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煉瓦の町・江別とタルタリア

煉瓦の町・江別

札幌の東隣に位置する江別市、札幌の中心部から江別市の中心部まで

車で30分くらいです。

江別が煉瓦の街になった大きな理由は

市内のいたるところで(河川沿いかどうか関係なく)良質の粘土が採取できること、石狩川沿いにあり船運の中継地点であったことがあります。

その後も夕張炭田と鉄道で結ばれていたことも煉瓦の町として存続する要因になったようです。

夕張鉄道は、北海道炭礦汽船(北炭。以前の北海道炭礦鉄道)が同社の事業用資材や石炭を輸送する目的で大正10年(1921年)に設立されたようです。

歴史的な経緯を一応、さくっと

北海道におけるレンガの歴史は古く、1856(安政3)年には現在の函館市で製造されていたという記録が残っています。1877(明治10)年頃には札幌市にも民営のレンガ工場ができ、やがて旭川市にも広がっていきました。江別で最初にレンガ工場ができたのは、1891(明治24)年のこと。

北海道ファンマガジン様より

オルタナティブな歴史研究から考えると、世界が洪水により一掃された(マッドフラッド)のは、1850年ごろと考えられていますから、

1856年箱館で製造、1877年札幌で製造となると、マッドフラッドのすぐ後となります。

江別も大火

1897年(明治30年)に江別大火発生し、

1898年(明治31年)に野幌煉瓦工場が創業しています。

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以前の記事で紹介したように、

世界中、日本に大火が発生して以前の文明の名残(タルタリア)が消失しています。

あるいは地震、戦争被害でもかつての文明の名残・インフラが消失しています。

北海道の江別も例外ではなかったということです。

札幌も明治25年に大火がありました。

箱館は明治6年に続けざまに大火災が起きています。


江別のタルタリアの痕跡

ガラス工芸館

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1945年建築だそうです。

下部分が埋まっているようにも思いますが、休館していて中に入れませんでした。

壊されるところを曳家して移築したというはなしもあるので、よくわかりません。


セラミックアートセンター

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外観はタルタリアぽいですが、新しい建物のようです。

内部には煉瓦の資料展示室もあります。

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郷土資料館

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こちらもさほど古い建物のように感じませんでした。

内部には大量の土器の展示があります。

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赤レンガ工場跡(旧ヒダ工場)

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唯一古いのではないかと感じたのはここですが、どの程度の古さのかはわからないところです。


古い写真から

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江別町役場

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映画館

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製紙工場

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いずれも郷土資料館の壁に展示されていたものです。

いずれの写真も大きくはなく、しかも前に展示品がおいてあり

近づくことができませんでした。

河川の船の運搬についてはこちらも参考に


まとめ

江別は大火もありましたが、河川の洪水も大変多く、

周辺の河川の護岸工事はもちろんのこと、

河川の流れそのものを変更するという事もあったそうです。

線路が通る中心部は丘陵地になっているけれど、

その周辺は標高が低い土地になっています。

ぱっと見でも川が非常に蛇行して流れているのがわかると思います。

江別を含む石狩平野は洪水も多く、特に昭和56年の水害はひどく、

人々の記憶にも新しいものです。

江別もタルタリア時代の痕跡を感じるのですが、

歴史的建造物は、ほとんど破壊された・焼失した・消失してしまったようです。


本日もお読み下さりありがとうございました。



どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。