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歴史から紐解くフリースタイルフットボール

ここ数年で
幾度となく耳にした言葉があります。
それは

リベラルアーツ

日本経済団体連合会 通称 経団連が
今後の採用と大学教育に関する提案
言及した言葉であり
まさに教育業界では
ホットワードとなっています。

なんとなくのイメージとしては
いろんなことを知っている
といったところでしょうか。

この言葉、実は
中世ヨーロッパにまで遡る
非常に歴史のある言葉です。

当時のヨーロッパは階級社会で
ザックリと区別するなら
貴族と労働者に分かれていました。

貴族にも種類があり
自らの土地を治める領主だったり
剣術などに長けた騎士だったりします。

いずれにせよ彼らにも仕事があり
必ずしもワイングラスを片手に悠々と
過ごしていたわけではありません。

そんな彼らは階級制ゆえ
身分相応な教養を備えていることが
求められていました。

それがリベラルアーツ

自由七科と呼ばれる
文法、修辞、論理
算術、幾何、天文、音楽
の7つの学芸(art)が由来で
のちに神学、法律、医学が加わって
今のリベラルアーツとなりました。

なぜリベラルかというと
そういったことを学ぶことで
奴隷的な身分から解放される
=自由になれる
という考え方があったからです。

というのも、労働者階級は
家族の生活を安定させるために
仕事に集中しなくてはなりません。

そして、十分な収入を得るためには
その労働に関して熟練者であることが
重要な分かれ目であったのです。

そう考えると、
やはり労働者階級は
日々のやることが制限されており
決して自由とは言えず
広く豊かな知識を得ることは
なかなかできませんでした。

その意味で
貴族は自由民だったと言えます。

少し脱線すると
昔と今ではプロアマ
意味合いが違っています。

つまり、1つの物事に専心し
それでお金を得ようとするプロは
いわば労働者階級であり
他方、単に好きでやっている人は
生計を立てることに迫られないため
貴族階級だったのです。

アマチュアの語源が
ラテン語のamator=愛する人
ということからも分かると思います。
長友選手が流行語を狙った
アモーレと同じです。

話を戻して

つまり、
中世ヨーロッパにおいて貴族は
自由民にふさわしい教養が求められ
その教養こそが
リベラルアーツだったのです。

今でもその血筋は流れており
ヨーロッパの人たちは一般に
いろんなことを
知っていたりできたりすることに
価値を見出します。
(あくまでそういう傾向)

しかし、これは日本では
器用貧乏という言葉に代表されるように
あまり良いイメージが無いのも事実。

手に職をつけるあるいは 道を極める
という表現から分かるように
日本においては
脇目も振らず真っ直ぐ進むことに
価値を見出します。

逆にこれは西洋からすれば
視野の狭いつまらない人間
とも評されるわけです。

最近はグローバル化によって
異文化理解が急速に広まり
必ずしもネガティブな印象だけ残る
というわけではありませんが
歴史的に見るとそうでした。

さて、

ここまで読んでいただいた方なら
タイトルの意味することが
だいたい分かるのではないでしょうか。

つまり、主に我々日本人が批判する
海外選手のコピーやバイトは
実は西洋文化が根底にあったと言えます。

逆に、
EASYさんやIbuki、ふじさんのように
それぞれの○○スタイルを
体現しているフリースタイラーが
日本に多いのは
リベラルアーツに対して
の文化に由来しているとも言えます。

このように、
フリースタイルフットボール界で
永らく議論されている
オリジナリティやスタイルは
そもそも歴史的に積み上がってきた
文化に影響されている価値観に
根本的な違いがあると言えます。

もちろん、どっちが良い悪いという
単純な話ではありません。

フリースタイルフットボールで言えば

あれだけの技の数をこなすのは
単純にすごいですし
良いと思ったものをすぐ取り入れる
あの積極的な姿勢も
日本人はリスペクトすべきでしょう。

反対に日本が誇る道の文化は
相当な集中力が求められるわけで
Ibukiのクロスボディスタイルは
おそらくこれからも進化し続けるし
大きな可能性を秘めてるでしょう。
その奥深さについても
もっと見つめなおされていいのでは。

人生という大きな物語の中で
あるかどうかもわからない
普遍的な価値を見出すために

広い視野で物事を捉える
リベラルアーツ

深い洞察で物事を捉える

あなたはどう未来を創りますか?

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