タイ、ピピ島で

ピーピー・ドーン島は、タイの南部、ピーピー諸島にある島の一つで、諸島の中で唯一の有人島でもある。観光客には、ピピ島と呼ばれている。

島には岩山のようなものが東西に二つあり、平地などのビーチ沿いに居住地や、バンガロー宿泊施設などがあった。島のほかのビーチにも宿泊施設が点在しているが、車道が無いので自動車は事実上存在せず、ロングボートを使って移動するしかなかった。

ピピ島での日々は皺ひとつない時間の布を纏っているようだった。単調で無駄なものがない、僕は、自分を体をチェックするように、島の隅から隅まで自分の足で丹念に歩いた。好奇心の赴くまま、自由気ままに、この島を知り尽くそうと思った。

午後の同じ時間帯に、毎日ものすごいスコールがやってくるので、着ていた服がびちょびちょになる。僕は、現地の人と同じように上半身は裸になって、乾きやすい薄手の綿のズボンをはいた。今度は逆に上半身が露出されるので、背中は昼間の強い日光で受け、夜になるとヒリヒリと痛んだ。痛んだ肌はココナッツオイルを薄く塗ってクールダウンさせた。

島は赤茶色の粘土のような土と、ビーチの白い砂だけでできていた。ヤシの木がいる所に生えており、ヤシの木の間から見えるエメラルドグリーンの海には、木造のロングボートが数隻漂っている。

この島に「観光」という概念がなかったら、現地の人はどのように生活していただろうか? おそらく魚をとり、自生のヤシの実や果物をとって、自給自足や物物交換で暮らしていたのかもしれない。株の話や景気の話など、浜辺に打ち上げられた腐ったヤシの実のように意味をなさない代物に違いない。

僕は浜辺に転がっていた黒く変色したヤシの実を足で蹴飛ばした。ヤシの実は行き先を探すように焼けた砂の上を回転しながら、再び海の中の戻った。

毎日、島を散歩していると、17、18歳ぐらいの男がついてくるようになった。懸命にタイ語で話しかけてくる。僕には何を言っているのか理解することができなかった。手振りや簡単な英語で、天気がどうだとか、観光客が多いとか、そうゆう類いの話をしているようだ。どこかでばったり会うと、5分くらいついてきて、いつの間にかいなくなってしまう。

一度ヤシの実のジュースをごちそうしたとき、財布から日本の5円玉が滑り落ちた。彼は「これはなんだ?」と目を丸くして聞いてきた。僕は「日本のお金だ」と言った。彼は理解できないようとでもいうようにじっと硬貨を見つめていた。僕は、財布からタイの硬貨を取り出して、これと同じだと説明した。すると彼は頭を上下に降ってニッコリと笑った。僕はそのまま彼に5円玉を手渡した。彼はとても大事そうに自分のポケットに入れた。

翌日、彼は、全速力で走ってきて、紐を通してネックレスにした5円玉を見せてまたニッコリと笑った。

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