「子育ては子ども理解から」

子育てをしていると、子育てを始める前には想像も出来なかったような様々な悩みが次から次へと生まれてきます。
その最大のものが、「仕付けが思い通りに行かない」「子どものことが理解出来ない」というようなものです。子育てを始める前は、「子どもは仕付け次第でどうにでも育つ」と思っていたのに、実際に子育てを始めて見ると全く思い通りに行かないのです。そして予想外のことばかりが起きるのです。

よく「赤ちゃんは泣くのが仕事だ」と言われますが、それでも、大人の都合を無視して泣かれると困ります。電車の中など、静かにしていなければならないような時に泣き続けられると、周囲の人から「親なんだから泣き止ませろ」という厳しい視線を向けられることもあります。そのような人もまた「子どもは仕付け次第でどうにでも育つ」と思い込んでいるのでしょう。

それでも泣いている理由が分かる場合は対処のしようもあるのですが、なんで泣いているのか全く分からない場合もあります。言葉も通じないので理由も聞けないし、説得も出来ません。時に怒鳴ったり、叩いたりしてしまう人もいます。「泣くんじゃない!」と怒鳴る人もいます。でもそうすると、赤ちゃんは余計に泣きます。で結局、余計に苦しむことになります。

言葉が話せるようになっても、話が通じません。説明して「分かった?」と聞くと「わかった」と答えるのに、全然それが行動に反映しないのです。
「反省しなさい」と反省させてもまた同じことをします。
お母さんが言ったことをちゃんと覚えているかどうかを確認するために「お母さんの言葉」を繰り返えさせても、その言葉が守られることはありません。
出かける前に「おしっこ大丈夫?」と聞くと「だいじょうぶ」と答えるのに、「それを今言うなよ」というタイミングで「おしっこ」と言います。
それで、「子どもが嘘をつく」「反抗的だ」と思い込んでしまう人も多いです。
また、忙しくて手が離せない時に限って、騒ぎ出したり、トラブルを起こしたり、「ママ、あそんで」と言って来たりします。電話がかかってくると騒ぎ出し、他の人と話していると「ママ、話さないで」と言ってきたりします。とにかく、お母さんが「自分の時間」を作ろうとするとそれを邪魔しに来るのです。

また、2歳前後になるとそれまで素直でいい子だったのに、急に何でもかんでも「イヤダ!」と言ってダダをこねるようになります。それを「うちの子急に悪い子になっちゃったんですけどどうしたらいいでしょうか」と相談を受けたこともあります。また、今まで自分で出来ていたことまで「デキナイ デキナイ」と言ってやらなくなったりもします。
それまではお母さんから離れて遊ぶことが出来ていたのに、急にお母さんから離れなくなったり、すぐ泣くようになったりすることもあります。
うちの子(四番目)も2才ぐらいまでは他の子と手をつなげていたのに、3才頃になったら急につなげなくなりました。「え! どうして?」と思いました。

色々思い当たりませんか。こういうことで悩んでいるお母さんは非常に多いのです。そして、多くの人が「私の子育ての仕方が悪かったのかしら」、「仕付けが間違っていたのかしら」、「障害があるのかしら」など色々原因を探し始め、悩み、苦しみ、様々な本を読んだり、講演会に行ったり、ネットで情報を探そうとしています。でも、そう思い通りには行きません。さらに問題がこじれてしまうことも多いです。
子育てで一番大切なのは「親子の信頼関係」なのですが、小手先の技で何とかしようとするとその信頼関係が崩れてしまうからです。

実は、子ども達のこのような症状の大部分は子どもの発達に伴う自然な現象なのです。(ただし個人差はあります)「うちの子」だけの問題ではないのです。仕付けの善し悪しの問題でもありません。それが「子どもらしさ」であり,子どもの「自分らしさ」でもあるのです。
そして、子どもの発達に伴う自然な状態なのですから、世界中のお母さんが同じような子どもの状態と向き合っているのです。
このようなことは「発達心理学」という学問で研究されています。

昔は、そんな子どもの状態に悩んでいるお母さんに「子どもってみんなそんなものよ」と教えてくれる人が家の中や地域の中に何人も居たのですが、核家族化が徹底され、地域のつながりも失われてしまった今、そういうことを言ってくれる人はあまりいなくなりました。
またお母さん達も、自分の子どもや子育てについて他の人からあれこれ言われることを嫌うようになりました。
子育てが、「社会的なこと」から「個人的なこと」になってしまったのです。その結果、多くのお母さん達が孤独の中で理解不能、コントロール不能な子どもを相手にして苦しい子育てをせざる終えなってしまったのです。

ただ、子どもの状態は年齢だけで決まるわけではありません。確かに三歳児には三歳児の特徴、五歳児には五歳児の特徴があるのですが、実際には三歳児にも色々な子がいて、五歳児にも色々な子がいます。
同じ年齢でも活発な子もいれば大人しい子もいます。誰にでもすぐなつく子もいれば、極度に恥ずかしがり屋で人見知りをする子もいます。こだわりがない子もいれば、こだわりが強い子もいます。分かりやすい子もいれば分かりにくい子もいます。
何にでもチャレンジする子もいれば、怖がってばかりいて自分の世界から出ようとしない子もいます。いつも動き回っていて落ち着かない子もいれば、いつもジーッとしている子もいます。

同じ年齢でも、このような色々なタイプの子どもたちがいることをお母さん達は体験的に知っています。でも、ほとんどの人が、それを仕付けや子育てのやり方の結果だと思い込んでいます。そのため、その状態に問題を感じた時には、仕付けでそれを直そうとします。恐がりや人見知りが強かったりすると、「慣れさせれば大丈夫」と考えて、子どもを無理矢理大勢の子どもたちの中に放り込もうとします。
落ち着きがない子にも「落ち着け!」と強制したりします。でも、ほとんどの場合そのような試みは失敗します。恐怖心を与えることで、見かけ上はお母さんの言うことを聞くようになることもありますが、そのツケは子どもが思春期を迎えることになってやってきます。

このような違いは、生活習慣の中で後天的に身についてしまったものもあるかも知れませんが、実際にはその多くは生まれつきなんです。子どもの生まれつきの個性なんです。これを「気質」といいます。そして、この「気質」は子どもが成長しても、それほど大きくは変わりません。それは、リンゴの種を植えれば、成長と共に姿かたちは変わっても、本質的なところでは「リンゴ」のままなのと同じです。(変わることもありますが、それについては後で書きます。)
子どもを何人も育てたことがある人は知っていると思いますが、子どもはみんな、生まれた時から一人一人違うのです。もっと言えば、お腹の中にいる時から違うのです。子育てや仕付けを始める以前から、泣き声も、おっぱいの吸い方も、動き方も違うのです。そういう生まれつきの個性を仕付けで直そうとしても無理なんです。そういう状態になるだけの理由があるからそうなっているのですから。

あと、子どもの状態を特徴付けているものとして、いわゆる「障害」と呼ばれるものがあります。特に多いのが最近増えて来た発達障害と呼ばれるものです。
ただし、「障害」という言い方をすると悪い印象しかないかも知れませんが、障害を持っている子も本質的には普通の子と同じです。ただ、その感覚の働きや能力に強い偏りがあるだけです。そのため感じ方や、考え方や、行動パターンにも強い個性があり、その偏りがない人には障害を持っている子の言葉や、行動が理解出来ないだけのことです。
ただ、子どもが小さい時は、発達障害による症状を「まだ子どもだから」と扱われることも多いです。また、気質の問題として扱われてしまうこともあります。
その境界は曖昧ですが、でも、発達障害の子にはそれ独自の特徴もあるので、早い段階でそのことに気付けば、早い時期からその子の感覚特性、能力特性に合わせた子育てや教育が出来るので、発達障害から来る子育てのトラブルを最小限にすることが出来ます。

子どもを理解するためには、この「年齢によるもの」と「気質によるもの」、そしてもしかしたら「障害によるもの」の三つの視点から子どもを見てみる必要があるのです。
この記事の大きなテーマは「気質」ですが、「気質とは何か」ということを理解するためにも最初に「年齢によるもの」と「障害によるもの」について書いてみたいと思います。

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