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編み物とごはん

洋裁より編み物の方がまだ得意なので、時々思い出したように何か編みたくなる。けれど、編み図は読めないし、覚える気もないので、いつも行き当たりばったりだ。今は帽子を編んでいる。時々頭に当ててみるのだけれど、どうにも大きすぎて、サイズ感は腹巻き。仕方ないので途中からゴム編みにして強制的に縮めることにした。

うちの旦那氏は、私と真逆で、やるからにはキッチリやりたい人だ。そのキッチリ男が、大学時代に2回留年して、あまりに暇だったので編み物を覚えた。橋本治先生の「男の編み物、橋本治の手トリ足トリ」というのが彼の教科書だ。橋本治先生は、知る人ぞ知る編み物好きで、当時はジュリーや山口百恵ちゃんの顔写真を、緻密でおしゃれに図案化し、ニットに編み込んでいた。そんな橋本先生の間接的教え子なので、旦那氏も模様編みはできないのだけれど、かなり複雑な編み込みができる。しかも設計から。以前は製図版を持っていて、花札の「桜」や「菊」の模様を図面に起こして、セーターに編み込んでいた。

編み込みのド派手なセーターは、いずれも私のものになった。付き合っていた当時、プレゼントしてもらったのである。1着目のセーターをもらった時、喜んで友達に自慢し、記念写真も撮ってアルバムに貼り、どこに行くにも着ていたら、2枚目も編んでくれた。あれだけ喜べは、さぞプレゼントしがいがあったことだろうと思う。2枚目は、1枚目ほどのインパクトがなかったので、相応の喜び方しかできなかったら、3枚目はなかった。4年生になり、卒論が忙しくてそんな暇がなかった、ということもある。

もしも、あそこで私が喜び続けていたら、今も旦那氏は、セーターを編んでいたのかもしれない。腕も上がって、すごい作品が生まれていたのかもしれない。あの時、女優になれなかった正直な自分が惜しい。雑な私が編み続けるより、キッチリした旦那氏をプロに育てる方が絶対なにかの役に立ったのに。

でも、旦那氏は私が編み物をしているのを見ても、特にやりたいとは思わないようなので、そんなに好きなことではなかったのだろう。今は「作る楽しみ」が、編み物から料理に移行しているので、それはそれでありがたい。

定年退職したら、毎食作ってもらえるのかなと、今からかなり楽しみにしている。その時ちゃんと喜んで見せられるように、表情筋のトレーニングはぬかりない。同じ轍は二度と踏まない。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。