キム・ミンジェという漢の物語
2021/22シーズン終了後、ナポリは夏のメルカートで長年クラブを支えたセネガル代表DFカリドゥ・クリバリ(31)をチェルシーに売却した。絶対的支柱と言っても過言ではないクリバリの放出に揺らぐナポリだったが、彼の後釜としてトルコのフェネルバフチェから韓国代表DFキム・ミンジェ(26)を獲得した。
加入当初はミンジェのパフォーマンスが未知数だったのもありクリバリの穴を埋めてくれるのかなど不安の声が大きかった。しかし、ミンジェはスパレッティ監督のサッカーにすぐ順応し、開幕からラフマニと共に最終ラインの壁として立ちはだかりチームを支えている。今のナポリに欠かせない存在だ。
メディアやファンからは「怪物」と呼ばれるミンジェだが、どのような経緯で「怪物」が誕生したのか彼の原点について探ってみる。
キム・ミンジェのプロフィール
生い立ち
ミンジェは1996年11月15日、韓国の南海岸にあるトンヨン市という小さな都市で体育会系の両親の元に生を享けた。トンヨン市は「韓国のナポリ」と呼ばれる港町だ。両親は元々スポーツ選手で引退後は小さな海鮮料理屋を営んでいたが、十分な収益を得られず厳しい環境で一歳上の兄と育った。
ミンジェは産まれた当初から体が大きく、生後3ヶ月で重たい鉄の棒を転ばずに持ち上げたそうだ。父はミンジェの身体能力に驚くとともに只者じゃないと確信したようだ。
やんちゃだった少年がサッカーに出会いまで
幼い頃のミンジェは優しい兄(1歳年上)とは正反対の呑気で頑固な性格だった。小学生時代には授業中に教室を出て廊下を走り回って遊んだり、年上の子と殴り合いの喧嘩を楽しむやんちゃぶりを発揮していた。この性格が現在の闘志あふれるプレーに繋がっているのかもしれないと後に両親は振り返っている。
先ほど述べたとおりミンジェの兄は優しすぎるため学校の生徒にいじめられてもやり返すことはなく、常にいじめの対象になっていた。そんな兄がいじめに遭っているという噂を嗅ぎつけたミンジェは当時について振り返る。
「兄がいじめられていると聞いたことがあって、本当なのか調べに行ったことがあるよ。ある日、1学年上のクラスに行くと、兄がいじめられているところを目撃したんだ。僕は兄を助けるためいじめっ子と戦ったよ。いじめっ子の対象が兄だったからいつも以上に頑張ったね。」
このようにやんちゃな少年だったミンジェだが、どのようにしてサッカーに出会ったのだろうか。原点は彼の家族にある。
当時、ミンジェの叔父はサッカーコーチをしていた。叔父はミンジェの恵まれた体格とやんちゃで負けず嫌いな性格をサッカーに向けることが賢明だと判断した。また、両親が元スポーツ選手だったのもあり息子たちにスポーツ精神を呼び起こし兄弟揃ってサッカーを始めたのだ。
両親がサッカースパイクを買う余裕がなかったため、年長の子からお下がりでもらったスパイクを履いてサッカーをしていたという話がある。
また、ミンジェの両親は働き詰めでサッカーのサポートを中々することができなかった。しかし、叔父の助けにより放課後にサッカーのトレーニングをしたようだ。テコンドーを習ってた時代もあったが黄帯でやめてサッカー一筋にした。
キム・ミンジェの学生時代
ミンジェは統営小学校に入学後、同校のサッカークラブに所属しサッカーキャリアをスタートさせた。小学生にしてサッカーの才能が開花し、様々なクラブチームからスカウトされるようになる。その結果、4つの小学校を転校することになった。小学生のときから移籍のようなことを経験してるミンジェは只者じゃない。
海城中学校入学後は1年間通った後に、小学校時代同様スカウトされヨンチョ中学校に転校している。
そしてミンジェはソン・フンミンやパク・チソンを輩出した名門水原工業高校に進学する。ミンジェは高校サッカー界でも名を馳せ、韓国高校サッカー選手大会では最優秀選手賞を受賞している。
高校時代の活躍が評価されたミンジェは延世大学に進学する。高校時代同様に大学でも名を馳せる。1年生で主力としてチームの中心的な役割を果たすようになり、春季連盟戦で賞を獲得する。また、トレーニングで鍛え上げられ、より磨きをあげた肉体を持ったミンジェはプロクラブのスカウトから熱視線を浴びることになる。
しかし、注目が集まるにつれてミンジェは気を散らかしてしまう。勉強がおろそかになるにつれて大学側はミンジェをサッカーから遠ざけようとしたのだ。そして、ミンジェは大学側と口論になった末にサッカーへの野心とプロデビューの夢を実現させるために大学を中退した。また、大学側は彼をプロサッカー選手としてキャリアをスタートさせることに否定的だったという報道もある。
キム・ミンジェのプロキャリア
ミンジェは大学中退後、当時韓国プロサッカーリーグの3部だった慶州KHNPに所属する。
その後、全北現代モータースに移籍する。移籍初年度の2017年、ミンジェは半月板の怪我で試合数をこなせなかったが、年間最優秀若手選手、Kリーグベストイレブンにノミネートされた。
ミンジェの活躍ぶりからA代表に招集がかかるようになった。しかし、翌年2018年、ロシアW杯1ヶ月前に肋骨を折る怪我をしてしまいW杯のメンバーから招集外になった。
W杯後、ミンジェは北京国安に移籍する。北京国安ではAFCアジアカップやE-1サッカー選手権でベストディフェンダーにノミネートされる活躍を見せた。
どの移籍先でも結果を残していたミンジェだが、あるインタビューの発言について論争に巻き込まれる。韓国メディアのインタビューで、北京国安での起用法に不満がありクラブを批判したのだ。この一件でクラブ側はミンジェの放出を決めたのだった。
この報道を嗅ぎつけたヨーロッパクラブから注目株として興味を持たれる。当時はイングランドのトッテナムやエヴァートン、レスターが彼を狙っていた。
獲得レースでリードしていたトッテナムはミンジェと契約を結ぶ直前までいったものの、メルカートが閉じる前に契約完了できなかったのでトッテナムへの移籍は破談に終わった。
トッテナム移籍破談後、トルコのフェネルバフチェと契約を同意する。ヨーロッパ挑戦1年目ながら安定した活躍を見せ、ナポリからオファーが届きこれを受託。そして2022年7月27日にナポリへの移籍が決定した。突然の退団の知らせにフェネルバフチェサポーターは動揺した。
ミンジェは「このクラブでプレーしたことは単なる足がかりではなく、自分のフットボールキャリアにおいて重要な部分だ。」とメッセージを届けサポーターに別れを告げた。
ナポリに加入後はカンピオナート開幕から存在感を見せつける。9月にはセリエA月間最優秀選手にノミネートされるなど現在はセリエ屈指のDFとして注目を浴びている。新たなナポリの守備の要として今後も彼の活躍に期待だ。
キム・ミンジェをもっと詳しく知りたいあなたへ!
①プレースタイル
ミンジェは190cmの恵まれた体格を生かしたフィジカルを武器にしている。対人守備では当たり負けせず相手からボームを奪取できる。パス能力も高くオフェンス時は縦パスやロングパスなどを多用しビルドアップの起点としての役割を担う。また高身長を活かした空中戦での強さとスピードも武器だ。
ミンジェは体格は父親から、スピードは母親譲りだと明かしている。
②ミンジェの家族編成
父(キム・テギュン)は元柔道選手で妻とともに海鮮料理屋を経営している。また、トラック運転手でもある。
ミンジェが世代別代表で招集されトレーニングを行う際は、魚を積んだトラックで7時間かけて練習場へ送迎していた。父は息子を送迎するだけでなく、練習場のある街に魚を運送することができるためwin-winだったそう。
ミンジェは当時について「父のトラックは15〜20tですごく大きかったよ。それに新鮮な魚を積むんだ。代表初招集された当時は若いのもあって、トラックで練習場に向かうのが少し恥ずかしかったよ。皆んな普通の車で来るからね。でも、今となっては凄く良い思い出だね。」と振り返る。
母(イ・ユソン)は元陸上選手である。ミンジェはアグレッシブな選手だったため、当初はストライカーのほうが彼に合っていると思っていたようだ。幼少期のミンジェは頑固で暴れん坊だったため、子育てに苦労していた。しかし、成長するとともに性格も立派な大人になったことに対して誇りに思っている。
兄(キム・ギョンミン)はミンジェより一歳年上。学問と絵が得意で常に学校でトップの成績をとる多才である。勉強が苦手でいつもテストの点数が悪かったミンジェとは正反対である。彼もまたサッカーをしており明知大学でキーパーをしていた。
ミンジェは「妻を除けば、兄ほど親しい人はいない」と言うほど、兄弟で仲が良い。
叔父はサッカーコーチをしている。ミンジェは叔父がコーチをしている中学校に入学しており、直々に教えてもらっていた。
当時はミンジェの性格に難があったため指導に苦労したそうだ。ミンジェを厳しくしつけつつ、彼の成長を助長する励ましの言葉を与えていた。ミンジェが叔父の元を去る頃には一人前の大人になっていたという。
ミンジェは「慶州KHNPにいる間、もっと叔父と気楽に接すれることに気付いたよ。プロデビュー後はすごく仲良くなって、よく電話してるよ。昔の叔父は自分に屈辱を与えるだけだったけど、今は沢山褒めてくれるよ。叔父からは罵られてたばかりだったから、褒め言葉は今でもぎこちないね。」と叔父について語る。
ミンジェ自身も性格の変化に気づきサポートしてくれた叔父や家族に感謝している。
妻(チェ・ユラ)とは北京国安を退団する直前に結婚している。挙式は韓国で行われた。2021年の冬にミンジェのInstagramを介して初めて妻が公開されている。ミンジェとともに幸せに暮らしている。
③趣味・ライフスタイル
ミンジェは幼少期からラップが好きでドライブ中に歌を聴いたり歌ったりしている。また、彼はサッカー以外で卓球をするのが大好きだそうだ。
④タトゥー
ミンジェの胸には「Carpe Diem(その日を摘め)」と刻まれている。これは紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する語句である。この語句は「今この瞬間を楽しめ」、「今という時を大切に使え」と意味している。
左腕には十字架と「Never stop dreaming. Time flies(夢見ることをやめなるな、時はあなたを待たない)」というタトゥーが刻まれている。
背中には十字架を持ったイエスの周りに沢山の天使が刻まれている。
ミンジェが彫っているタトゥーで分かると思うが、彼はクリスチャンで宗派はプロテスタントを信仰している。
⑤兵役
韓国では兵役制度を採用しており、成人男性はおよそ2年間の兵役が義務もなっている。しかし、ミンジェは2018年の第18回アジア競技大会で金メダルを獲得したことによって、兵役期間は免除され大幅に短縮し約3週間の基礎訓練で済んだ。これはトッテナムに所属するソン・フンミンも同様である。
最後に
ここまでキム・ミンジェの半生を追って来た。ナポリへの加入はクリバリの後任ということもあり、彼の後釜として期待されるなど色々と重責を感じているかもしれない。しかし、そのような声は気にせず"クリバリの後釜"としてではなく"キム・ミンジェ"としてのびのびとプレーしてほしい。ミンジェはナポリの新たな最終ラインの一角としてチームを支えてくれるだろう。きっと彼ならチームを89/90シーズンぶりとなる悲願のスクデットに導いてくれるはずだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?