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正木さんから私が受けとったこと①

ここに、とてもいい食材がここにあります。
地球からの、積み重ねられた年月からの、偶然の出会いからの、贈りもの。

でも、わたしは自分の料理の腕に自信がないのです。全く。
でも、私だけで持っていたら腐らせてしまいます。
みなさんに、ふるまいたいのです。

わたしの感覚で料理をするので、あなたにとっていちばんおいしいところが切り捨てられるかもしれない。その怖さも味わいながら、ちょうどいい量をこころがけたいのです。
最低限のシンプルな味付けで。

いちばんおいしいところがあなたに届きますように。

はじめに

熊本県にあるエコビレッジ、サイハテ。
元旦の埼玉から6日間の旅を経て、なんとかたどりきました。
ゲストハウスで靴を脱ぐか脱がないかのときに、目に飛び込んできた、1冊の本がありました。

「地球のマユの子供たち 正木高志」

サイハテでの日々は刺激的なイベントや、興味深い人々にあふれていたので、落ち着いて本を読んだのは出発する日の明け方。
台風で散らばった洗濯ものを回収したら、興奮して眠れなくなってしまい、この本を読み始めたのです。

まだ日も出ない部屋で、ひとり、本に向き合いながら、わたしは不思議な気分になりました。
わたしがいままでの人生でふと考えたこと、出会った言葉の断片が、ぴかぴかに磨かれてひとつの絵画の一部をつくっているような。
ただ作品として受け取るだけではなくて、
この材料が選ばれて、磨かれた過程を、つくり手から聴かせてほしい。
わたしが、作品のひとつひとつの部分に発見したよろこびや、自分とのつながりを、聴いてほしい。

いまなら言葉になる、そんな興奮が、風のつよい朝に、わたしの中に湧き起こっていました。


サイハテ住民の方の助けがあり、幸いなことに、その日の午後に会っていただけることになりました。

その時間のなかで、わたしが受け取ったこと。
あくまでも、わたしが聴いたものを、一部、ここにご紹介したいと思います。(正木さんから受けとったことは「」のなかに。)


1. だれかのアイディアをきっかけに、自分の中にあるものが開く

ーおこがましいかもしれないけど、「分かる!」って伝えたくて来たんです。

「あなたの中で開こうとしてるものに触れたんだよ。
だから、自分から開いていくよ。
人のアイディアを契機にして、自分の中にあるものが開くよ。

それをオートマティックに認めるだけ。
覚えたりする必要ない。
あなたの世代の人は、そこんところが開こうとしているみたい。
世界中みんなそう。とくにアジアで。」


2.蜜は小さいけど、香りや甘さは花全体を表す。

ー網羅してる範囲がほんとうに多いですよね。歴史、大気圏、資本主義…。
それなのに、文字数も詰まってないし、ページ数もそんなに多くない。
私は「すごい、このボリュームなのにほとんど網羅されてる!」って感じたのですが、実際は膨大な正木さんの考えの一部に過ぎないのでしょうか?書ききれない痛みや苦しみもあるのでしょうか。
編集も経ているし、世に出すものだから受け入れられるように形を変えたりしなくちゃいけないでしょうし…。

「1章で本一冊書けちゃうよ。1章で2時間話せることだけどね。

花と蜜の関係なんだ。花には花びら、雌しべとか雄しべとか、いろんな要素がある。
そのなかで、蜜は小さいけど、香りや甘さは全体を表す。
省いてるかもしれないけど、でも、蜜、つまりエッセンスがあれば、かなりのものを語れるんだよ。

量の問題じゃない。

情報を求めるだろう、若い者は。
何十年生きてても、本5〜6冊しか書けないよ。
一部じゃんね。
大切なのはエッセンス、光。
光のないものをどれだけ書いても意味ないんだよ。
マッチひとつでも、100年暗かった部屋を照らす。

いまは情報や量も求めるだろう。
でも、そのときにエッセンスを求めることを意識すると、ぐるぐるまわりながら、中心に向かっていくよ。
結局、その中心を通してあなたが求めているものに繋がるからね。」


3.スピリチュアルであるということは、樹木的であるということ

ー波と海の例えに共感しました。千葉の海岸で波を眺めていたら、ひとつひとつの波にストーリーがあるんじゃないか、と思ったんです。浜の上のほうまで行けた、ほかの波に飲み込まれて行けなかった、私いい形でしょう、とか一喜一憂していたりして…。でも海や人間から見たら、そんなの全く気にしないですよね。海は海。

「波にとっては重大、でも海から見るとちっとも重大じゃない。
自分自身のストーリー。自己顕示、しょげたり、嬉しい、ピース…
でも、この辺りのことはどうでもいいんだ。
どんぐりの背比べにすぎない。
大切なのは自分の本質を思い出すこと。
離れてるわけじゃない。波は海と繋がってる。

波のストーリーに囚われて、海を忘れて、海を破壊してる。
ほかの波を敵と思ったりね。

今は過度に自己に囚われすぎて、他の国、あらゆるものを傷つけてる。

樹木に例えるなら、個人は果実。
果実、葉、枝、全部あるものを木というよ。
私は木だと思う時、私は果実とは思わなくなる。
大きな愛と、溶けて行くよ。
その意識があると、本当の安心でいられるよ。

スピリチュアルであるってことは、樹木的であるということ。
どう社会意識をスピリチュアル=樹木的にもつか。
個人ではどこまでいっても解決しない。
社会に巻き込まれてしまう。」


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