食事をする時に直接手から食べるのではなく箸やスプーンを使うのが不思議に思えてきた子どもは、同じテーブルに座っている大人たちも全員そのようにしているから、箸やスプーンを使うのには何か理由があるのだろうと考えた。母親がもう少したべるかどうか聞いてきて、子どもはその質問にどう答えたら母親が喜ぶかを知っていたので、その通りに答えた。どれがいい。迷っていると、母親がテーブルの上の小さなテーブルを回して、料理の盛られた皿を子どもに見せた。黙っていると、またテーブルを回して別の皿を子どもに見せた。本当のところは既に満腹だったので、料理を選ぶ気が起きなかったが、食べると答えた手前、何も選ばない訳にはいかないということは分かっていた。黒いゼリーのようなものが目の前にきた。「それ」と指差すと、これは美味しくないかもよ、と母親は言った。それでも食べたいと言って、ひとつだけ皿にとってもらい箸でつついてみると、見た目から想像したよりも硬かった。ゼリーではないなら何なのだろう。母親に訊くと、それは卵だと言う。子どもは黒い卵が存在したことに驚いた。箸で切って口に入れると、一瞬甘味を感じた後に、苦みと焼けるようなにおいが口の中から鼻へと抜けていって、涙を流しながら吐き出した。酔った父親が子どもの方を見て怒鳴った。母親は、食べたかったもんね、と笑った。
 別の日。仕事から帰ってきた父親に連れられて、車に乗った。見慣れた通学路を走りながら、いつもなら気の遠くなるような長さなのに、と毎度のことながら子どもは思った。駐車場に着いて車から降りると、自分の足元も見えないほど暗くなっていた。砂利の上を歩いて寺の裏手に周り、父親が懐中電灯を光らせると、その周りを虫が舞った。子どもは距離をとって歩きたかったが、暗いのも怖いので、父親の背中に隠れるように林を歩いた。いたいた、と言って立ち止まった父親にぶつかって、子どもが父親の指の示すほうを見ると、ごつごつとした木肌に黒いものがあった。父親はそれを指でつかんでとり、手のひらにのせて子どもに見せた。それはクワガタだった。「ほら」と父親はクワガタを子どもの手のひらにうつした。黒い光沢の背中を見つめて、ただただ動かないでほしいと強く思った。クワガタが脚を上げた時、子どもは手を振って地面に落とした。父親が不機嫌になったのを見て、それから子どもは黙って父親に付いていくだけだった。家に帰って、母親が「どうだった?」と訊いても、子どもは黙ったままだった。
 また別の日。家には自分一人だった。テレビを点けたが興味を引かれず消した。リビングの本棚に並ぶ本の背を指でなぞり、一番背の高い昆虫図鑑を開いてみた。様々な蝶が羽を広げているページで、青い蝶の横に「(実物大)」と書かれていた。その青い蝶に見覚えがあった。どこかで見た。学校の帰り道だったような気がした。その日はなかなか寝付けなかった。背中と敷いた布団の間に熱がこもって何度も寝返りをうつのを母親が咎めて、静かにしていれば暑くないと言った。網戸から入る微かな風に集中すれば涼しくなる、とも言った。その言葉に従って風を待った。風はなかなか来なかった。母親の寝息に気がついた。自分の呼吸に耳を澄ませた。息を吸うと胸の上で組んだ手が持ち上がるのを、どこか自分の身体のことではないように思った。しばらくして腕のあたりに風を感じた。不意に自分の胸のあたりから黄色い紐が伸びていくのを見た。目は閉じているはずだった。紐の先に青い蝶がいた。通学路の、いたちの死んでいたところ、そこまで紐は伸びて、青い蝶の腹の中に消えていた。青い蝶は飛んでいるはずなのに、図鑑でみたようにくっきりと羽の模様まで見えた。塗ったような青をいつまでも見た。
 時が経って、駐車場に置かれたベンチに座って、58番の見知らぬ古びたセダンを見ていた。娘が車で来ると言ったから、落ち葉でもを掃こうと思って駐車場に降りてきたのだが、来客用に借りている58番に知らない車が停まっていた。娘がセダンの持ち主をののしる姿が浮かんだ。しかし、この闖入者の持ち主は二度と現れない、と思った。娘の車が駐車場に入ってきた。その赤色に目を引かれるままに、娘の顔を見て笑みを浮かべたが、娘はセダンを見て、それから指示を仰ぐようにこちらを見た。急に一人になったような気がした。娘が闖入者を指差したが、それが自分へ向けられた行動だと理解しながらも本当のところは、そう思わなかった。その人には今すぐにでも話したいことがあった。でも、先に近くの有料駐車場の場所を教えた方がいいと思った。さっき青い蝶を見た。そんなこと、今いきなり話し始めるなんてどうかしてる、とその人は思った。それでも結局あとで話すだろう、とも思った。

 仕事が終わったあとに、父親のいる病院に通った。いつも父親はベッドを起こして待っていた。父親は子どもに仕事のことを訊いた。子どもは上司の悪口をよく話して、あのように不機嫌を周りに振りまけるのは一種の才能だと、そういう話をすると、父親は、そのような人の考えていることは結局分からなかったな、と寂しそうに言った。これはあんまりだと思って、その上司を無理やり食事に誘った。酒の席の上司は部下の日々の労働に感謝しきりで、誰かの悪態をつくようなことがなかったのが、おもしろくて、何かの冗談だと思って、父親に話したかった。しかし、数日後に会った父親は、眼差し、返す言葉の張りが無いのが、こちらの言葉が聞こえてるのか分からないほどで、子どもは父親のそばに座って静かにしていた。父親はありとあらゆる冗談の総決算に入ったのだから、上司の話が出来なかったのは別によかったのだと思うことにした。
 父親が息を引き取ったあと、病室に入ってきた医師たちが死亡時刻を告げて、また部屋から去ると、父親の死は医師たちにとって数ある死のひとつに過ぎないという当たり前のことを子どもは考えた。父親にとっては一回きりの自分の死だった。子どもにとっては二度目の家族の死だった。子どもは父の手を触り、まだ残っているぬくもりを感じて、死んだとは思えなかったが、今まで手を触ったりすることなんてなかったことを考えると、やはり父親は死んだと思った。死んだ人間の手を触るシーンを見たことがあった。母親が死んだときの父親がそうしたような気がした。このような場面でも人の真似をしている自分が情けないと思った。
 眠れない日が続いた。夜、目を閉じても、瞼の裏が光ってちかちかするので、ときおり体を起こして暗闇の中で自分の手を見た。目が慣れてきて手の形が見えると安心して横になるが、また眩しくて眠れず、体を起こすということを繰り返した。睡眠薬を処方してもらったが、朝方まで眠れない日の方が多かった。仕事に戻った日の朝、バス停の標識の打ち込まれたところから生える雑草の陰に舞う青い蝶を見た。父親が話していたのを思い出して、はやく知らせようと思った自分の高揚が、胸に突き刺さった。
 四十九日を迎え、父親が自分で用意した墓に納骨することになった。骨壺を抱えながら、父親は小さくなったから引っ越しするのだ、という空想が浮かんで興奮したが、一緒に来ていた叔父に言うことはしなかった。向かいの墓は、大きな黒い御影石の墓で、金で「輝」という文字が彫られており、周りの墓を見渡しても、その墓は異彩を放っていた。色々な冗談が浮かんだが、これも言わなかった。
 家に帰って、父親から譲り受けたCDの入った箱を開いて、黒と赤のハートが波紋のように広がっているジャケットのものが目に付いたので取り出した。学生のころ以来使っていないCDプレーヤーを引っ張り出してきて再生した。英語の歌詞を聞き取ろうとして集中していたが、ほとんど聞き取れないのに飽きて、テレビを点けた。フライドチキンのコマーシャルが流れていた。テレビの音と流しっぱなしのCDの音が重なって、なにもかも上手くいかない演奏の録音を聞いているような気分になった。CDの方から I'm free という歌詞が聞き取れた時、テレビの画面ではフライドチキンがバケットから飛び出すような演出が映った。鶏が殺される前に放った気高き遺言かもしれなかった。もしくは命の対価が何も支払われないことに対する皮肉かもしれなかった。テレビを消して、CDを止めた。それから床に寝そべって、くっくと笑った。目を閉じると、珍しく眠れそうな気がした。

 青い蝶がその周り舞うためだけに自分は生かされているのかもしれない、と娘に言った。料理をするつもりで買ってきた食材を冷蔵庫に入れていた娘は「ふーん」とだけ言って、野菜室に入っていた野菜を一度全部取り出して詰めなおした。それから娘が笑って言った。
「そうだとしたら、もっとその青い蝶に会ってないとおかしくない?」
 その人は娘が笑ったのがうれしくて、青い蝶には青い蝶の生活があることは言わなかった。

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