諸星大二郎「ダオナン」を読む
「え~っと、諸星大二郎の砂漠もののアレ、ダオナンだっけ? ダナオンだっけ?」ってなりがちな人、由来を知ってしっかり覚えましょう。某掲示板では「オムツェって実は諸星大二郎の創作らしいよ」等の憶測も飛び交っていたりしますが、どうやらそうではないようです。
「ダオナン」の舞台設定
南アフリカからボツワナ・ナミビアにかけて広がるカラハリ砂漠が舞台。そこで暮らす狩猟採集民、セントラル・カラハリ・ブッシュマン(またはサン、バサルワ)の若者、ダオナンが物語の主人公。
「ダオナン」作中での名詞の意味・固有名詞の由来
※ブッシュマンは「コイサン語族」に属する。そのなかの「グイ語」を参照する。
「ダオナン(人名)」=焼けたメロン。〔p.26〕
「トゥイ(人名)」…由来不明。
「ツァ」…水。〔ここのp.10〕
「オムツェ」=ウリ科の主要植物。〔p.84〕 cf.「オム」=ウリ科の食用根茎。〔p.81〕「オムツェの根を掘って、それを食べてから野宿した」という記述があるので、作中での描写は正しいようだ。
出典は菅原和孝「ブッシュマンとして生きる-原野で考えることばと身体-」。これより下の内容もこの本をベースにしています。
ブッシュマンの名づけについて
「え、ダオナンってそんな意味? 人の名前にそんなの付けちゃう?」と思うので、ブッシュマンの名づけについて紹介したい。ブッシュマンは、子供が生まれる前後の逸話に由来して名づけることが多い。我が国での名づけは「優しい子になってほしい」など子どもの人生を「祈念」することが主流だが、ブッシュマンは出来事の「記念」として名づける。個人の名前は、共同体の記憶装置となるのである。
・例:ザーク(恋人関係)に由来する名づけ…「キレーホ」=妻が間男を引き込んでいるところに遭遇した夫が「早く帰れ。帰らんとこのナイフでお前の腹を裂くぞ」と言って脅した。「研いでやる‐ナイフ」を意味する「キレマ‐カオホ」の短縮形で「キレーホ」という名になった。〔p.27〕
だから「ダオナン=焼けたメロン」という名前になった物語がきっとあるのだろう。ちなみに「ダオグー=焼けた小屋」という名前もあるそう。内田雄一郎か。
ブッシュマンについてもっと知ろう
●言語…本稿で取り上げた「グイ語」を含む「コイサン諸語」はクリック流入音(打着音、吸着音とも)を交えた言語で、世界一難しい言語といわれる。音韻が難しいだけでなく、人称代名詞が非常に多かったり、精緻な言語である。
●文字と伝承…無文字社会。民族としての歴史を持たないが、民話はいろいろある。
●美術…世界遺産のツォディロ・ヒルズ(ボツワナ北西部)の岩絵が名高い。紀元前4000年ごろに描かれたとされている。Wikipediaの記述が詳しい(ボツワナの歴史#サンの岩面画)。一部はGoogle street view でも見られる。「ダオナンはそれからどうしたの?」
国立民族学博物館(大阪)では特別展「先住民の宝」を開催中!……のはずだったのですが昨今の情勢を受け開催見合わせの状態です。開いたら行こう。遠方のお友達も、会期始まったら図録とか通販で買おうね!
●社会…キャンプを移動して生活し、かつその構成員も流動的である。獲物の分配に際しては、狩猟への貢献度とはかかわりなく、キャンプすべての成員に行き渡る。獲物をしとめたハンターはそのことを自慢しないという。「ダオナンはカモシカの肉を与え、ふたりは友達となった。」ハンターは砂の上に残された痕跡から動物や人間の行動を精確に読み取れる。
●コミュニケーション…人々は饒舌であり、その語りは冗長であったり同時発話がされたりするのが特徴。作中でダオナンは説明台詞めいたしゃべり方をしているが、これはブッシュマンの特徴をふまえてのものだと考えられる。
現代のブッシュマン
近代化政策として1961年にセントラル・カラハリ・ゲームリザーブ(野生動物保護区)が設立される。多くのブッシュマンは保護区外の地域への移住を要請され、それまでの狩猟採集生活から定住生活への移行を迫られることとなる。
1992年に設立されたNGO ファースト・ピープル・オブ・カラハリによる権利回復運動が始まるが、「先住民不在の先住民運動」ともいえる状況であった。とはいえNGOの支援によって得たものも多く、運動の難しさを考えさせられる。
1990年代以降、先進国で先住民族への注目が高まり、ブッシュマンは「サン・アート」の販売を新たな生業の一つとし始めている。
参考文献・ウェブサイト
・「ダオナン」を含む短編集のうち入手しやすいのは「諸星大二郎特選集 3 遠い世界」。オビは京極夏彦。名作「遠い国から」シリーズ完全収録。
・菅原和孝「ブッシュマンとして生きる―原野で考えることばと身体」 (中公新書,2004年)
…ブッシュマンの独特なセンス、ブッシュマン・センスに関して、”身体配列”に着目して分析している。「身体化された思考」をキーワードとしているので、認知科学に関心があるなら興味深く読めるかと思います。もちろん文化人類学的にも、名づけに関してだけでなく性に関する認識など、面白い内容でした。
・『季刊民族学』171号 特集 先住民のいま 内の記事「主役なき土地権運動--カラハリ先住民」(池谷和信)
・GAPE -JICA ボツワナの情報サイト-
http://www.tsoft-web.com/gape/gape.html
…ボツワナ共和国に派遣されているJICAボランティアの作成したウェブサイト。情報量が多く、風景や動物の写真も豊富。
・田中二郎「ブッシュマン」は未読……。読後、加筆するかもです。
※ 記事内での民族名の表記について…「ダオナン」本編との統一のため「ブッシュマン」を採用しました。
お疲れ様でしツァ!