勇気ある一言

個人の疲労なんか、そのへんにありふれるようになった。
「重度の鬱だと言われました」と笑って話すYouTuberたちが爆増している。
とても苦しい。
疲労を隠しきれない振る舞いもそのへんにありふれるようになった。
ちょっとしたことでムッとなったり、会話の中にある興味のないことを平気で無視したり。
とても悲しい。

しかしそれらとは別に、「話を聞いてほしい」と声をかけられることも増えた。
聞いてみれば、それぞれの個人に内包された、とても苦しいであろうことが容易に想像できる現状や逆境たち。私は何もできず、ただ話を聞くことで相手が楽になってくれればと祈るばかりで。

「話を聞いてあげるよ」とも言われた。
こちらは結局意味はなかった。
じゃあ果たして私は、聞いてもらうことに何を求めていたんだ?
そう思うと、答えが出ないうちは話す気になれない。

最近、話して楽になるというのがどんな感覚なのか、いまいちよくわからない自分に気付いた。
話して、それに返答があって、また話して、それで楽になる。本当にそういうことがあるのか?よくわからない。
むしろ話すことが苦痛だと感じることのほうが多くなってきた。

今は職場でもまったく誰とも話していない。
先月初旬くらいまではもっともっと活発に話していたものだ。
それが急にこれなのだから、同僚からも先輩からも、いよいよ嫌われていることだろう。

私は全部から逃げ出した。
繋がりも名前も開示も責任からも、
喜びからも悲しみからも苦しみからも。
繋がりから逃げるということは、
感情から逃げ出すということなのだと
最近やっと理解をしたような気がする。

「気にかけられたくない」
その勇気ある一言が言えない。
言えないのなら、構造的に対処するしかなかった。

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