所信表明

所信表明。

まずは、これを聞いてくださる皆さんに貴重なお時間をいただきますことをお詫びさせていただくとともに、お忙しいなかお集まりいただきましたことに、深く感謝を申し上げます。

私事で恐縮ですが、私はいよいよ明日、就業勤続1年半を迎えます。
この日は奇しくも私の誕生日でもあり、非常に感慨深い思いです。
そんな明日を迎えることができる今日この日に、
私なりの在り方、それに至った経緯、今後の抱負について、
そしてこれまでの各位への御礼を申し上げたく、
ここに所信表明を始めさせていただきます。

突然ではありますが、私は7年間無職をしていました。
高校を卒業してすぐの職場を数ヵ月で辞めてしまい、
そこから7年の無職期間のなかで、発達障害の診断の自覚や、
白内障の発症/手術を経て、今の職場との出会いがあります。
そんな中で就職した初年度は、「不安」なんて言葉では言い表せるような状態でなく、1日、1週間、半年、1年を続けることに精一杯でした。
それを乗り越え、今年の4月。
初めて後輩という存在ができ、彼女の快活な様子によく救われました。
そして彼女の存在は、私自身が何かを"続けていること"を実感するきっかけにもなりました。
しかしながら私にとって、勤続が半年を越えた時点で、毎日が未知の状態でした。
それこそ「毎日が勤続更新日」という様相で、この1年もまた、不安な状態で日々を過ごしていました。
加えて、年月が経っても容赦のない感染症の猛威と、それが自分の性質・スタンスと大きくギャップを起こしていたことで、焦りが募っていきました。
正直に言えば、毎日「いつこの仕事を辞めてしまうだろう」「いつ自分が折れてしまうだろう」と思っていました。
それは正しく、暗中模索という言葉が適切な様相でした。

そしてその過程で、私は多くのものをなくしました。
身内、言葉、想い、感謝、そして本質。
多くのものが、見えなくなりました。
特に今年の7月下旬頃から今日までの約1ヵ月ほどは、
自分の中で限界が来たのか、自分なりに迷い、逃げ出し、放り投げて、
SNSやメッセージアプリを確認しなくなりました。
当時は、自分が何を失くしたのかについてすら分からないほどに
がむしゃらにもがいていました。

そのなかで出会った別所にて、
普段とは違う価値観の人たちとのご縁があり、
その人たちと価値観をぶつけあっているうちに、
まずは「自分が迷っていること」に気が付きました。
次に「周りが寸分先も見えない状態であること」に気が付きました。
次に「自分ががむしゃらに手足を振りまわしている状態であること」に気が付きました。
次に「自分が今苦しんでいること」に気が付きました。
今思うと、ここでやっとスタートラインに立てたのかもしれません。

そんななか きたる8月下旬の某日、唯一の自己表現の手段であった
写真作品について、手厳しい意見を多くいただく機会がありました。
余談ですが、私は人生において、自己表現・創作の在り方でも
悩んできた経緯があります。
自分のやりきれない感情を、真の意味で自由に消化できたことと言えば
創作であり、創作は、常に私の味方で在ってくれました。
しかし親がアートやデザインに人生を捧げたような存在であり、
幼少期からその在り方に触れてきた私自身はというと、
絵も文章も彫刻も舞台も動画も音楽も自らの劣等感に打ち負けてしまい、
その末にようやっと掴み取った写真という手段も、遂にこれですら火を消してしまうのかと、一転冷静で、無味乾燥な気持ちでおりました。

その時に立ち寄った画材店でのことです。
店員さんが一言、「お久しぶりです」と声をかけてくれました。
私はその時、「私の作品を覚えていてくれた人の存在」に気が付きました。
暗中模索、五里霧中のなか、一つぽつりと、灯りがあることに気付いたのです。
店を出た帰り道で、お店の店員さんに深く感謝するとともに、
「昔から案外そういうものだったかもしれない」と思い至りました。
私は自身の作品について優劣を求めておらず、誰かの目に留めていただけるようなどこかの片隅にひっそりと作品を添えさせていただくこと。
その末に、もしも誰かがそれを覚えていてくれて、誰かがそれを「好きだ」と言ってくれること。それで私にとっては充分すぎるほどなのではないかと。
ここで私は、自らの人生にとって創作がとても大切な存在であると理解したと同時に、創作に向き合うにあたっての重要な柱の部分を自覚し、取り戻しました。

ここで、仕事の話に戻りましょう。その頃私は、日々の仕事の慣れ具合と出勤率の維持との部分に大きなギャップを感じていました。
仕事は慣れてきた様子だけれど、出勤率はなかなか上げることができない。1週間予定通りに出勤できるタイミングすら作ることができない有様でした。
いよいよのっぴきならなくなった頃、その相談をした上司から、こんな話をされました。
「あなたはこれまで約1年半、ずっと気を張り詰めていたと思う。その中でようやっと"仕事に慣れてきたかもしれない"と気付いて、それだけ少し余裕が出てきて、張りつめていた糸がぷっつりと切れてしまったのかもしれない。その上で現状趣味でのストレス発散も難しいので、あなたは今、体内に熱がこもって 汗も出ずに 発散できていない状態なのかもしれない。」
私はその言葉に、妙に納得してしまいました。
これをもって私は、「仕事を続けることができるのかもしれない」という部分で、自分を許し信じる段階へと、一歩進むことができました。

本当に、一時はどうなることかと思っていましたが、
今日ようやっと、この日を迎え、終業のチャイムを聞いたことで、
無事に明日を迎えられることを実感したとともに、ほっと一息つくことができたのであります。

ここまで来てふとこれまでを立ち返った時、どんな思い出の中にも、誰かとの関わりや、誰かへの想いがありました。
これらの思い出は、味方であってくれるなんて言葉では言い表せません。
あまり多くを口に出していないとは言え、皆様との思い出に、幾度助けていただいたのか、想像もつかないほどです。
しかしこれはお恥ずかしいことですが、霧の中に在ってがむしゃらなうちに気付く余裕すらなかったことでもあったと、正直に申し上げると同時に、深く反省しております。

今もこれまでも、何より、皆様とのかかわりがあってこそであったこと。
皆様とのかかわりの一つ一つが、街灯のように、荒野を照らしていてくれたことを、深く実感したところであります。
そして一度わがままに、見えなくなってこそ、これまで支えてきてくださった皆様への思いがより厚みを増し、より重層的になったかと思います。
先ほどは「思い出が支えてくれた」と申しましたが、これはたとえば過去の思い出だけに縋るというようなことではございません。
是非皆様とは、今も、そしてこれからも、各々が苦境に立たされた時にぐっと踏みとどまり、大事なことを手元に引き戻させてくれる本の1ページのような、そんな思い出を積み上げていっていけたらと、考えております。

結びになりますが、これまでそばにいてくれた友人たち、フォロワーの皆様、職場の皆様、それぞれが私を見捨てないでいてくださいましたことに
深く御礼を申し上げますとともに、
今後もよろしければ、皆様のご無理のない範囲で、一緒に思い出を積み上げ、関わっていっていただけますと幸いです。
長文乱文ではございましたが、これをもって、私の所信表明といたします。
ご清聴いただき、ありがとうございました。

2022年 8月31日
新坂 時深

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