩おきました。

この記事をUPするかどうか迷っていた自分がいたのです。

何がそうさせているのか・・・・・

今朝、自分の心の中を探ってみました。

怖れ

家族として批判されるのではないか・・・・

親孝行・常識・世間の目・日本の密な家族意識・良い子意識

生まれてこの方、

まるで見えない蜘蛛の糸のように家庭・学校・社会で張り巡らされた

自分の意志の自由を自ら手放してしまう仕組み(洗脳)

の断片がまだ自分の中にあることに気付きました。


家族といえども、それぞれの意志は尊重されるものでしょう。

それが一方からは全く間違った方向性に見えても、

逆の立ち場からみれば、こちらが間違っていると見えるのでしょう。

明治以降、日本の家族制度は戸主を中心としたピラミッド状の末端組織でした。

互いに思いやり、助け合うはずの家族は 平等からは程遠い状態でした。

これは意図的なマインドコントロール政策だったのでしょう。

3~4世代にわたって続いてきた権力や社会の常識にたいする怖れ

それらのすべてを手放して新しい時代へと進んでいきたいと思います。


本日もお読みいただきありがとうございました。












どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。