2023.09.16 "Tiny Summer of Love DIY FES 2023" at GROWLY BUILDING
真に求めるものはずっと手に入らない、なぜなら求め続けることに際限がないから、だから俺はいつまでも自由にはなれない。
長らく準備してきたTiny Summer of Loveのフェスが終わり、それを名残惜しむメンバーたちの声も鳴り止んできて、そろそろ次の活動について考え始めた。「Tiny Summer of Loveのフェス」などという回りくどい表現をするのは、チームの名前やこれからの活動と分けるため、終わった次の日にそう決めた。我々がいつもご機嫌なコレクティブ、Tiny Summer of Love、無邪気で素敵なナマの生き物たち。
打ち上げの時、当日遊びに来ていたマッスルインテリの小川と中川の二人をバイトチームと称すると「なんて排他的な集団なんだ!」と叫ばれたが、当たり前である。どんどんメンバーが増えているが、オマエたちは加入させない。ずっとその距離にいて欲しい、信用できる譜代や外様を先に設置しておいてこそ骨格が整う。あとは大川がいれば面白いのになーと思う。大川募集。
結論から言うと、多少無理してでもこのタイミングでやって良かったと思う。これでやっとはじめられるし、何よりみんなが生きてた。
一番そう思ったのは今朝、当日3F端のブースで勝部が行っていたラジオを聞き返した。忙しすぎて当日は全くノータッチだったので。その中にあったリッキー(Blue tea)のセリフ。バンドと美容師が両方同時にできて「本当に自分だ」と思った、と言っていたこと。
人間の人間性がトリミングされてしまうことが一番つまらない。全ての人物には余すところなくその人間でいて欲しい。あー、本当にそう思うんだ。だから現代社会では大体つまらないし、人間を見ていると息が詰まってしかたがない。
世界はいつだってこんなに最高だけど、その最高にダマされてはならない、まだ生きてない要素が、空白が、いっぱいある、全然足りない。無明の満足が一番つまらない。
世界がすべて点線で見えるせいで、すべての「ある」と「ない」がストレスになってしまった生きづらい俺のアタマの中を、少しだけリッキーが救った。あの日リッキーは準完成していた。みんな大概ハイだったが、リッキーは特にハイだった。この世界はその時一番ハイなやつが優勝。それは静かなハイでもいい。ハイなやつにはラブがある。
ラブは大事、ラブはバイパス、人は自分にとって意味があると思えるものからしか、何かを得ることはできない。信頼しているものからは無限に気付きが得られる。潜ったら何か出てくるという確信がない場所には強くダイブできない。作品は信頼できる、人間は信頼辛いが、本気の人間は信頼できる。作品は流石に本気が見える。
愛はバイパス、愛してしまえば世界全てが採掘場になる。だからキリスト教はすごい。たとえ愛するのが不得意でも「この瞬間全ては何かの意味として与えられている」という考え方がそれを補完している。俺はそっちから入った。愛は美談ではなくツールだ。
優勝者を発表したあとは、なんだかナイスクリエイティブだなと思ったことを。エリカちゃんに自分のブースに連れ込まれ、作品についての説明を聞かせてくれた、こんなことができるやつは愛さざるを得ない。片付けをしていると皿やテープやいろんなところに落書きがあった。サッカー場では勝手にトーナメントが発生していた。アワータウンズの謝罪会見にみんながシャッター音で答えた。来場者のひとりがクッキーを作って配っていた。神谷はいつの間にか似顔絵を描いて回っていた。ライマはこっそりとrubanでヘッドドレスを買って柴田にプレゼントしていた。
俺が遭遇しただけでもこれだけの自由な発想があった、きっとまだまだあったのだろう。あー、よかった。
ちなみに、当日写真をその場で刷って落書きして貼れるようにしたのはイマイチ流行らなかった。ミツカンと俺ばっかりそれで遊んでいた。
一回フェスを試運転してみて、考えることや用意するべきことはわかった。フェスは来年をお楽しみに、他の活動はまたすぐに。
出演者出店者来場者その他、第一回をこのメンバーで迎えられてよかった。愛してるよ。
日記終わり。
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