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八神純子 「思い出は美しすぎて」

今回はなんと、邦楽です。私、98%洋楽好きなので、邦楽をほとんど知りません。
きっかけは先日noteでフォローしている方々の間で五輪真弓のデビュー作が素晴らしいと話題になっていて、聴いてみるとこれが、目から鱗でした。日本にもジョニミッチェルはいたのか!と。それで私も一枚だけ邦楽レコード持ってたなと思い出しました。

八神純子
「思い出は美しすぎて」1978年

邦楽のレコードはこれだけ

2012年、車で通勤していた頃、ある町の市民ホールの横を通るのですが、そこで八神純子のライヴの広告を見かけました。レンタルレコード店で先輩がよく聞いていて懐かしかったので、その市民ホールで観ました。

そこで意外なことで彼女に感心してしまいました。それは、彼女は東日本大震災の翌日に、祖国の惨状に居ても立っても居られず、移住先のアメリカから日本に帰ってきたというのです。翌日に!!

彼女は1986年に英国人の音楽プロデューサーと結婚してそのままアメリカに移住。しかし2001年の同時多発テロとその一週間後に彼女の友人家族が射殺される事件がおきて、子供と離れる事が怖くなってしまい、日本で続けていたコンサートも、怖くて飛行機に乗れなくなり中断しました。13年間、音楽活動も中止して子育てに専念したといいます。

その後、子供達も自立した頃、2011年の震災をきっかけに帰国する決意をします。ご主人は音楽プロデューサーから弁護士になっていて、家族の理解を得た上での行動です。

私が観たコンサートでも、復興支援活動の様子をけっこうな時間をかけてプレゼンしていて、その本気度が伝わりました。
既に音楽では成功し安泰でしたでしょうし、アメリカで学んだボランデイア精神もあったり、彼女自身もロスアンジェルスで大地震を経験したりで、彼女を取り巻く災害経験は小さくはなかったようです。そしてそれまで怖がっていた彼女が震災でスイッチが入って、震災の翌日に飛行機に乗ったのです。

心配するだけで挑戦しない人生はやめよう
東北に行って被災者の方と今を生きよう

さらに凄い点は、支援は一時的ではなく長期的だという事で、現在も尚、東北や阪神淡路、熊本の復興活動を継続しており、自身の復興支援プロジェクトはさらに活動の幅を広げています。

コンサートではまさにヒット曲満載でハイトーンボーカルが見事でした。「みずいろの雨」の演奏中に遅れて入ってきたお客さんを見つけて、演奏を中断し「あなたのためにもう一度始めから歌うわね」と余裕の一幕も。この「みずいろの雨」は、歌詞に「ああ崩れてしまえ、跡形もなく流されてゆく」という部分があって、震災直後は封印していたそうですが、歌って欲しいという被災者の声が多かったため、封印を解いたとの事。

震災をきっかけに閉じこもっていた自分の殻を破った八神純子。この1stはタイトル曲の「思い出は美しすぎて」が好きですし、瑞々しいデビュー盤ですよね。

ただ私、八神純子の歌で苦手な音がひとつありまして、それはサンバホイッスル。ホイッスルで思い出すのは小中学の運動会の練習です。行進とか体操とかつまらないし、先生のうるさい笛がビッビッ鳴って、やり直しとか、もうやらされ感しかないし、つまらない!

中学の時、男子の運動会の演目で、組み体操「タワー」というのがありまして、肩の上に人が乗り三段階に立ち上がっていくやつです。一番下の5人が肩を組み、その上に3人が裸足で肩に乗りさらその上に1人が最後に立ち上がり完成です。

タワー

運動会の練習中での組み体操 
「思い出はおもしろすぎて」 1976年

その練習中、私がいる下段の5人が肩を組みながら、最初の笛で立ち上がりました。次の笛で、中段の3人がしゃがんでる体勢から立ち上がったのですけど、その時、中段のノリオ君が立ち上がる際に、短パンの脇から、オチン○ンが、はみ出して顔を出してきたのです!!(昔は短パンが短かった) 下段の一人がそれに気づいて「ノリオ!オチン○ンはみ出てるぞ!」と嬉しそうに言うと、下段の5人は思わず上を見上げてノリオのハミチンを見てしまったもんですから、もう5人は笑いをこらえられなくて肩がブルブル震え出しまして、塔がガタガタと揺れだしました。上の連中もなんで揺れてんのかわからないし、ノリオも両手は肩を組んでふさがってて、パンツ直せません!

体育の先生からは、タワーを組んでる時は、痛くても絶対に我慢しないとダメだぞ、ケガするから絶対に崩したらダメだぞ!とキツく言われてたので、頑張りました。でもそのガマンは、痛いからではなくて、ハミチンがみんなのアタマの上にあって、おかしくて笑いが止まらないからなんです!

「思い出はおもしろすぎて」でした。

尊敬する八神純子さんとは関係ないです。

(^-^;

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