言葉が通じてこそ、友だちになれる
「言葉が通じてこそ、友だちになれる−
韓国語を学んで−」(2004年/筑摩書房)
詩人・茨木のり子さんと韓国語講師・金裕鴻先生との対談で韓国人の性格や習慣、言葉について語り合う私の大好きな一冊です。
図書館でこの本を手に取った2017年の春、私には韓国人の友達ができました。
たくさんの韓国語テキストがあるなかでこの一冊のエッセイを手に取ったのは紛れもなくタイトルが響いたからでした。
私は韓国人の友達と話がしたくて韓国語を勉強しようと思っていました。
この本を手に取った時韓国人と本当の友達になりたくて韓国語を話せるようなりたいんだと気付きました。
韓国について。
私の韓国に対する思いについて。
何から書こう。
とりあえず思いつくことを書いてみます。
初めて会った韓国人
私が初めて韓国人に会ったのは小学生の時です。
同じクラスに韓国人の女の子がいて日本人と同じような顔をしているのに名前がカタカナでとにかく気が強かった印象が残っています。
その時は韓国という国がどこにあるかもなにも知りません。
確か小学4年生くらいのとき、その女の子の弟が交通事故で亡くなり私は母とお通夜に行きました。
お通夜に行くのは私にとってそれが初めての経験で遺体を見たのも初めてでした。
怖かったのか悲しかったのかよくわからず泣いた記憶が残っています。
それよりも鮮明に覚えているのは女の子のお母さんの泣き方でした。
床に座り込み遺影に向かって嘆くように大きな声で泣く姿が苦しく辛そうに見えて胸が痛み、人目を憚らず泣く姿はある意味衝撃的でした。
あれから今までお葬式やお通夜に行く機会はあっても、日本人であのお母さんのように嘆き悲しむ姿は未だに見たことがありません。
今だからわかるのはあれは韓国人の泣き方だったということです。
それを知るきっかけになったのは韓国ドラマでした。
偶然は必然になっていく
自分に起きてきた出来事をひとつひとつ思い出し辿っていくと、物事にはルーツやきっかけがあることがわかります。
偶然だと思っていた出来事が今考えると必然的なことだったんだと思えます。
ただなんとなく生きていてもこうやって偶然は必然になっていきます。
大人になって知り合った韓国人の友達をきっかけに私は自分が韓国をこんなに好きになることも韓国のことばかり考えて日々を過ごすことも想像していませんでした。
韓国はなぜか感情を揺さぶる。
私にとってそんな存在になっていました。
最近はインプットが多すぎてどうにか整理できないものかと思い、私の韓国への思いと知識を記録に残していくことにしました。
韓国のドラマ、バラエティ、音楽、文学、歴史、人、習慣、食べ物、韓国語…書きたいことはたくさんあります。(政治には今のところ触れないつもり…)
茨木のり子さんの本や韓国人の友達との出会いはまた改めて書くとして、次は私にとっては重要な韓国ドラマ遍歴についてまとめてみます。
韓国がとにかく好きな日本人として自分の韓国への思いと向き合うために。
いつか韓国語で書ける日が来るかな。
친구야 기다려줘… (友よ待ってて…)
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