引継出来ない病のもろりんの半生

皆さんおはようございます。

今回は自分の来歴を紹介したいと思います。

ただの自分語りなので、特に読む必要はないですが今後の発言を裏付ける為には必要と思い書かせていただきます。

もろりんはある縫製工場経営者の次男として生まれました。
幼少より英才教育を受ける兄を尻目に「お前は家を継げないから独立しろ」と言われ育ってきました。

で、特に何も思わぬまま親の言うとおり公務員を志し、二次試験を受ける時期になると事件が起きました。

「5年だけ他業種で武者修行したい」と言ってた兄が夢を追いかけて海外で転職したとか・・・
親父が自分に頭下げたのはこの時が唯一だったかもしれません。
「家業を継いでくれ」と

当時若くて世間を知らなかった自分は二つ返事で快諾しましたとさ。
借金まみれなのは知ってましたが、まぁ何とかなるだろうとw

そして配属されたのが検品の部署でした。
教育係(責任者)と自分の2人だけの部署です
そして3日後教育係が失踪しましたw
「経営者一族だから知ってて当然」と誰も教えてくれません。
新卒だった自分は社会の常識等も知らずに、何度も注意されながら常識を覚えました。
仕事の仕方も検品基準も解らないので、一から試行錯誤し確立していきました。

そして数年が過ぎ検品作業をするには生産の事を学ばなければいけないと思い、生産管理を申し出ます。
(本当は生産ラインに入りたかったのですがあまりにも不器用すぎて出入り禁止にw)

情報一元化の為に社内LANを提案しそれを全てexcelで作り上げるとか言う若さ上の過ちや、自社生産だけでは間に合わないので協力工場発掘等をしてるうちにある事件が起きます。

兄の帰還でした。
体調崩していた父を心配したとも、海外で大チョンボしたとも言われてますが真相は謎です。

それまでとは一変しました。
親は余程我慢してたのでしょう。
海外勤務出来る程の優秀さ、幼少から叩き込まれた帝王学経営学を片手に経営学部卒業したの兄と、理系育ちの弟。
恐らく父は歓喜したのだと思います。
いきなり専務として入社した兄。
一方自分はまだ平社員です。
兄が物心着くころには各社員に次期後継者とし紹介し、その為にずっと専務は空位になってたらしいです。
常務は「これで先代(祖父)との約束が果たせる」と大層喜んだと聞いてます。

そして一週間後にはもろりんは首になりました。
確か解雇理由は「社長に刃向かった」との事。
生活態度の改善(オタク趣味をやめろ)を指摘され、業務に関係ないと反論した瞬間の出来事でした。

この時経営者一族には雇用保険が適用されないと知りました。
当然ですよね、解雇される恐れがないのだからw

家族付き合いがそこそこ嫌になり地元を離れ、学生時代バイトをしてた警備業界の門戸を叩きました。
毎日何のしがらみもない警備業務、初めて経験した外の世界。
何よりも特別扱いされない事がとても楽しかったです。
この時学んだ事はその後色々な場面で活用される事になります。

しかし一年経つ頃には警備会社の待遇の悪さで不満が募り、そんな頃にある一報が。
兄が父を見限ったとか。
読書で得た知識を元にインスピレーションで仕事する父と、確かなデータと知識で反対する兄。
そりゃ馬は合わないでしょうな。

祖母の葬儀という事で一度帰省した自分に戻ってきても良いんだぞと上から目線で言われましたが、まぁ在籍する警備会社に不満もありましたので家業に戻る事に。

そして兄が担当していた営業を任されました(勿論やるの初めて)
軽い引継は受けましたが、営業のイロハも知らないままいきなりぶっつけ本番でした。(兄はその際に退社して他業種に就きました)
それとやっとで対外的に主任と言う役職を頂きましたw
兄が居ないのに専務空位にしとく意味のは何かまだ兄に期待してたんでしょうw
しかしいざ戻ったら従業員が一新されててびっくりしました。
なんでも兄が知人を色々引き入れたと・・・
そしてその過程で大量の生え抜きの方が退職したと。

そして約半年が過ぎる頃には今までだったら御し易かった兄とは違い、一々流れを阻害する自分が相当邪魔だったんでしょうね。
とうとうクーデターが起きちゃいました。

生産管理をして貰っていた社員Aがポカをし、それをこっちの責任にされたのです。
こちらが幾ら申し開きをしても聞く耳を持たない父。
自分を擁護してくれる古参社員と、引責を追及してくる新規社員の対立。

結果言い渡されたのは二回目の解雇ですw

しょうがないので就職活動をしつつ内定貰ったのに親の嫌がらせで辞退したり(葬儀関係のアパレル業に就職できそうだったんですが、「そんなのエタヒニンより下だ。もろりん家に泥を塗るつもりか」と就職先にまで電話したとか)趣味を生かして日銭を稼ぎつつ就職活動をしフラフラしてたんですが、2,3ヶ月で戻って来いと言われました。

何でも俺を追いやって営業になった後任Aさん(以前自分を追いやった人)が大チョンボを起こし殆どの営業先を出禁になったとか。
このAさん生産管理時代も、協力工場で自社製品を生産せずにバイトで他社製品を生産していて、一度それでもろりんに責任を擦り付けたのにまた同じ事をしたとかwww
それでお客さんが「もろりんを出せ」と聞かないらしく対外的には社内勤務してる事になってる為、話の帳尻を合わせてくれとw

旅費は出してくれるとの事と当時暇だったので「ついでにアキバに行ける」と軽い気持ちで行ったら、自分も知らない驚愕の事実山盛りで謝罪に行ったのに全てを見透かしていたお客さんから逆に同情されましたw

お客さんから「何とかしてくれ」と懇願された手前上会社に戻る事になり、親から言い渡されたのが不良顧客の関係修繕、いわゆるどぶさらいでした。
一朝一夕で出来る訳もなく、受注再開するまで半年程度かかりました。
その間「無能」「給料泥棒」と親から罵られながらそれに耐える日々。
それと復帰して真っ先にやったのは、社内に入り込んでた自称コンサルな「インチキ霊媒師(古参社員評)」を追い出す事でしたw
以前の反乱の首謀者らしいですw
後、自分が復帰した事で戻ってきてくれた社員さんも数人居てくれた事もありちょっとだけ業績も好転したらしいです。

また「結果が出ないのにどうして給料払えるんだ?」と言われ(この頃には父は病死し、母が社長してました)無給で働く日々。
それじゃ生活できないだろうと通販業務を委託され「その収益で食っていけ」「実家暮らしなんだから大丈夫だよね」言われて委託された業務が超不採算業務w
持ち出しをしつつ業務形態を通販から訪問販売にシフトして行ったらコレも半年くらいでトントン位まで持っていけました。

そんな最中またまた事件ですw(事件多いなw)
丁度復帰して一年位の時でした。
不良顧客だけ自分が担当したという事は優良顧客を担当してるもう一人の営業Oさんが居るもんで、その人を可愛がってた母はとんでもない事を口にします。

「内外含めてウチが保有する全ての生産拠点は今後Oさんの取引先だけに使う」
「もろりんの客はお荷物なんだから当然だよね」

この絶望解ります?
時は繁忙期でした。
勿論もろりんもその頃には客先との関係修繕したので(半分位は信頼回復出来ませんでしたが)沢山の受注を受けてました。
自分が開拓した協力工場を含め、全ての生産拠点が使えない。
何のバックアップもない営業に出来る事は受注断るか、ぶっつけ本番で生産拠点の新規開拓の二択でした。
当然他社も繁忙期なので何とか納期延期しつつ新規開拓した質の劣る生産拠点を使用しなんとかゴールが見え始めた頃、最後の事件が起こりました。

前述した訪問販売、利益が出始めもう一人くらい人が雇えるかな(勿論会社からは給料貰ってなかったので自分の給料もそこから出てた)なんて思ってたら、また母から命令が

「今後訪問販売業務はOさんがやる。功績を認めてもろりんにも来月から給料出してやるから引継をしろ」との事。

これがもろりんの限界でした。
今まで従業員の為だけに頑張ってきました。
でも何かが切れちゃったんでしょうね。
翌日起き上がろうとしても体が言う事を聞かないのです。
数分程度で動けるようになりましたがこの時何かを察しました。
そして急いで心療内科の予約取りましたが、アレすぐには通えないんですね。
一週間後の予約取ってやっとで通院できました。
その間引き継げることは全部引き継ぎをし、出来ることは全て処理しました。
結局、間に合わなくて不完全ながらOさんに任せた業務も有りました。

医者からは「家から逃げる事」「しばらく休む事」を言い渡されました。
その足で辞表を胸に家に帰りましたと(何度も会社辞めてますが辞表書くの初めてw)

親ならきっと解ってくれる、そんな甘い考えが有りました。
で結果は5分で勘当されましたw
翌日その心療内科に「もろりんが居ないと会社困るんです。何とかしてくれ」と怒鳴り込んだらしく、後日医者から「アレ本当に親?」と聞かれましたw

詳しい病名は忘れたけどその医者曰く自分は親にとっては「ハイテク家電」との事でした。
「最初はハイテクで感謝してたけど、それが当たり前になるとちょっとの不具合でも文句を言う。」からと説明受けました
その説明が残酷すぎて多分忘れられなかったのでしょうね、だからそれだけ覚えてるのだと思います。

今まで数々の無茶振りをこなしてきました。
それなりに結果も出しました。
聞き分けの良い子供でした。

それが当たり前になって感覚が弛緩してしまったらしいです。

それ以来その医者に通う事はありませんでした。
段々目減りしていく貯金通帳と睨めっこした結果でした。

当時は自治体の補助が有るなんて知らなかった自分は毎日恐怖に怯えながら動けない体と戦う日々が約一年続きました。
ずっと社中泊でしたが親に頭を下げてアパートの契約書に判子貰いました。一時死を覚悟した時期もありました。
なおこの一年の事は殆ど覚えてません。

3ヶ月程すると調子が良い日は動けるようになり
半年位すると食欲も戻ってきました。
9ヶ月位経った頃には就職活動も出来る様になり
大体一年後、今の会社の門戸を叩く事になります。

だから未だに鬱は回復していません。
本来なら完治させるべきだったんでしょうが金銭面で通院断念しましたし、貯金が底を着く寸前だったので急いで就職しました。

とにかく就職したかったのと、以前の様なしがらみは嫌だった。
特に未来に対する希望も無いし、余生を緩やかに過ごしたいと思っての決断でした。

地元の警備会社の事務職として勤務する毎日。
今まで全て独学でしたが、相変わらず誰も何も教えてくれませんが今回は参考になる上司が隣に居る。

怒鳴られながらも充実した一年でした。

そんな際有る辞令が下ります。
某営業所に出向しろと。
なんでも前任者Kさんがそろそろ地元に帰りたいとのことでした。

Kさんはは本社勤務だしサポートはして貰えるかと快諾し出向してきて一週間、不摂生が祟り病院にドナドナされる事に。
引継も完了してなかったのに・・・

二週間の病院軟禁から開放され、本社に電話したらKさん辞表置いたまま行方不明になってましたとさw

毎回毎回引継がうまく行かないのは何か呪われてるんですかねw
今の会社入社した時もKさんが東京行った後引継した人が3ヶ月で辞める事になり急遽自分が引き継いだから、どっちが教育係か解らない状況だったしw

まぁそんなこんなで現在に至るわけですが。色々トラブルあった中でこのコロナ禍で仕事無いのが一番きついですね。

次点が家業で労働争議がありインテリやくざと口論した時ですかねw

もう昔みたいな無茶は出来ないなと思いつつ、書き出してみたんですが読み返してみるとよく自分コレ耐えれたなと思います。

今回半生を振り返ってみたのは自分の発言の根拠を示したいのと同時に、昔「もろりんにはついていけない」と結婚目前まで行ったけど振られたある女性の元旦那から「喪が明けたし子供のことを思って再婚する」と連絡があって、自分の半生は何だったのかなと振り返る面も含めて書き連ねさせてもらいました。

なお身バレ防ぐ為に所々フェイクは入れさせていただきましたが、大体こんな半生を歩んできました。

以後お見知りおきをよろしくお願いします。

なお余談ですが家業の方は、出向の際家族には内緒で執り行った為(家業に名義貸し位はして有事には顔位は出してあげてたんですが、地元に居ないとなるとそれも無理になる為絶対邪魔されると認識した為友人にも言わずにアパート等引き払った)取引先に後継者不在とばれたらしく銀行等全てからそっぽ向かれたとかw

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