反出生主義は子供を欲しない人にとって有益な主義か?

反出生主義を掲げる人たちのなかには、子供を持たないことの利点(あるいは子供を持つことの欠点)を強調し、自らの主義に訴求力を持たせようとする人がいる。そこで、反出生主義は、ただ単に自分が子供を欲していないだけの人にとって有益な主義となりえるのか?ということを考えていこう。結論から言ってしまうと、(自分自身のために)自分が子供を欲していないだけなら、反出生主義という主義は百害あって一利なし、である。なお、ここでは、社会の成員などなんらかの役割を担わせるために子供(新たな人格)を生み出すことの道徳的な是非は問わないものとする(本記事の主題テーマにおいては雑音なので)。

人にとって自国の少子化は害悪でしかない 1

説明するまでもないことだが、国家社会のなかに居を定めるのならば、国家の盛衰は生活の質に直結せざるをえないので、国力を低下させる少子化を歓迎すべき理由は欠片もない。自身が子供を欲しないとしても、理想型は“自らは子供を持たず、自国は少子化にならない“となる(移民はやはり問題含みであるし……。たとえば、最近話題になった映画賞での騒動についても、国家間における文化、考え方の違いなどは浮き彫りになったのである。まったく価値観、考え方の異なる隣人というのは、積極的に排除すべきとまではいかないにせよ、積極的に受け容れたい存在とはなりがたく、国家にとって(本来は)リスキーな存在なのだ)。
これについては何も難しく考える必要は無く、「豊かな国の国民」と「貧しい国の国民」、両者に対して抱く直感的なイメージで判断が可能であろう。
また、出産子育てに対する公的な支援等は、皆の負担した税が『親』にだけ還元されていて不公平、という見方もあるが(独身税などと揶揄されるものだが)、これはあまりに近視眼的すぎてお話にならない。そもそも、そのような支援は親に支払われているのではなく、子供(独りでは生きられない弱者)に支払われているのである。
そのような考えは社会保障の否定であり、社会不安を増大させ、けっきょくは全体の生活の質を落としていくことに繋がるのである。そもそも、働いている者も、一定の水準以上の収入(つまり納税額)に達していないものは(その人物の成長および生活に費やされている分の公費をペイできていないという点で)負担である。しかし、そのような負担でしかないはず人間がいなくなれば、消費(需要)の面からの支えがなくなり、負担でない(ほどの水準を充たす収入を得ている)人も、その水準の維持が困難になってしまう。負担という点だけ切り取ってみるならば、子供も、(生活保護受給者などの)被支援者も、労働者の大半も、変わりがない。ただ単に負担というだけでは、なくすべきものだと断ずることは、できないのである。
また、子供がかならず生産的な活動に至るとは限らないという意見もあるが、これも誤りである。ある子供が、けっきょくは生涯なんらの労働にも従事しなかったとか、成人前に亡くなってしまったりすることはあるだろう。しかし、百人の子供がいれば、九十人は生産する側につくのである(計算は適当なのであるいは八十人や七十人かもしれないが、過半数を割り込むことは実際上ないと考えてよいだろう)。つまり、出産や育児を支援することは(国家の視点から見れば)ほぼ確実に勝てる投資だと言っても過言ではないのである。そう、本来は……。

人にとって自国の少子化は害悪でしかない 2

また、たとえば、国家の政策としてゴミの削減を掲げている場合、企業によるリサイクル施設の建設などを国家が支援し、国が企業によるリサイクル施設の建設費を負担することなどはありえることだと誰もが同意していただけると思う。
企業としては、もちろん自社の利益のみ(イメージ戦略なども含めて)を考えて、そのような施設を建設するのであるが、国家は、それが政策に沿う……つまり自国の利益に繋がると判断する限りにおいて、そのような行動を支援するのである。
子育て支援などについても同様のことが言える。子供を産み育てるのは、なるほど、言ってしまえば個人の趣味趣向でしかないのかもしれないが、それが国益に沿うものであるならば国家は支援するし、国益は国民の利益にも(本来的には)なるものなのである。
もしも、子育て支援などの全廃が国民全体の……ひいては国益に適うとかたく信ずるのであれば、そのような公約を掲げて出馬すればよい。それが(実利的に、そして国益の上で)正しいのであれば、国民の賛同を得られるであろう。

子供を持つことを強要されたくないだけならば「チャイルドフリー」で十分

自分が出産育児を強要されたくないのだとしても、わざわざ反出生主義のような、極端で、反発を招きやすい主義を掲げる必要はないし、反出生に賛意を示す利点さえ皆無である。自国の少子化に利点がない以上、自分が子供を欲していないとしても、子供を欲する他人のことは、むしろ応援した方が結果として自らの利益にも適うのだから。
けっきょくのところ、単に自分のために自分は子供を欲しないというのであれば、なにか一つの生き方のみの優位性や道徳性を誇示するよりも、各々の選択を尊重し、それぞれの歩みを支援していく相互扶助的な姿勢を示した方がよいのである(先に述べたように、実利的な面からみても)。

まとめ

ただ単に自分が子供を欲しないだけの人に反出生主義を勧めるのはまったくの的外れであり、それを理解した上でやっているのならばペテン師の所業である。そのように他者を騙くらかしてでも賛同者を増やしたい、もしくは、そのような手法に訴えて賛同者を増やすことになんのためらいも感じないというのであれば、好きにすればいい。

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