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ニッポン・スウィングタイムふたたび ③

ブックレット

アンソロジーを編むときもっとも時間をかけるのはブックレットです。
正確にはブックレットを記すための材料集め、資料集めとその裏付けにかける時間です。
ありがたいことに字数制限は基本的にないので (ほかの復刻盤については分かりませんが)、必要な情報をまとめあげてライナーを一気に書き上げたら34ページに膨れ上がりました。ちなみにvol.1は23ページでしたので大幅に増えています。この解説にラインナップのレコード詳細 (歌手・演奏団体 / 作詞・作曲・編曲者 / カタログ番号 / 録音年月日 / 新譜年月)、イントロ文、歌詞やあとづけが付いてブックレットは完成します。

ライナーを執筆するうえで必要な情報というのは書き手によって色々あるかと思いますが、筆者が必須だと考えているのは①歌手についての経歴・消息、②演奏楽団とプレイヤーについて、そして③楽曲についてです。エピソードは楽曲の枠をはみ出ない範囲で盛り込むこともありますが、文章の結構に合わせて省くことも多い。私的な感情は、ごく稀に味付けに使う以外は入れません。
それからテクニックとして毎回厳守しているのは体言止めのコントロールです。書く方が気持ちいいのは分かりますし体言止めがキマればカッコいいのですが、あまり使いすぎると文脈のリズムを崩してしまい読みづらくなる。読みやすさにはいつも気を払っています。

歌手について。

vol.2の制作に当たって調査を行ない、何人かの歌手の経歴と消息を明らかにしました。ここでもっと詳らかにしたいところですがCDのブックレットでご確認ください。
細かいものは数文字で足りる情報から、はじめて明らかになる詳しい消息まで。
昭和10年代のビクター歌手は流行歌もたくさん吹き込んでいますから、ジャズソングだけでなく流行歌ファンにとっても興味のある内容になったのではないかと思います。

楽団のパーソネル

今回はインストものも収録できましたが、それでもラインナップの多くはジャズソングです。
そうしてジャズソングにはバックバンドがつきものです。
ボーカルもののバックバンドでは頻繁にソロが出てきますし、インスト物もソロやアンサンブルの内容に触れないわけにはいきません。
日本ビクター管絃楽団や同サロン・オーケストラは人数が多いので、まず専属オーケストラの変遷をきっちり詰めるところからはじめました。
パーソネルを正しい情報で固めるためにブックレットではまったく使わない別の文章を仕立てたくらいです。
ビクターのジャズは、コロムビアやテイチクなど他レーベルとはまた異なる趣があって好きです。
その趣は主として固定的なパーソネルのアンサンブルによってもたらされるのであり、前にも書きましたが個々のジャズメンのクセを踏まえることでバックバンドを味わう楽しみがあります。テイクをじっくり聴いていて、大平彦吉のサックスや進五郎の朴訥なクラがすっかり好きになってしまいました。おのおののテイクに出てくるソロについては、これもブックレットにいちいち記しましたので聴きながら耳で追ってみてください。

原曲をディグる

いいテイクなのに原曲が分からないということは昭和期の復刻にはよくありました。瀬川昌久先生の監修でも「残念ながら原曲不明」という言葉はよく出てきます。現代は調査手段が飛躍的にあがり、情報量も比較にならないほど多いので、筆者がこの稼業に入ってから何十となく原曲を拾い出すことができました。
したがってジャズソングの原曲穴埋めはかねてより気をつけているのですが容易に原曲が分からないテイクがあるのも確かで、復刻盤を監修するたび頭を悩ませる問題です。
『ニッポン・スウィングタイム』のvol.1では「ウクレレママちゃん」と「涙の路」が大変でした。

「涙の路」は会社のデータが作曲者のフェインという名しか残されてなく、そのために遠回りをしたパターンです。
フェインといえばジャズソングの世界ではサミー・フェイン Sammy Fain を指します。
ベティ稲田が「君なき日」というタイトルで、東海林太郎と山路ふみ子が「もう一度言ってよ」というタイトルで歌った“Hummin’ to myself“の作曲者として知られています。
それで決まりだ楽勝だなと思って探しにかかったら、無い。そもそもサミー・フェインというのは明朗な曲調が持ち味の人で「涙の路」のようなマイナー調の曲はあまり作ってないのです。“Hummin’ to myself“は例外中の例外で、珍しくマイナーで作ったナンバーが日本でヒットしたんです。
1930年代のアメリカンナンバーはおおむね1年から2年のタイムラグで日本でジャズソング化されているので、近い時期のアメリカのボーカル物を総当たりしたもののヒットせず。
まさかと思ってフェインの綴りをFeinにしてサーチしたら、それですんなりヒットしました。Pearl Feinという人ですが2曲しか検索に出てこなかったナンバーのひとつが「涙の路 Lonely Street」で、アメリカでもまったくヒットしてないレア曲です。
結果だけみると簡単なようですが名前の綴りのちがいは盲点で、分かるまで2ヶ月ほどかかりました。

vol.2はわりと有名なナンバーが揃っていますがそんな中でヘレン隅田の「浮気な恋でも」は、選曲の時点から難航が予想されました。
粗い下調べで原曲が出こなかったからです。原曲未詳はなるべくなら出したくありませんでしたが、ヘレンのボーカルが良かったので「曲は後で見つければいいや」と思い切って収録しました。
この曲も会社に原曲タイトルはなく作曲者がジョンソンとのみ伝わるだけでした。ジョンソンなんてめちゃくちゃ沢山います。
結果だけ述べると原稿〆切をちょっとすぎたくらいまで粘って粘って調べて調べて、幸運にも出てきました。
どのジョンソンだか分からないので消去法でこれはないだろうと思われるロバート・ジョンソンなどを省いて、逆に日本人にはわりと知られていたジェームス・P・ジョンソンまわりを当たったら、答えが出てきました。まったくノーマークだった作曲家です。
「浮気な恋でも」もヒットナンバーではなく、日本ビクターが一体どういう経緯でジャズソングに翻案したのか謎なチョイスです。

お気に入り

最後にCD2枚分を選曲して、個人的なお気に入りをちょっとだけ。
ひとつは前に書いた能勢妙子の「小さな希望」で、会話調の流行歌がレコード検閲で忌避されていたなかでよく検閲をスルーしたな、と思います。
日本ビクター・リズム・ジョーカースの「それだけさ」は訳詞の出来のよさに感心しました。リズム・ジョーカースのパートの分析に骨を折ったのも楽しい思い出です。
自分で「これは発掘!」と自負するのは徳山璉の和製タンゴ「また見たい夢」で、高木東六らしい瀟洒なタンゴに甘い回想と淡い悲哀がつきまといます。これまで埋もれていたのが不思議なレコードです。
平井英子は収録した「あたし大人」「想い出の横顔」どちらもお気に入りです。スウィングタイムの空気をいっぱいにはらんだテイクです。
糸井しだれのブルース「また逢う日まで」も選んでよかったと思う一曲。
インスト曲はどれも好きでできるならもっと入れたいくらいですが、それだけに厳選して好きなアレンジを収録しました。
監修者の思い入れはたぶんライナーの文章にもにじみ出ていると思います。

情報とセンスを売る

3回に分けて書きましたが、『ニッポン・スウィングタイム vol.2』はこのようなアルバムです。
CDが売れない、アルバムは配信で充分、という声の聞こえる今日このごろですが形ある媒体で売るのは音だけではありません。そこには地道に調査研究した成果もアルバムのテーマに則したデザインも含まれます。
高い安いではありませんが、モダンな装丁 (デザイン : 岡田崇) と他所では手に入らない情報込みのお得なCD版をぜひ手にお取りください。

https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A010090/VICL-65988.html

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