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2023.12.31(日)

こんにちは。2023年の大晦日に書いています。
さいきん感じたこと2つ

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①具体的な情報や文章に触れたい。
具体的な細かい実例や情報や文章のほうが、自分に活かしやすいような気がします。誰かが抽象化してまとめてくれたものよりも、具体的で細かいもののほうが自分なりにカスタマイズしたりして扱いやすい気がします。

歴史資料とかも、それをすでに誰かが解釈してくれたものにしかほとんど触れてないけど、一次資料(というんでしょうか?)を読めたら、もっと距離が近くなって楽しそうだなと思います。

編集された動画よりもノーカットみたいなほうがいいみたいなのも思います。対話の間とか咳払いとか、カットされるような部分からこそ何かを得られているような感じがします。

具体的で細かい情報は、その中に無駄なものも多く含まれていて、その中からエッセンスを抽出して整理する作業が必要で、それがめんどくさいなという点があるようにも感じるけど、
実際は、どれがエッセンスだと感じるかは人によって違うし、その整理の仕方もそれぞれの人のセンスによって違うから、抽象化する工程を人に任せてしまうのは、実は重要で楽しい工程を逃してしまっているのかもしれないと思いました。

自分でやるか、もしくはよっぽど気の合う人がやったやつをいただくか、がいいかもしれないと思ってきました。

この文章はあんまり具体的じゃないです。

②「お行儀がいい」って何だったのか
いま働いている介護施設は認知症の高齢者がほとんどなんですけど、認知症の程度やその症状の出方は人によってさまざまです。
そういう中で、ごはんを食べるときに、おかずをいろいろごちゃごちゃに混ぜてしまう人とか一度口に入れたものを出してしまう人とかもいます。そういうのを見て、自分はあんまり何も不快に感じません。もしかしたらそれは「この人は認知症だからな」という意識が自分にあるからかもしれません。
 そして、あんまり認知症じゃないお年寄りの人がそういう食事の仕方を見て厳しく怒ったりすることがあります。それどころか、そのお年寄りをバカにしたり嫌味を言ったり、ということもします。わたしは汚い(とされる)食事の仕方を見てもなんとも思わないけど、そのことで人をバカにしたりきつい言葉を浴びせたりするのを見ると嫌な気持ちになります。
 認知症の症状が進んでいて、ごはんを吐き出したり、テーブルの上に足を乗せたりするお年寄りは、今まで社会的に良しとされてきた行動規範から外れた行動をしますが、それはときどきとっても魅力的に見えるときがあります。というか、自分にとってはほとんどがとっても魅力的です。
急に歌い出したり、日のあたっている床に急に寝転がったり、そのときしたいと思ったことを誰も何も気にせずにやっているように見えます。そういうのを見ていると、テーブルに足を乗せる行為も、乗せたいから乗せただけだよなぁって思って、それの何が悪いんだろう?という気持ちになります。
食事する場所に足を乗せたら衛生的に汚い、ということもあるけど、拭けばいいだけです。それを、狂ったように叱責、罵倒するほうがよっぽど迷惑行為に自分には感じられます。
お行儀よくすることには、理にかなった意味が基本的にはあると思うけど、それを守るあまりに、それをしない人のことがとんでもなく許せなくなるようなら、お行儀よくする文化というか常識というか、そういうものなんか無くなればいいのに、と個人的には思っています。

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さいきん結構家を掃除しました。長年洗ってなかったクッションや布などを洗ったり、引っ越して以来意識したことなかった箇所のホコリをとったりしました。夫がガスコンロの裏や下の地獄みたいなところをキレイにしてくれました。ベランダも掃除してくれました。
職場でも大掃除をしました。
あんまり伝統的なこととか風習とか嫌いなんですけど、年末に掃除して、すっきりした感じで新年になるのも悪くないなと思いました。


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もりわきひとみ
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