不安症の人間が野宿を試みた結果

「そうだ、公園で野宿してみよう」
そう思い立ったのは、つい3日前のことだった。

それは、私を蝕む「不安」に分け入って、その正体を掴もうとする試みだった。
結論から言うと野宿自体は失敗に終わったのだけど、いろいろと自分の中で得られた収穫があった。

今日は、野宿を試みた所感と、その根源にある「不安」にまつわるお話。

不安症の人間が野宿を試みた結果

【はじめに】私は、いつも「生存の不安」に苛まれている

そもそも、なぜ私が野宿を試みることになったのか、その理由を説明したい。
その理由とは、「自分を蝕む『生存の不安』の正体を掴もうと思ったから」である。

生存の不安とは「ホームレスになったら死んでしまう」という、漠然とした不安だ。

明日、いきなり住む家がなくなってしまったら。
助けを求められる人が誰もいなくて、孤独になってしまったら。
そうなったら、死んでしまうのではないか。

そんなことは、普通に働いて生活することができる人なら持つ必要のない不安だ。
けれど、私はそれが出来なかった。
5年間勤めた仕事を辞めてから、職を1年ともたずに転々とする日々。
自分の中で「こんなことを続けていると、いつか安全な社会から追い出されて孤立してしまう。そしたら死んでしまう」という漠然とした不安だけが積み重なっていった。

「ホームレスになった自分になってみよう」と思った

不安を消すのはいつも「その不安に分け入っていき、不安の正体を掴む」ことしかなかった。
思えば、自分が行きたい場所にどこへでも行くようになったのも、高校時代に恩師に背中を押されて生まれて初めて試みた一人旅があったから。

不安症の私は、自分一人で高速バスに乗って別の市へ遊びに行くのも未知の不安でいっぱいだった。
「お金を落としたらどうしよう」「目的地に着かなかったらどうしよう」「困った時、誰にも助けてもらえなかったらどうしよう」そんな不安に、身一つで飛び込んで「ああ、大したことはないんだ」と実感したあの瞬間から、私の人生は変わった。

「ホームレスになったら死んでしまう」という不安に分け入って、その正体を掴むこと。
私にとって、それが野宿だった。
安全な社会から追い出されて孤独になったら当然、住む家もない。頼れる友達もいない。
そんな状態を疑似的に作り出すのにうってつけだったのが、身一つで家のないところに寝泊まりする野宿だったのだ。

ホームレスになりきるなら、前段階として「お金のかからない暇つぶし」も体験すべきだ

ホームレスは家に住めるほどの収入がないので、当然ながらお金のかかる暇つぶしはできない。

そこで自分が考えたのは、読書。
古典的だが、安価で暇つぶしができるとして多くの人に愛されている方法だ。
今日は風があまりにもひどかったので公園での読書は諦め、図書館で読書をすることにした。

本当のホームレスが図書館を利用するかは微妙(調べてみたところ、ホームレスの出入り対策をしている図書館も少なくないそう)だが、まあ今回はお試し期間ということで。

ちなみに、読んでたのはこれ。
私の普段の言動を知っている人なら「あーね」となるはず。
文体が柔らかくて読みやすいし、何度読んでも新たな発見があるので重宝している。

結論から言うと「自分の思考をこねくり回すことと組み合わせれば、読書で長時間の暇つぶしをすることは可能」だった。
私は、読書をしていると「これに自分の生き方を当てはめてみると、こうなるのではないだろうか」という気づきをメモし、それをこねくり回して自分の世界に入ることがままある。
なので読書する時は、思いついたことについてメモを取ることと組み合わせれば、延々と時間を潰すことができる。

「自分が、お金がかからない方法で暇つぶしをすることができる」と気づけたのは大きな発見だった。
他にもお金がかからない暇つぶしを複数持つことができたら、一生お金をかけずに暇つぶしをすることも不可能ではなさそうだ。
(今のところの候補は「安いノートに安いペンで落書きをすること」「散歩をすること(晴れた日に限る)」「寝ること」)

野宿を試みてみた。けれど…

そんなこんなで、気づけばすっかり日も暮れて時刻は20時。
図書館の利用時間は21時までだったが、日が暮れたんだから寝てみよう!と思い、公園に行くことにした。

私が選んだ公園は広く、自然が豊富で、この時間は明かりも灯っていた。
しかし、私は全く安心ができなかった。
「ここなら安全だろうか」「いや、そうじゃないかも…」とあちこち歩き回っては、不安に駆られていた。

やがて私が見つけたのは、小さな東屋。
入口にも近いし、ベンチも木製で暖かみがある。
万が一、変質者に襲われたとしても近くにはマンションがあるので、助けを呼ぶことは不可能では無さそうだ。

カバンを枕にし、着ていたコートを掛け布団にして、ベンチに横になる。
そして、目を閉じる。
その途端、蓋をしていた恐怖が一気に襲ってきた。
自分の中で「おい、そこのお前」と声を掛けられる妄想がぐわっと押し寄せ、3秒も目を閉じていられなかった。

それは見回りのおじさんでも、変質者でもどちらでも変わらない。
声を掛けられることそのものが、たまらなく怖かった。

「野宿は無理だ。帰ろう」
そう思って目を開け、野宿を諦めることにした。
ちなみに時刻は20時30分ほど。わずか30分での出来事だった。

「ホームレスになったら死ぬかもしれない」という不安の正体が、なんとなく見えてきた

とにかく「睡眠という無防備な状態になる時、外部から妨害を受けること」がとても苦手なぐらい不安症なのだ。

思い返せば田舎の家に住んでいた時も、夜に大きな物音がすると「自分はこれからクマに襲われて死ぬかもしれない」という不安が押し寄せ、飛び起きてしまうこともあった。
また、夜行バスに乗るとガタガタ揺られることで一睡もできなくなる(睡眠薬を飲んでもダメ)ぐらい寝つきが悪い人間でもあった。

そんな自分なので、ホームレスになったら不安のあまり慢性的な睡眠不足に苦しむことは明らかだろう。
死ぬことはないかもしれないが、その一歩手前ぐらいの辛さは味わうことになりそうだ。
大人しく「安全がある程度保障された個室で眠れる毎日を送れるよう立ち回ること」をした方がいいな、と感じた。

【終わりに】野宿は失敗した。けれど、得るものはあった

まず、自分が「外で寝ようとした時、それに耐えられないぐらいに不安を感じる」ということが分かった。
基本的には外で寝ることにならないようにする方針で立ち回った方が手っ取り早く、確実だ。
ただ、たとえば出先で1泊する時、ホテルを取らずにネカフェに泊まってみるなどして費用を抑えることはできるかもしれない。
どうせホテルでも寝つきがひどく悪くなるので…。
そこはまた別のチャレンジになるので、元気が余っている時に試してみたい。

また、「お金のかからない暇つぶしで遊んで過ごせる」ということに気づけたのは大きい。
私は長時間労働がどうしても難しいので、次に仕事先が見つかったとしても多くの収入を得ることはまずないだろう。
その少ない収入の範囲でも楽しく過ごすことができれば、無理に長時間労働をしてメンタルを崩すこともなくなってくるはずだ。

次は「日が昇ってから日が暮れるまで、スマホも財布も持たずに外で過ごしてみる」というチャレンジをやってみようと思う。
数冊の本とノート、ペンを持って外出し、公園でボーッとしてみたり図書館で読書をしてみたりするというものだ。
できれば、よく晴れて天気のいい日に実行したい。

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