R-1でやるネタ

僕は2010年の4月にピン芸人になり2011年から病気になった2017年と2018年を除きR-1に出続けている。

2011年の1回戦はある意味R-1を舐めていたので「感情」というそんなに強くないフリップネタをやったんだけどそれ以外は病気になるまでずっと「夢なんす!」という僕の中では一番強いネタをやり続けた。

2011年の2回戦、3回戦、2012年の1回戦、2回戦、3回戦、準決勝、2013年の2回戦、3回戦、準決勝、2014年の2回戦、3回戦、2015年の2回戦、3回戦、2016年の2回戦、3回戦。

R-1で15回も同じネタをやるって本当いかれていると思うしそんなやつなかなかいないと思う。

ホント今考えるとMORIYAMAは超保守的お笑い極右だと思う。

でもそれだけR-1にかけていたというか周りが見えていなかった気がする。まさに夢中になっていた。

毎年一応新ネタを作るのだが10月くらいになって今年何のネタやろうかなって考えた時に「夢なんす」vs「新ネタ」でライブにかけていくんだけどやっぱり毎年「新ネタ」は「夢なんす」に勝てない。

だから仕方なく「夢なんす」をやるしかない。その時一番強いネタをやるのが正しいと思っていたから。

僕はこの現象はもう一生続くと思っていたしそれだけ「夢なんす」は強かったし全然ほかのネタじゃ勝てなかった。

しかし2016年のR-1終わりで脳梗塞になり僕は2年間R-1から離れた。

その間僕はもうお笑いに復帰することはないんじゃないかという気持ちと「夢なんす」を超えられないコンプレックスが重なって名古屋という土地である種のいい加減な気持ちで新ネタを大量に作ってYouTubeに100本以上あげた。

YouTubeというのは僕にとって遊び場であって仕事場じゃない。適当でいい。もちろんライブやR-1だってもっと気楽にやらなきゃいけないんだろうけど僕にはそれができず結局いつも同じ一番良いネタばかりやってしまう。

だから病気になったことによってできた時間と余裕、そしてライブに出られなかった期間が僕に新しい考えをもたらしてくれたのだ。

そして迎えたR-1ぐらんぷり2019。僕は「夢なんす」じゃないネタでのぞんだ。そして3回戦に進むことができた。

たかが3回戦かもしれない。でも「夢なんす」じゃないネタでの3回戦に進めたのは本当に嬉しかった。

新しい扉をようやく開くことができたのだ。

R-1ぐらんぷり2020まであと5ヶ月。今年は何のネタをやろうか。迷うという選択肢があることに幸せを感じている。

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