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ジョバンニ・シメオネという漢の物語

セリエA2022/23シーズンが開幕した。新シーズンへ向け各クラブが補強を進めるなか、ナポリはエラス・ヴェローナから期限付きでFWのジョバンニ・シメオネ(27)を獲得した。昨季は35試合に出場し17G5Aを記録している。彼の活躍を受け、ナポリはヴィクター・オシメンのバック・アッパーとして彼を獲得したのだ。ナポリで更なる活躍が期待される新戦力シメオネはどのような人物なのか迫っていく。

1.ジョバンニ・シメオネの生い立ち

・シメオネの家族編成
ジョバンニ・シメオネは1995年7月5日にアルゼンチンのブエノスアイレスで3人兄弟の長男として生まれた。父は元アルゼンチン代表で現アトレティコ・マドリード監督のディエゴ・シメオネだ。母はカロリーナ・バルディーニだ。

シメオネは父の移籍に伴い移住を繰り返していたため学校も毎回変わり、友達がいなくなることに苦しんでいた。幸いにも母がシメオネの心をケアして支えてくれたそうだ。2014年に両親は離婚しているが現在も実母と良好な関係を築いている。

父ディエゴ・シメオネの手を握る長男ジョバンニ(右)と次男ジャンルーカ(左)

・サッカー選手である父との関係
父ディエゴ・シメオネはプロサッカー選手ということもあり、シメオネにとって父は憧れの存在だった。父は息子をサッカー選手にさせようとはせず、自分がしたいことを自由にさせる姿勢でいた。しかし、シメオネは父の影響でサッカー選手になりたいと思いサッカーを始めた。サッカー選手として教えたいことが沢山あった父だが、プレッシャーを与えないよう試合でのプレーについてアドバイスはあまりせず、のびのびプレーさせてたそうだ。現在は休暇中に会ったり、頻繁に連絡を取りあっている。

シメオネの愛称「Cholito(チョリート)」は父の愛称「(Cholo)チョロ」に由来している。「チョリート」だけでなく「Smoll Cholo(小さなチョロ)」とも呼ばれている。しかし、シメオネは"○○の息子"という意味合いがある愛称が嫌なようで、「Gio(ジオ)」という愛称で呼ばれたいそうだ。

2.選手としてのキャリアと苦難

・母国アルゼンチンでのサッカー人生
父の移籍に伴い母国アルゼンチンに帰国したシメオネは、リーベル・プレートの下部組織でキャリアをスタートした。しかし、アルゼンチンの社会的背景がシメオネを苦しませることになる。

下部組織にはご飯も十分に食べられない貧しい家で育った子どもたちが沢山いたのだ。彼らは裕福な家庭で育ったシメオネを妬み、グループに受け入れず仲間外れにすることもあった。
シメオネは自分のような純粋にサッカー選手を夢見ている人だけでなく、お金を稼ぎ家族を養うためサッカー選手を目指している人など様々な事情でサッカーをする人がいると幼いながら知ったそうだ。しかし、シメオネは周りに影響されず自分の道を突き進んだのであった。

・MFからFWに転向
今でこそFWとして活躍してるシメオネだが、実はサッカーを始めた当初はMFとしてプレーしていた。しかし、父は「そのポジションはお前の場所じゃない。若い頃だとキーパーは皆んな背が低いから持ち味の強いキック力を活かしてシュートすれば簡単に入る。FWがお前の居場所だ。」とアドバイスをした。このアドバイスをきっかけにシメオネはFWとしての才能を開花させたのだ。

2013年、シメオネはシーズン前のトレーニングのためリーベル・プレートのトップチームに昇格した。新しいチームメイトから、トップチーム昇格は一生に一度しか味わえない思い出だから彼の記憶に残ってほしいという理由で斬新な髪型をプレゼントした。もちろん、同時期に昇格したチームメイトもだ。

トップチーム昇格した当時のシメオネ(左から2番目)

同年、8月14日にシメオネはヒムナシア・ラ・プラタ戦でプロとしてデビューを果たした。
プロとしてプレーするにつれて、周りからは父ディエゴ・シメオネと比較されるようになった。もちろんシメオネにとって父は憧れの存在であったが、「シメオネの息子」であることへの重圧や、活躍して名を轟かせようとしても「シメオネの息子が〜」と言われることへ不満もあったそうだ。「ディエゴ・シメオネの息子」ではなく「ジョバンニ・シメオネ」として認識されたかったのだ。愛称を「Cholito」ではなく「Gio」と呼んでほしいのもこれが理由である。
父ディエゴ・シメオネは、父として息子の悩みは当然理解しており、記者会見で息子のサッカーに関する質問をされたときは、あまり話さないよう配慮するなど、息子を静かに見守っている。現在も仲良し親子でいられるのは父と息子が深い絆で結ばれてるからだろう。

その後、2015年にバンフィエルドへレンタル移籍する。バンフィエルドに移籍したシメオネは34試合に出場し12得点をあげる活躍をした。その活躍が評価されU-19アルゼンチン代表に選出。同年にはU-20にも選出されたのだが面白いエピソードがある。

当時、占い師である祖母がタロットカードで彼を占ったところ「数日以内にU-20アルゼンチン代表の招集状が届く。」と言ったそうだ。もちろんシメオネは祖母の予言について全く信じていなかったが、数日後に招集状が届いたのだ。その時から祖母へ「自分の将来について何も言わないで!」と頼んだそうだ。

・ヨーロッパへの挑戦
母国アルゼンチンで活躍していたシメオネだが、いつかヨーロッパに戻るという考えが常にあった。人生の大半をヨーロッパで過ごしていたため、ヨーロッパ人の感性を持っており、ヨーロッパでの生活のほうが深い親しみを感じていたのだ。

アルゼンチンでの活躍が評価され、2016年にシメオネはヨーロッパに渡りイタリアのジェノアに移籍しセリエAデビューを飾った。その後、フィオレンティーナカリアリエラス・ヴェローナに移籍しそれぞれのチームで活躍している。

ナポリ加入前までのキャリア

・ナポリへ移籍
2022年8月、ナポリは350万€の有償レンタルと来夏に1200万€で買取可能のオプション付きでエラス・ヴェローナからシメオネを獲得した。

入団会見では「ナポリに移籍できてとても幸せです。私はいつもこのようなチームに移籍することを望んでいました。」とナポリ加入の喜びを語った。また、「複数クラブからのオファーがありましたが、ナポリへ加入することを念頭に置いていました。」とナポリ加入への強い願望を強調した。

・パルテノペイにとって忘れられない試合
シメオネを見ると、パルテノペイの中にはあの試合が脳裏をよぎる人もいるだろう。2018年4月29日に行われた第35節フィオレンティーナ戦だ。当時2位だったナポリは1989/90シーズンぶりのスクデット獲得へ向け絶対に負けられない一戦だった。しかし、試合は当時フィオレンティーナに所属してたシメオネのハットトリックにより0-3で敗北。優勝争いをしていた首位ユベントスとの勝ち点差が4になりスクデットが遠のいたのだ。最終的にこのシーズンはユベントスがスクデットを獲得しカンピオナート7連覇となった。パルテノペイにとって、あの試合は悪夢だっただろう。

ナポリ戦でハットトリックを決めたシメオネ(手前)と悟りを開くマリオ・ルイ(奥)

シメオネは、この試合についてナポリの入団会見で触れている。「私は常に全力を尽くしている人間です。いつも自分がプレーしてるチームとチームメイトのために戦ってきました。ナポリでもこのようなことを実行できるよう準備していて、全ての瞬間にそれを示したいです。」と振り返っている。今度は味方として相手にトラウマを与えるようなパフォーマンスをしてもらいたいところだ。

・ナポリ加入後のシメオネ
ナポリ加入したシメオネはやはりオシメンのバックアッパーの役割を任され、途中出場が多くなっている。限られた時間の中で彼なりに状況に応じた仕事を見つけしっかりこなしている。

・ナポリ移籍後の初ゴールはドラマチックなものに
シメオネはCLグループステージの第1節リバプール戦でベンチ入りを果たした。前半41分に先発のオシメンが足の怪我により交代、彼のバックアッパーとしてシメオネが途中出場した。すると44分、クヴァラツケリアの折り返しを押し込みナポリ移籍後初ゴールを決めた。また、シメオネにとってこの試合はCL初デビュー戦で初ゴールだった。ゴールを決めたシメオネは喜びで感情爆発すると同時に涙を潤ませた。それは、このゴールは子どもの頃の夢を叶える彼にとって特別なものだったからだ。

リバプール戦でゴールを決め、
手首のタトゥーにキスするシメオネ

シメオネは「14歳だった僕はCLでプレーしてゴールを決めるのが夢でした。このタトゥー(CLのロゴ)を入れたのはこの舞台に立つことを夢見て、ゴールを決めたときにキスするためです。そして13年たった今、この夢を叶えることができてとても嬉しいです。」とリバプール戦後のインタビューで振り返った。彼にとって忘れられない大事な日になった。

今後、どのようなパフォーマンスを披露してくれるか楽しみである。

3.シメオネをもっと詳しく知りたい方へ!

ここまで、シメオネについて生い立ちからナポリ加入までのキャリアを追ってきた。彼の人生を知るにつれて、彼がどのような人物なのか気になる人もいるだろう。ここからはシメオネがどんな人物なのか紹介していく。

・プレースタイル
ポジション取りが非常に上手でDFの間から完璧なタイミングで裏へ抜け出したり、クロスに合わせて飛び込むことができるなどゴール前での野生的な嗅覚と得点能力を持つストライカーだ。短い間合いでゴールを仕留められるのも彼の持ち味である。
シメオネが参考にしていた選手はマンジュキッチやアブダウ、ファルカオだ。特にシメオネにとってファルカオは魅力的な選手だったため、ファルカオが父の元でプレーしてた時は彼がどんなプレーをするのか、スパイクの靴紐はどのように結ぶかなど詳しく聞いていたそうだ。確かにフォルカオを彷彿させるようなプレーをしている。

・ルーティン
シメオネは母の影響で仏教に興味を持つようになり、仏教徒として信仰している。そこで瞑想に出会った。瞑想はジェノア時代から行っており最初は週2、3回だったが今では毎日10分〜15分行っている。瞑想について彼は「瞑想は私を助けてくれました。瞑想はピッチ上だけでなく人として良くなるなど自身を変えてくれたのです。深呼吸し頭の中にある余計な考えを取り除くことで、健康的な体を保つことができるから毎日してます。」と語る。

瞑想のゴールパフォーマンスをするシメオネ

また、試合日は自分自身の士気を高めるため試合前に映画の「ロッキー」のテーマソングを聴くことを習慣にしている。

・趣味
シメオネはロックミュージックが好きでブルースやジャズといったジャンルの音楽を聴いたりギターを弾く。ゲームや読書も好きだ。また、自身が住む街の美術館や博物館によく訪れる。美術や歴史に熱い情熱を持っているため「若い男の体に老人の魂が宿っている」と言われるようだ。

・シメオネの妻
シメオネは後に妻となるジュリア・コッピーニと共通の知人が催したBBQがきっかけで出会う。その後、交際を続け結婚した。彼女は2013年のトスカーナ州のミスコンの女王だ。2016年には「Quelli che il calcio」というイタリアのテレビ番組のレポーターもしていた。大学では生物工学を学んでおり学位を取得している。読書好きというシメオネと共通の趣味を持っている。

シメオネ夫婦と愛犬マーベル

4.最後に

今回はジョバンニ・シメオネについて紹介してきた。今シーズンも彼の活躍を期待したい。

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