もっかいサマーデイ、海辺のカフカ、夏への扉

小さいころから夏が嫌いだ。暑いのが嫌だ。寒いのは厚着をするなり体を動かすなりすればどうにでもなるが、暑さにはエアコンでしか対応できない。裸になってもまだ暑くて、そこから皮も筋肉も脱ぎ捨てて骨だけになったとしても、きっとあの暑さから逃れることはできないのだ。

でもなぜだろう。これほどに嫌いなはずの夏の日々が、色あせてもなおずっと忘れられないでいる。

それは例えば、アスファルトの上で干からびているカマキリ。
それは例えば、煮出したばかりのぬるい麦茶。
それは例えば、テレビの中から聞こえてくる金属バットがボールを打ち返す音。

それはなんてことないただの日常風景で、あのへばりつくTシャツに染みた汗の感覚がとても嫌で、蒸れた空気が嫌で、虫刺されの痒みが嫌で、そんな記憶が付随していて。
それなのに、なぜこんなにさみしい気持ちになるんだろう。

こんなことを思ったのは、イヤフォンからこの曲が流れてきたからに違いなかった。

もっかいサマーデイ/ヌコメソーセキ,ひとなつおもい

ラップやヒップホップに詳しいわけじゃないから、専門的なことはわからない。けれども、僕は『もっかいサマーデイ』を聴いて、強烈なノスタルジーを覚えていた。
もっかいサマーデイ。何度でもサマーデイ。そんなことはない。そんなわけはない。同じ夏は二度とこない。それに気づいたのはいつだっただろう。中学生? 高校生? いや、つい最近な気がする。

『もっかいサマーデイ』を歌うヌコメソーセキ氏は猫であり、ひとなつおもい氏は小学生だ。例えば僕のような、つまらない大人ではない。この事実を知ると、よりこの曲を聴いたときのエモーションは大きくなる。

彼らはまだ、もう一度同じ夏が来ることを信じている。彼らには過去も未来もなく、現在しかない。もっかいサマーデイ。彼らが言うそれは、現在の自分に向けられている。きっとまた、同じ夏が来ると。現在の彼らが、現在の彼らに向かって。

そりゃあ、僕たちにも現在しかない。それはそうだ。しかし、僕たちはしばしば現在というものから逃げたくなる。過去や未来に、特に過去に縋ろうとする。僕たちが言うもっかいサマーデイの意味はまったく変わってくる。それは未来の自分に、現在の夏を求めているのではない。現在の自分が、あの頃と同じ夏を求めているのだ。

人の心を最も動かすのは喪失感だ。

夏。少年。猫。喪失。

村上春樹の『海辺のカフカ』には、『もっかいサマーデイ』と同じ要素が盛り込まれている。

主人公である「僕」は十五歳の誕生日に家出をし、小さな図書館の片隅で暮らすようになる。そこで「僕」さまざまなものを失いながらも、タフな少年へと成長していく。
作中には猫と会話のできる老人ナカタさんも主要な人物として登場する。彼は過去に自らを失った人物で、「僕」とは対照的に描かれる。彼もまた数奇な運命に従い、少年の家出先へと導かれていく。

本作を読み終えた後には、きっとたくさんのものを失った感覚があるはずだ。けれども、それと同時に、何か奇妙な充実感も覚えているはずだ。本作を読み終えたあなたは「僕」と、少なくとも2時間は(きっともっとたくさんの時間を共有するだろうけど)同一の精神世界にいるはずで、きっとあなたもまた、「僕」のようにひとまわりタフなあなたになっている。

失うことを恐れないというのは無理だ。失うことを覚悟することもできない。喪失はいつも突然にやってくる。だから僕たちは失ったことを受け入れるしかなくて、失われたそれを、たまに思い出して慈しんでやる。でも、そのノスタルジーに囚われすぎてはいけない。僕たちが大事にしなければいけないのは過去ではなく、未来でもなく、現在なのだから。

ノスタルジーに囚われたくない時には、もしもの世界に逃げ込むのだ。もしも、あの過去をやり直せたら。もしも、こんな未来がやってきたら。

夏。少女。猫。喪失。

今度はロバート・A・ハインラインの『夏への扉』の話をしよう。

機械技師のダンの愛猫ピートは、家の扉のどこかを開けば、そこから夏に通じると信じていた。ダンもまたそんなピートのために、部屋の扉を何度も開けてやる日々を過ごしていた。しかし、ダンは友人と恋人に裏切られ、全てを失う。ダンは復讐を決意するも返り討ちにあい、冷凍睡眠に入れられ、30年間眠り続ける。
30年後の世界で奮闘するダンは、自らの記憶と事実が整合しないことに苦しむ。そしてある日タイムマシンの存在を知り、過去に戻ろうとする。

本作は「もしも過去がこうだったら?」「もしも未来がこうだったら?」の二つを、同時に楽しむことができる。この作品は心弾む物語だ。
一方で、ノスタルジーに浸る暇はない。ダンは未来と過去を行き来するけれども、常にダンがいる世界はダンにとっての現実で、結局未来に行こうが過去に戻ろうが、そこでの現実で行動するしかないのだ。

過去を変えることはできない。未来を変えることもできない。僕たちが影響を与えられるのは現在だけだ。でも、この現在もまた過去になるし、過去の未来でもある。僕たちは今を生きるしかない。
もっかい、サマーデイと言いながら。

遊び疲れ僕ら大人になって。いつかまたこの日を思い出して。

現在を生きることに疲れたら、この曲を聴きながら、僕の嫌いだった夏を少しく慈しんでやるのだ。
夏への扉は、いつだって僕たちの心の中にある。