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2023.7.22(土) 授業半分終わった

訓練校の授業が半分終わりました。2ヶ月間あるうちの前半1ヶ月が終わりました。

平日10〜16時過ぎくらいまで、週5でひたすら授業を受けています。座学と実技です。
今まで全然知らなかった分野のことをいきなり大量に吸収していて、けっこう頭がてんやわんやです。

その反動なのか、Royal Matchをけっこうやってしまいます。
※Royal Match(以下「マッチ」)は携帯のパズルゲームです。数日前の眠れない夜にマッチについての熱い想いをこのnoteに載せたんですけど恥ずかしくなって下書きに戻すつもりが削除してしまって幻になりました。とにかくハマっているパズルゲームです。

授業のせいじゃなくて、マッチのやりすぎで頭がてんやわんやの可能性も高いです。でも、だとしたらもう諦めるしかないです。わたしがマッチをやめることはできないからです。

あとちょっと前にじつは体調を崩していました。1週間ぐらい具合悪くて、それこそもうマッチをやることしかできなくなっていて、受験勉強がSTOPしてしまいました。

一度止まった習慣を戻すのはなかなか難しくて、最近はほんとにたまにしか勉強をしていないです…
またいつか、きっと、、

介護の勉強は相変わらずおもしろいです。実技で寝てる人をベッドから起こしたり車椅子に移乗させたり、というのを先生に教えてもらったりしました。
生徒同士でやってみたりして、めちゃ難しいです。

でも先生が「これは一応基本のやり方ではあるけど、現場ではもう利用者もそれぞれだし状況もいろいろだし、臨機応変に自分に合ったやり方をみつけていくしかない。経験数を増やしていくしかない。」みたいなことを言ってました。

あと余談だけど、生徒同士でやるときに異性の人を介護するとき、自分はちょっとやだなと思ってしまいます。でも言ってないです。
気にしすぎかなとか、失礼かなとか思ったり、体格差のある人で練習するのは必要だよな、とか思って何も言ってないままです。

同じ女性を指名して何度も練習してた男性がいて、それを見て自分はなんかやだなと思ったけど何も言わずに終わってしまいました。
何の意図もなかったかもしれないし、たまたまだったかもしれないです。
でも、そうだとしても自分なりになにかできたらよかったです。
みんないい人で、みんなだんだんと仲良くなっているので、なんか、どうしたらいいんだろうなと思います。わたしだけがそういう目で見てしまっているかもしれないです。
でもまたもし同じような状況が発生したら、自分の思うようにちょっと行動してみようと思います。

就職先について、クラスの皆さんももう動いていて、いろんな職場の情報が交換されています。わたしもいろいろ探してみたりしています。
先週具合が悪かったときは、もう介護なんかやりたくない、という気持ちにもなったりしていました。
今はまた迷い中です。
いろんな選択肢があります。
なにをしても良い経験になりそうです。

今日は死についての授業でした。
わたしはけっこう死について考えるの好きで、まわりにも普段から死についてあれこれ話せる人がいます。
でも今日授業で受けてみて、グループワークとかもして、「ふつうは自分の死について考えたりしないですよね」、という前提がある感じがしました。

わたしが自分の死についてよく考えると話したら驚かれました。
でも自分としては、死について考えずによく生きていられるな、と思います。
とはいえ、わたしはめちゃくちゃ身近な人を亡くした経験は無いし、大災害に遭ったこともないし、自分が病気で死期が近いとかではないので、なんか、死について考えると言っても、フィクションの死、みたいな感じがあります。
中2みたいな世界の死かもしれないです。

そんな自分を恥ずかしく感じたりもしつつ、
「子どもが親より先に死ぬのだけはダメだ」みたいな意見を聞いたときに、なんか
なんの話なんだろう?と憤ったりします。
いろいろ思いますね
自分には子どももいないので、そこもまたよく分かっていないです。
悲しかったり恥ずかしかったりしますが、いまはそんな自分なので仕方ないです。

親を悲しませないように生きるなんて、もし自分に子どもがいたら、そんな生き方やめてほしいなと想像の中では思います。

あと病気の末期とかになって自分の意思を伝えられなくなる前に、最後をどうするかを話しておきましょう、という話もありました。
ACPというやつです。

それの説明の動画で、これも動画の主旨と関係ない余談なんですけど
モデルとして出てくる家庭が
バキバキの家父長制二世帯同居家族で、妻が夫に敬語使うみたいな人たちで、動画見ながら、手に持ってたペンを床に投げつけたくなりながら見ました。
(そこで実際には投げつけれないのがわたしです。。)

老夫婦とその長男、長男の妻、長男の息子の5人。

線で囲んでる5人が同居している


老夫婦の夫(おじいさん)が死期が近くなって、
事前にACPをやってたバージョンとやってなかったバージョンを見ました。

ACPやってたバージョンで、おじいさんに最後に食べたいものは?って聞いたら、「煮物かなぁ」とか言って、奥さん(おばあさん)が「ブリの煮付けでしょ?うふふ」とか言って、長男の妻(お嫁さん)が「それもお母さんの手作りのね😉わたしのじゃダメなんですよね、」あははは〜 みたいなやってて、
このお嫁さん(お嫁さんっていう呼び名?とかポジションってすごく気持ち悪いと感じるけど、この動画の女性を表すのにはお嫁さんっていうのがわかりやすいのでお嫁さんと書きます。)はどんな気持ちでこの家に何十年も過ごして家事をし続けてるのかなと思って、怖いなと思ったのと
お嫁さんのご両親はどうなってるのかな?とずっと気になりました。

この長男の両親はこんな高待遇されて、みんなで話し合って、
でもたぶんこのお嫁さんの両親のACP会議には、この長男は参加しないんじゃないかなと思いました。

あと、おじいさんが「孫がかわいくてかわいくて。最後まで孫もいる我が家で過ごしたいなぁ」とか言ってて、
お嫁さんのほうの両親だって孫はかわいいだろうがよと思って、
でも女を産んでしまったがために「最後まで孫もいる我が家で過ごしたい」なんて願望が意識にのぼることすら無いんだなと思ったら
やっぱり手に持っていたペンを握りつぶして手を血だらけにしたい気持ちになったけどしませんでした。

ちょっとはお嫁さん側の両親について思いを馳せろや

でもあれはフィクションの動画なので、あんな形態の家族この世に存在しないのかもしれないです。
それに人によって価値観ちがうから
自分がそんなふうにしなけりゃいいだけかもしれないです。

介護と家父長制はけっこう関係深いかもしれないです。

けっこうわたしは家父長制系のことにすぐ怒りマックスみたいになりがちです。

怒ったり社会への不満みたいなのぺらぺら言ったり書いたり頭の中で思ったりしてるときって、なんとなく快感があるというか、なんか心のどこかで気持ちいい感じがあって、なんか、中毒性がありそうです。
文句言ってるあいだは自分の正当性が担保される、みたいな、
安全で優位な立場にいられるような感覚がある気がします。
そこにとどまりたくないです。


学校半分ぐらい終わって今そんな感じです。

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