死ぬまでに読めてよかった『折りたたみ北京』
北京、異形の都市。この街は貧富の差により三層のスペースに分割され、24時間ごとに世界が回転・交代し、建物は空間に折りたたまれていく。
ハオ・ジンファン「折りたたみ北京」はあらすじを書くだけでもすごい。内容はさらに期待を上回る傑作だった。ムチャクチャとも思えるアイデアに、人物や社会の生き生きした描写で説得力をもたせ、いまこの世界が抱える問題を浮きあがらせる。わずか49ページという短い世界の中に小説の面白さがすべてつまっていて、読み終えてしまうのが惜しかった。本当なら自分がこれを書きたかったというおこがましい気持ちにさえなった。超よかった。死ぬまでに読めてよかった。
同作は同名の書籍『折りたたみ北京』(原題『インビジブルプラネット』)の表題作。書籍はほかに7人の作家が書いた小説13本が読める。ヒューゴー賞を受賞したリウ・ツーシン『三体』から抜粋した『円』も読めてお買い得だ。
タワレコPOP的に言うなら、まずは1本目のチェン・チウファン『鼠年』だけでも読んでほしい。主人公は内定が出ていない大学生の主人公。遺伝子組み換えネズミの駆除隊に志願するが、そこではまるで戦争のような惨状が待ち受けていた。遺伝子組み換えネズミは大手資本から受託した中国工場で生産されているが、スマートフォンと同じように「偽物」が横行している。おなじ偽物でもネズミは生物なので大変なことになるという筋書きで、iPhoneにたとえる流れがとても現代的だ。
受託生産会社は、リバースエンジニアリングやソフトウェア改竄などの手を使って、いわゆる山寨iPhone──つまりコピー品をつくる。おなじように鼠工場の社長は、鼠のリバースエンジニアリングや遺伝子改竄を試みる。雌の出生率や赤ん坊の出生率を上げるのが目的だ。そうしないと利益率が低すぎるからだ。
たくさんの人に読んでほしいと思うが難点はある。1つは価格が1900円と安くないこと。もう1つは「中国SFアンソロジー」というマイナー感ただようジャンルなので、ふつうの人が手にとりづらいことだ。しかしこんな傑作がSF海外文芸の片隅で棚差しにかりほこりをかぶってしまうのはもったいない。人類にとって損失だ。
個人的に本作はSFというか最高の文学のひとつだと思う。ブッカー賞や芥川賞の受賞作などと同じ棚に並べて、「最強のヤバい小説!!」などとPOPに書いて、100冊単位で積んでほしい。
文学には個人的な思い入れもある。20年前わたしは文学少年で、初めての文学体験は安部公房だった。安部公房はわたしの神だった。安部公房が書くような文学というものは世界一かっこいいと思っていた。
中学生のころ、『壁』『砂の女』『箱男』などの代表作にふれ、戯曲をふくむ全集を読んで、独自の文体と思想にグワァーッと世界がゆれた。安部公房が生々しく描いた奇妙な並行世界にふれたあとは、自分が生きている世界を見る目がまったく変わってしまった。ごく普通の言葉だけを使ってそんなことができてしまうことにも興奮した。中二病も手伝って「文学はすごい、究極の学問だ。いつか自分でも文学を書きたい」と思うようになった。
ギター少年がジミ・ヘンドリックスに出会ったようなものだった。頭の中は安部公房的なフレーズでいっぱいになり、机のすみには文学の構想を汚い字で書きつけたルーズリーフの束がたまっていった。ちなみに社会人になってからルーズリーフを読んだときはまったく意味がわからなかった。
しかしその後、日本文学の棚で安部公房のような文学に出会うことはあまりなくなった。世界がひっくりかえされるような驚きは多くなかった。大好きな日本文学はたくさんできたが、どこかものたりなさを感じていた。代わりに海外文芸、SF、ポピュラーサイエンス、ルポルタージュ、歴史書などをよく読むようになっていった。やがて自分が文学に求めていたものはよくわからなくなり、安部公房のフレーズも聴こえなくなった。
しかし折りたたみ北京を読んだとき、ずっと思い焦がれていた文学にふたたび出会えたような気持ちになった。安部公房とは違うが、現代的で、挑戦的で、発想が面白く、世界がとても広く、それでいながら一級の娯楽としての強度をもっていて、いま自分たちが生きている、この世界を見つめなおさせる。この世界観はわたしにとっての文学だった。文学はやっぱりかっこいい。もっと読みたい。もっと書きたいと、自分の中にいる中学生がふたたび黒歴史を作ろうとしている。
おすすめです。是非。
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