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天狗党ルート逆走③〜板取から杣木俣まで〜

前回のチャレンジから一か月以上空いてしまった。
山は緑がみるみる濃くなり、今日なんて最高気温30℃越えの夏日だ。
こんな季節だったら、天狗党の人たちも、もっと楽しく行軍できたのに、と思うが、「行軍」は遠足ではない。どうやっても楽しくはない。

私の住む敦賀から、木の芽峠トンネルをくぐり、嶺南から嶺北へ。
まずは、峠の麓に位置する板取(いたどり)の関所を見て、そのまま杣木俣(そまきまた)までを辿ってみようと思う。

板取宿は、こんなところ

板取宿(南越前町)概要: 天正3年(1575)に柴田勝家が北の庄城(福井県福井市)の城主となると織田信長の居城である安土城(滋賀県安土町)との交通網の確保が重要視され天正6年(1578)に北国街道(東近江路)が整備されました。板取宿は近江国(現在の滋賀県)と越前国(現在の福井県)の国境付近に位置し、板取宿の直前に栃ノ木峠からの経路(北国街道)と木ノ芽峠からの経路(近江西路)が合流し宿場内に入る構成で、さらに北国街道(東近江路)の越前国側最終の宿場あるいは玄関口でもあった事から宿馬30頭、人足60人が常備されました。江戸時代に入り人の往来が多くなると福井藩(藩庁:福井城)と彦根藩(藩庁:彦根城)との藩境でもあった為、福井藩は板取番所(木造平屋建、間口3間、奥行3間半、格式のある門付)を設け、役人3人、足軽1人を常駐、刀や弓矢、火縄銃を備えさせ厳重な人物改めや荷改め、税の取立てなどを行いました。

「福井県:歴史・観光・見所」より

つまり、今庄からやってきた天狗党が、木の芽峠を登る前に必ず通ったはずの場所である。

立派な門構えが残る板取宿の関所
かやぶき屋根の古民家が残っている
宿場のお地蔵様
奇麗に保存されているなあと思ったら人が住んでいた!
この杭の先で木の芽峠への道に繋がる

板取宿は、傾斜の緩やかな坂道の途中に作られた宿場で、その出口は木の芽峠に至るルートにつながっている。どう見ても、木の芽峠への入り口というたたずまいだ。

なので「天狗党が木の芽峠を越えたなら、板取を経由したはずだ」という先入観で立ち寄ってみたのだが、帰宅後調べてみたら、間違っていた。

私が思い込んでいた天狗党ルートは国道476号線沿いに南下して、板取宿から木の芽峠を超えるという、上記の地図にプロットしたルートだが、実際には、この道は少しだけ遠回りなうえに、急な登りが続き大変だ。

実際には天狗党は④二ッ屋という集落を経由し比較的ゆるゆると山を登っていたらしい。ゆるゆると言っても、低山とはいえ雪山登山だ。大変さは想像に難くない。
いずれにせよ、今回の私は、天狗党とは違う道を辿ってしまったので、やり直しだ。ここは、次回、再踏破してみようと思う。

それにしても板取は、面白いところだった。
残存する古民家4軒のうちの1軒にこんな看板が掲げられている。

聞くところによると、茅葺き屋根というのは、湿気に弱く、室内で毎日火を焚かないとすぐにかびたりして傷んでしまうものらしい。なので、住んでいる人は夏の暑い時にも、必ず囲炉裏で火を焚くことになる。どうせ毎日、火を起こすならば、それをみんなで遊びに変えてしまえばいい、という発想だろうか。

こういうのは大好物だ。どんな人がやっていらっしゃるのだろう。

平日にお邪魔したため誰もいなかったので、話が聞けずじまいだったのだが、今度はぜひ休みの日に伺い、住んでいる方にお話を聞いてみたい。

杣木俣で道は途切れる

天狗党は無駄な戦闘を避けるため、とにかく人のいない、あまり使われることのない道を選んで歩いた。当時から、福井県内でもマイナーだった道だ。現在では、廃れて整備されていないところも何箇所かある。
今回目指した、杣木俣から東俣の間も、一応国道476号線の不通区間という扱いだが、実際にそこには車道がない。雪や土砂崩れによる不通ではなく、最初から整備の対象外だったのである。
けれど、徒歩なら天狗党の通ったとされる「大坂」の峠まで行けそうだ。

国道476号線のWikipediaより

今回の目標は、大坂まで辿り着くことだが、無理ならその道の入り口を見つけておきたい。

板取→今庄からさらに北上して、「燧(ひうち)」の三叉路を東へ。日野川にかかる橋を渡ると、道は田倉川に沿って続く。なだらかな山が連なる間の数キロに及ぶ細長い平地は、田倉川が作った谷戸なのだろう。川沿いに桜が植えられ、春先の美しい風景が目に浮かぶ。

下の看板は、田倉方面に分岐してすぐのところにあったものだが、小倉谷、馬上免、久喜など、天狗党関連の文献で見知った集落の名前が連なっていて感慨深い。
彼らもここを通ったのだなあ、と思いながら走る。

リゾート地のような看板

小倉谷の先で道が二手に分かれる。北上するルートを選ぶと、「今庄おとと村」を要する、山裾の限界集落「杣木俣」にたどり着く。看板に「ほたるの里」とあったが、さもありなんだ。ここは、水が恐ろしくきれいなのである。汚す人間が住んでいないと、こうもきれいなものなのかと思う。もうすぐ蛍の季節だ。蛍狩りに行ってみたい。

杣木俣の看板。書いてあるのは地名ではなく個人名。住宅地図なのだ
左へ行けば杣木俣集落。山に入るには右へ

集落へと進むと、山を上る右の道と、集落のどん詰まりに向かう左の道が現れる。当然、右を選択。数分走ると、道路の舗装はなくなり、砂利道が始まる。これが、国道476号線の不通区間を代替する「森林基幹道 今庄・池田線」の始まりだ。

そのまま進むと未舗装路になり、大型車通行止めの看板がある

ここで、GoogleMapを取り出して眺めると、たしかにここは「森林基幹道」であっているのだが、このまま進むと大坂へはいけないようだ。

精密な山用の地図アプリを見ると、やはり、分岐を行き過ぎている。戻らなくては。
(青い丸が私のいる所。目標地点は右下の「大坂」。点線で表されているのが登山道なので、左下の分岐まで戻って、徒歩で行けば大阪まで歩けるはずだ)


ゆっくりと戻ると、おそらくここだろうというポイントに到着したが、電波がよろしくなく、大阪への道がわからなくなっている。地図があっても迷う私に、これはちょっと辛い。しかも、敦賀近辺ではめったに会わないシカに二頭も出会ってしまい、自然の濃さと言うか深さと言うか、にドキドキしてきた。熊避け対策もまったくしていない。このまま登るのは怖い。道はわかった。たぶん、もう行ける。あとは装備だけだ。

砂防ダムの脇を登っていく大坂への道の入り口

今回は、大坂へ登る入り口がわかったからOKとし、登山装備をちゃんと整えて再挑戦しようと思う。熊鈴とポールと登山靴で、次回は杣木俣~大坂編をお届けしたいと思う。

**118日目 2本目**


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